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2015年7月31日 (金)

現代医療システムの誕生

 市立病院から都内の病院へ。さて無事に手術はできるのだろうか。それにしてもどこの病院も大体同じような待合室と診察室の配置の仕方はいつごろ出来たものなのか。市立病院の入院病棟はナースセンターが監視所のようになっていた。その近くには談話室がある。病室へは自由に出入りできるようになっている。この構造とシステムは検証してみよう。
 手術が成功しても一カ月近くの入院生活は検査入院のお気楽さとは異なる。その不安は視界を遮る濃い霧のように精神に侵入して来る。外科の診察室の反対側は皮膚腫瘍科、紫外線照射室などおどろおどろしい名称の部屋が並んでいる。この病院の面白いのは患者に呼びだし受信機を配布するというところ。院内の離れたところにいても呼びだし音で自分の番がわかる。
 昨夜はろくろく眠られなかった。しかしCDをとっかえひっかえ聞きながら明け方に少しだけ眠った。不眠症に加え毎晩の暑さによる寝苦しさがつらい。
 2週間の検査入院いらい食事はちゃんと取るようになった。体重もいくらか回復した。あとは手術に耐え退院までの体力をつけることだ。外は猛暑だが院内はエアコンがよくきいて快適。あとは手術の不安と成功を祈るのみ。

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2015年7月21日 (火)

絶望はしないが失望する

 本日、市立病院へセカンド・オピニオンの資料作成依頼で訪れた。内科の主治医で胃ガンを確認した人だ。入院中も看護師さん共々お世話になった。しかし本日の対応には失望した。他病院への紹介状は書きますよ、という言葉でアカショウビンは検査入院を了解したのだ。それが何でまたセカンド・オピニオンなんですかね?という対応。医は仁術とは今や死語か。少なくともこの病院はその気配がある。胃カメラの画像を見て自分の診断が正しいという慢心が垣間見える。それは最初の胃カメラの時の対応に違和感をもったことは既に書いた。本日の応対は第一印象の正しさを証したと思った。ともあれ資料は明日に用意するという連絡だ。それを持って都内の病院に行く。アカショウビンは泣き寝入りはしない。寿命が限られているにしろ未熟な医者に自分の命は任せない。少しでも可能性は探る。それはジタバタするわけではない。自らの人生の決着は自分で納得いく形で迎えるという決意だ。

 〝決意〟とはハイデッガーの用語では次のように説明されている。

 選択するという現存在の可能性は、世界の中に、つまり公共性のなかに迷いこんで自己を喪失している状態から自分を連れ戻す可能性です。現存在が自分自身を選択したとすれば、現存在はそうすることによって自分と選択をも選択したのです。けれども、選択を選択したということ、決意している(entschlossen sein これも読点が付されている)ということを意味します。したがって、先駆するとは選択することであり、選択したことは決意していること、それも死ぬ決意をしているのではなく、生きる決意をしていることなのです。このように選択するということ、決意しているということは、責任を選択(ここまでも読点)することです。現存在はこの責任をみずから引き受けます。(『カッセル講演』 p100)

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体験版 医療の現在⑨

 きのうは先日お亡くなりになったSさんの偲ぶ会。荻窪の焼肉屋で。Sさんと共通の飲み仲間のO氏がオーナーとなって今年オープン。Sさんらと開店祝いに訪れてから仲間もちょくちょく訪れている。そのうち7~8人が集まった。葬儀の事後処理などの裏話など故人の不徳、人徳で賑やかな偲ぶ会になった。
 本日は先日検査入院した市立病院へセカンド・オピニオンの相談。先週下見した都内の病院へ提出する資料の作成をお願いに。それにしても早く手術し社会復帰しなければならない。しかし看護師さんは資料を用意するのに一週間から十日間かかるとおっしゃる。そんな悠長なことでは困りますがな。そのうちこちらは体力的にも経済的にも再起不能になってしまいまっせ。

 以下のかつての医療ミスの事例は医療技術・システムの進歩で現在は少なくなっているだろう。しかし当時とちがい内視鏡などの新技術が開発されると新たな事故も起きる。医療現場も完璧ではない。そこでわれわれは特にアカショウビンはひとりの患者として諦めも油断もならないと自らを励まし戒めるのである。

