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2015年7月21日 (火)

絶望はしないが失望する

 本日、市立病院へセカンド・オピニオンの資料作成依頼で訪れた。内科の主治医で胃ガンを確認した人だ。入院中も看護師さん共々お世話になった。しかし本日の対応には失望した。他病院への紹介状は書きますよ、という言葉でアカショウビンは検査入院を了解したのだ。それが何でまたセカンド・オピニオンなんですかね?という対応。医は仁術とは今や死語か。少なくともこの病院はその気配がある。胃カメラの画像を見て自分の診断が正しいという慢心が垣間見える。それは最初の胃カメラの時の対応に違和感をもったことは既に書いた。本日の応対は第一印象の正しさを証したと思った。ともあれ資料は明日に用意するという連絡だ。それを持って都内の病院に行く。アカショウビンは泣き寝入りはしない。寿命が限られているにしろ未熟な医者に自分の命は任せない。少しでも可能性は探る。それはジタバタするわけではない。自らの人生の決着は自分で納得いく形で迎えるという決意だ。

 〝決意〟とはハイデッガーの用語では次のように説明されている。

 選択するという現存在の可能性は、世界の中に、つまり公共性のなかに迷いこんで自己を喪失している状態から自分を連れ戻す可能性です。現存在が自分自身を選択したとすれば、現存在はそうすることによって自分と選択をも選択したのです。けれども、選択を選択したということ、決意している(entschlossen sein これも読点が付されている)ということを意味します。したがって、先駆するとは選択することであり、選択したことは決意していること、それも死ぬ決意をしているのではなく、生きる決意をしていることなのです。このように選択するということ、決意しているということは、責任を選択(ここまでも読点)することです。現存在はこの責任をみずから引き受けます。(『カッセル講演』 p100)

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