 市立病院で〝食道ケイシツ〟(小さな袋状のもので食道の他にも管状の内臓諸器官に現れる。多くは先天性で時には後天的に発生する場合もある)と診断されたKさんは、知人の紹介でT医大で診察を受け、手術しないと破裂して死亡する危険があると言われ手術を決意する。しかし手術後20日足らずでKさんは死亡。妹のEさんは執刀医のA教授の手術の失敗を詰る。

 妻のYさんも「今まで元気でぴんぴんして働いてくれていた人が、手術をすすめられて、かえって穴をあけられて死んでしまったなんて、殺されたと同じです。大事な一家の大黒柱に死なれて、私や三人の子供たちはこれからどうして生きていったらいいのですか。― それに、一言も、申しわけなかったとも、至らなかったとも、あやまってくれないではないですか」と。これにA教授は、最善をつくし手術にミスはなかったと答える。Yさんは更に「それではなぜ死んでしまったのですか。最善をつくしたといわれますが、先生は手術はやりっぱなしで、手術後の大切な三日間は一度も診に来てくれず、四日目に容態が急変して危なくなった時も診察にこられず、どうして最善をつくしたといえますか」とA教授の対応に怒りをぶつける。

 K教授がそれに何と答えたか。「誠にお気の毒に思います。けれども患者が死ぬたびに自分で責任をとっていたら医者の仕事はやっていけません」。絶句する。さらに「お金をだせというのですか。出せといえば出しますが、でも私は失敗したから出すというのでは出しません。お香奠としての、その程度なら出しましょう―」。(日本人の死にかた」丸山照雄)この論考の初出は中央公論1971年2月号。これが「反情況の砦から」(1973年4月 伝統と現代社)に収められた。引用した箇所は同書p210~213である。

 正に医療とは果たして患者を生かすのか殺すのか?根本と本質を問わねばならない。

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2015年7月19日 (日)

慌ただしくも暢気な日常

 2週間の検査入院を終え退院したのは先週15日(水)。アルコールなしの2週間で肝臓の数値も何年ぶりかで平均値に戻った。上げ膳据え膳の毎日は誠に体調回復になったと実感する。しかし次は胃ガンの手術へ向けて準備を進めなければならない。先週の金曜日には都内の有名病院を下調べした。さすがに都内の中心部にあり市立病院の周囲ののどかな景色とは異なり些か窮屈な印象であった。しかし食堂がなかなかよく、昼食を食べた限りでは食事の楽しみは期待できそう。日々是好日というわけにもいかないがスナップ写真も撮り慌ただしくも暢気な日常を楽しんだ。

 最寄りの駅の近くにはかつての仕事で何度か通った企業もあり何年ぶりかで訪れた。数年前に倒産したがまだ建物は残っていた。倒産の原因は業界の低迷と社長の逝去だ。ワンマンで実にエネルギッシュな人だった。剣道の高段者で取引先を招待して毎年行われる旅行会では各地を訪れた。東北の旅行では青森のねぷた祭り、秋田の竿灯を見学、参加した。ねぷたではアカショウビンも皆さんと一緒に衣装を着て踊った。鹿児島では知覧、鹿屋を訪れ特攻隊の生き残りの方の話に聴き入った。その時は社長の剣道の実演も披露された。あれは真剣ではなかったか。薩摩の地で社長の思い入れもあったに違いない。その時の夕食は奄美の郷土料理、鶏飯も出て懐かしい味を堪能した。宿泊は天文館近くのホテルで何十年かぶりで天文館を散策した。その社長は喉頭ガンを患い数年間生きたが弟の専務さんの話だと風邪で肺炎を併発しあっけなく亡くなった。その後、社業が急激に傾き倒産した。それは業界大手の倒産として業界内に衝撃が走った。

 アカショウビンも既に社長と同じ道を辿っている。これから何年生きられるか。あるいは手術で生還できないかもしれない。それは神のみぞ知る将来だ。しかし人間は死を覚悟する。残された時をどのように生きるか。それは人それぞれの自覚と覚悟による。

 入院中に再々読したハイデッガーの「カッセル講演」でハイデッガーの飛躍とも強引な独断とも思えた死の先駆的覚悟については「存在と時間」の著書の中で整理された箇所を再読し熟考していきたい。取りえずその構成と章立てを確認しておこう。

 第二編 現存在と時間性の第45節から第1章 現存在の可能な全体存在と、死への存在の各節である。第49節では「死の実存論的=存在論的構造の素描と題しハイデッガーは人間の死の構造と本質に思索を深めている。そこから「カッセル講演」での飛躍とも思える良心の実存論的=存在論的諸基礎から良心の呼び声という性格、関心の呼び声としての良心、という考察を講演でのハイデッガーの言説と著書での論説を比較検討したい。

 入院時の日常は時に検査のうっ屈と何をするでもない暢気な日常を体験できた貴重な時間でもあった。しかし次は手術の苦痛に耐えなければならない。正念場である。また仕事で拘束されることない気楽さは収入のない生活不安と裏腹。その緊張の時に平常では得られぬ天啓に出会うことがあるかも知れない。その杞憂ともいえる瞬間を期待し日常を過ごそう。

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2015年7月10日 (金)

体験版 医療の現在⑧

 朝、雨は降っていないが、梅雨空の下、小学生たちが黄色い帽子を被って通学する姿が5階の病棟から見える。彼らや彼女たちは豊かな未来の可能性をもつ存在である。朝もっと眠っていたいのを母親に起こされいやいや起きて朝ごはんを食べ登校する。うなだれて歩く姿にそれが垣間見える。その可能性を子供たちばかりでなく多くの大人たちも日常生活では忘れている。病になり入院・手術し患者となり初めて、その可能性に気付くのだ。

 病棟の朝は食事の30分前に熱いほうじ茶のサービスで始まる。斜め向こうの病室の御老人は苦しさに毎度のように叫びだす。それも日常のひとこま。若い看護師たちの明るい声がそれを打ち消しありがたい。

 この病室には4人の患者が入れ替わり立ち替わり出入りする。アカショウビンが一番若いのではなかろうか。スペースは広すぎるくらいだ。ベッドもリモコンで枕元や全体の高さを調節できる。入院前から食欲の出てきた体調からすると物足りないが規則正しい食生活は体調回復には役立っているだろう。

 きのうの大腸内視鏡検査は大阪でやった時に比べて麻酔が適度に効き痛みは殆どなかった。ポリープが一つあったが切除せずに様子を見ることに。友人からの情報では機器はオリンパス製が多いそうだ。先日のもそうだった。ひところマスコミをにぎわしたメーカーだが技術は世界レベルである。アカショウビンも一眼レフカメラのアナログ時代の名器OM-1は欲しかった。現在の後継機種もいいが失業者には高価である。それはともかく世界的なカメラメーカーが内視鏡でも評価され採用されているのはよいことだ。しかし問題は扱う人間である。昨日とこれまでの検査の結果は本日の夕方、主治医のN先生から説明される。肺と大腸はたいしたことなさそうだったが問題は胃ガン、肝臓、腎臓である。不安がないといえば本当かと疑われそうだがあまりないというのが本音である。生還し多少の時間があれば娑婆での生には起承転結をつけられる。東日本大震災、歴史的には沖縄戦や原爆、南方戦線で戦いもせずに飢えて死んでいった兵士たちのことを想えば十分な検査・治療を受けられて満足しなければならないからだ。

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2015年7月 9日 (木)

体験版 医療の現在⑦

 昨日から本日の大腸内視鏡検査のため食事制限。昨朝は三分粥とスープ、オレンジ、昼は水のような粥とスープ、オレンジジュース。夜も同じ。味気ない。これでは気力・体力ともに活力が湧かない。きのうは午後3時30分の歯の治療予約を病院側の都合で早めてもらい1時に。数年前にブリッジで治療した歯の間が虫歯になってシクシク痛むのを治療してもらった。歯周病の治療いらいこの若い歯科医をアカショウビンは信用している。銀歯のブリッジを半分だけ麻酔を打ち治療した。それでも約40分、歯の治療は拷問の如し。胃の開腹となるとその比ではあるまい。果たして信頼できる医師はみつかるかどうか。

 2時間で飲み終えよという洗浄液をこれで4時間近く、やっと飲み終えられそうだ。しかし今度は便がでない。主治医の先生は便がなければ浣腸するという。それもいやだし何とか排便で済ませたい。看護師さんは身体を動かせとおっしゃる。

 他の病室からは高齢者の呻き声が時に叫びとなって聞こえる。痛みはなりふりかまっていられないのだ。治療して麻酔の効果がなくなった歯の痛みは昨夜は痛み止めで凌いだ。退屈は持ち込んだCDで紛らす。クラウディオ・アバドがロンドン交響楽団を指揮したメンデルスゾーンの交響曲全集、アリシア・デ・ラローチャのモーツァルト・ピアノソナタ全集など。それに保田與重郎の未読だった文庫全集第17巻の「長谷寺/山の邊の道/京あない/奈良てびき」、「原子力戦争」(田原総一朗著 2011年6月10日 ちくま文庫)など。とっかえ、ひっかえ聴いたり読んだりの検査入院費生活である。

 午後12時過ぎから便が水のようになり点滴を処置。ソルデム3A輸液、500mlを左手の甲から針を入れ注入する。アカショウビンの腕の血管は殆ど浮き出ていないのである。何しろ赤血球が常人の3分の1しかない。極度の貧血人間なのである。内視鏡検査までこれを引き摺りながらトイレも行く。何とも動きがままならないというのは不便なものだ。

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2015年7月 8日 (水)

死の先駆的覚悟に関して

 先日の記事で引用したハイデッガーの「カッセル講演」(後藤嘉也訳 2006年12月11日 平凡社ライブラリー)で、先駆的に死を覚悟する現存在について、もう少し詳しく読み込んでみよう。

 ハイデッガーは、可能性としての死を耐え抜き(耐え抜きには強調の読点が付されている)、この可能性にむかって先駆する現存在は、「そのとき、世界は崩壊し、崩れ落ちて無にな」(p99 4行~5行)った場に至る。そして、そこでは「世界をもとにして生きるという可能性を、私は自分自身にもとづいて終わらせなければな」(同9行~10行)らなくなる。

 そしてハイデッガーは、そのとき現存在の目の前には選択する(ここでも選択するに読点が付されている)可能性が与えられている、と述べる。現存在に世界をもとに生きる可能性はなくなり選択する可能性が与えられる。なぜならカントが見抜いていたように現存在の根本的意味は可能性であるからだ。自分自身を選択することによって世界という公共性のなかに迷い込んで自己を喪失している状態から自分を連れ戻す可能性が開かれているというわけだ。

 またハイデッガーは現存在が自分と選択を選択したということは、「決意している(ここも読点)《entschlossen sein》ということを意味すると言う。それは死ぬ決意ではなく生きる決意だ、と。さらに決意しているということは、責任を選択する(ここも読点)ことである、と。この一連の言説は難解で飛躍があるように思える。

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体験版 医療の現在⑥

 月曜日に行った胃のバリウム検査で飲んだバリウムが便秘で排出されず往生した。3度に分けて飲んだ下剤がまるで効果なし。昨日から少しずつしか排便できず。今朝やっとかなり出た。夜中に同部屋の手術したばかりの患者さんが苦しがりナースコール。たまたま目が覚めていたが嘔吐、脱糞の音で眠られず。部屋に異臭が漂う。手術後の苦しみはかくの如し。ひと月せずに次は我が身を襲う。便臭は母の介護の時いらいだ。亡くなる前にホスピスで手厚い介護を受けながら意識が失せて排尿、排便もままならなくなった。その時を思い出した。次はアカショウビンの番だ。

 友人からのメールで胃カメラの性能は10年前に比べると格段に進歩しているらしい。それは先週の2回目の検査で実感した。NBIという機械を導入した病院で今月末に検査するという。福岡は1800円で安いらしい。こちらの医療費はどうだろうか。会計の数字を見るのが怖い(笑)。胃カメラはともかく明日は大腸の内視鏡検査。数年前に大阪の大病院でやった時は痛みがきつかった。その後の機械の進歩を見るのは楽しみであるが痛いのは簡便願いたい。今朝の胸部CTの機械はSIEMENSE製だった。最新の機械のように思えたがほんの10数秒の検査で検査料は高い筈だ。入院して1週間。何度レントゲン、CTをやったろうか被曝量は大丈夫か。

 差し迫ってきている問題は手術をどこで行うかだ。この病院の看護は手厚い。しかし肝心なのは施術する医師とチームだ。これからあれこれ調べ決定せねばならぬ。

 それにしても大変なのは看護師たちの仕事だ。患者の嘔吐、排便の世話、便の様子まで見るのは何とも頭が下がる。それは母の時もそうだった。アカショウビンも手術のあとはそうなる。しかしまだ身体が動く間にできることはしておくに如かず。先年亡くなった棋士の米長邦雄(敢えて故人の継承は略させていただく)が生前語っていた。タイトルを取ったときは存分に笑っておけ。取られた時に泣くことになるから。その顰に倣えば、アカショウビンも手術の前の検査ではできることをどんどんしておこう。手術が手遅れとか失敗とか成功してもしばらくの痛みと苦しみは、いずれやってくるのだから。

 この病院ではテレビを見るために千円のカードを買わなければならない。それで見られる時間は7時間余。それに衛星放送が見られない。朝のNHKの「あまちゃん」の再放送が見られないのは残念。音楽番組や映画など見ていたら7時間はすぐに過ぎてしまう。

 本日は駅近くの歯科医へ虫歯の治療。歯周病の箇所は小康状態だが反対側の上の虫歯の痛みがきつい。先日は痛み止めで凌いだがきょうは何とかしなければならない。

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2015年7月 7日 (火)

幻影の人

 昨年だったか、ここ数年か、西脇順三郎の「旅人かへらず」を注釈をしながら精読しようと思いたったことがあった。社会人になり最初に勤めた音楽事務所を辞めアルバイトで食いつないでいた頃に、この詩人の作品は全部読まねばと心に決めた。『詩と詩論』は古本(筑摩書房 昭和50年)で揃えたが未だに全巻読み切っていない。少年の頃から学生の頃に戦慄した詩と詩人といえば宮澤賢治と吉本隆明、西脇順三郎といってもよい。しかし吉本は定本詩集いらい読んできたのは思想論、評論が殆どだった。余生の日に此の世の残りの時間は西脇を読むことに費やすのも天の声かもしれない。そこから賢治の未読の詩を読めば娑婆での時間はいくらか充填され冥土への土産になるかもしれぬ。

 西脇の〝はしがき〟によれば自分の中には種々の人間がひそんでいて、「まず近代人と原始人がゐる」。「ところが自分のなかにもう一人の人間がひそむ」。それを詩人は「幻影の人」と呼び、永劫の旅人とも考える。西脇はそれは原始人以前の人間の奇跡的に残っている追憶であろうとして、永劫の世界により近い人間の思い出であろう、と記している。

 昭和22年8月20日出版されたこの作品は保田與重郎の散文と共に戦後まもなくの詩人の作品としてアカショウビンの生涯の通奏低音として響き続けている。人が死に向き合う時に<私>とは何か、と同時に<死>とは何か、と問うこともあるだろう。ハイデガーは先に引いた「カッセル講演」でハイデガー哲学の専売特許ともいえる有名な〝死の先駆的覚悟〟という耳慣れない用語を次のように聴衆に説明している。

 可能性としての死を耐え抜くということは、死が純粋にありのままのすがたで差し迫るという仕方で、つまり、いつなのかは未定であり、来るという事実は確実なものとして差し迫るという仕方で、死を現にもつということです。この可能性を可能性として成立させるということは、この可能性を実現する―たとえば自殺することによって―ということではありません。そうではなくて、この可能性にむかって先駆する[自分の前にあるこの可能性にむかって走る]ということなのです。(「カッセル講演」p98~p99)

 これでもハイデガーの言おうとしていることは難解かもしれない。続いてハイデガーは日常的な感情で言えば絶望的なところで人には二つの選択がある、と述べる。

 現存在は、世界のうちで自分が出会うものにもとづいて決断するか、それとも、自分自身にもとづいて決断するか、どちらかの決断を下すことができるのです。

 そして次のように述べる。

 現存在の根本的意味が可能性であり、可能性そのものを存在しとらえることができるという点にあることを、カントは見ぬいていました。(p100)

 「幻影の人」とは西脇という詩人が可能性そのものを、旅人=〝水霊〟として存在しとらえた作品ともいえる。かつて暗誦した最初の一節を認知症が進む前に書き留めておこう。

旅人はまてよ

このかすかな泉に

舌を濡らす前に

考へよ人生の旅人

汝もまた岩間からしみ出た

水霊にすぎない

この考へる水も永劫には流れない

永劫の或時にひからびる

ああかけすが鳴いてやかましい

時々この水の中から

花をかざした幻影の人が出る

永遠の生命を求めるは夢

流れ去る生命のせせらぎに

思ひを捨て遂に永劫の断崖より落ちて

消え失せんと望むはうつつ

さう言ふはこの幻影の河童

村や町へ水から出て遊びに来る

浮雲の影に水草ののびる頃

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2015年7月 6日 (月)

体験版 医療の現在⑤

 午前9時過ぎに呼ばれ地下の放射線室へ。主治医のN先生が自ら器具を操作しレントゲンを撮る。何度かに分けてバリウムを飲む。N先生の指示で身体をあっちへ向けたりこっちへ向けたり。何度か身体を2回転する。胃カメラで見た画像を全体で外から把握したいのだろう。以前、会社の定期検診でやったのとは違いかなり細かく写真を撮っている。機器のメーカーは東芝製。操作ハンドルなど見ていると最新式かどうか疑わしい。部屋に設置されているスピーカーは古い。昭和30年代ではあるまいが20年以上前のものではあるまいか。この病院の開設時期はいつなのか後で調べよう。何度も放射線を照射されて被曝量は大丈夫だろうかと不安もよぎる。

 機械操作をしている姿を見ているとゲームセンターで子供たちが夢中にゲームに興じている姿を思い起こす。それは大阪のS病院で大腸の内視鏡検査をした時も同じだった。二人の若い医者が画面を見ながらハンドルで内視鏡を操作し痛みにこちらが声をあげると「静かにしてください」と制止された。この野郎と思ったがこちらは立場が弱い。やさしい看護師さんがアカショウビンの背中をさすって荒れる気分を和らげてくれた。

 かように患者の立場は弱い。しかし治療する医師は人間として患者の痛みに寄り添い声をかけねばならない。その訓練がどれほどされているのか心もとない。大阪のミッション系の病院で最期を迎えた母の治療はありがたいものだった。キリスト教の精神が治療の根本にあり治療体制に組み込まれているのだろう。熱烈な仏教徒だった母からすれば異教徒の病院で最期を迎えるのも皮肉な巡り合わせというものだったが。それは仏教でもイスラム教でも多くの宗教を含めて、その精神とは痛みの治療から死生観まで含むものである。それには医学的知識だけでなく哲学・宗教的なレベルの修練が必要だ。そこには東洋医学との歩み寄りという局面もでてこよう。ここは現代医療にとって想像以上に重要な観点だと思う。

 病室に戻り下剤を処方される。テレビの電源を入れ女子サッカーの結果を見ると予想通り敗戦。前半早々の4点のハンディは大きい。しかしここまでよくやった。今度はオリンピックの晴れ舞台で負かしてやれ。

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我が目を疑う

 今朝も病院の外の風景は雨模様。きょうで3日梅雨空だ。今朝は胃のバリウム検査(MDL)のため朝食抜き。透視検査と書かれている。胃の薬は中止。肌着、靴下を脱いで検査着に着かえる。7時前に採血も。左腕の血管が薄く右腕もだめ。看護師は何と左手の甲からとった。初めての経験である。

 本日は女子サッカーの決勝戦。朝の8時からというので10数分過ぎにテレビの電源を入れると何とアメリカに4点取られている。唖然。1点、2点で争うサッカーで野球のような点が10数分で入っている。素人眼にも、こりゃダメだと画面を横目で見ながらいると1点返した。しかしゲームは明らかにアメリカが押せ押せである。もう前半は38分を過ぎた。せめてもう1点入れれば。

 主治医のN先生がきて検査の確認で来室。テレビをちらりと見て立ち去った。

 

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2015年7月 4日 (土)

S(N)さんの火葬祭

 外出許可を取り知人の火葬祭で小田原市斎場へ。小田原駅からバスで36分。山の中の斎場である。民間の斎場のような人工的で塵ひとつない清潔感はなく待合室は花壇の前にあり周囲の自然に溶け込もうとするような風情。家名は呼びなれたSさんではなく本名のN家になっていた。別居していた家族も訪れ、ご長女は火葬前の棺に横たわる父親の姿を見て激しく泣きじゃくった。生前の故人の話では夫人を一方的に怒鳴りつけ別居になったらしい。家族というのは上手くいっていれば幸せだが崩壊すると一人一人が家族の人数分だけ負担を負う。彼は薩摩隼人の意識の強い人だった。夫人は葬儀に訪れなかった。よほど愛憎なかばしたのだろう。ジャーナリストの立場も保守と云うより自分で「おれは右翼だ」と公言し持論というより酔うと身勝手な言説をいつも捲し立てる人だった。そのあたりの議論ではアカショウビンとはいつも対立した。アカショウビンは左翼ではない。しかし頑なな保守・右翼主義からすれば左翼のように見えるのだろう。それは茶化していえば首相と同じ〝おっちょこちょい〟でアンポンタンである。

 それは、ともかく父君が復帰後に奄美の市長を務められたことが縁で島の話になると面白くアカショウビンの話に嬉しそうに反応した。頑固だったが人の良さで多くの人に愛された人だった。寝耳に水の急死の報で義理を欠くまいと赴いた知人友人だけの質素な葬儀だったが、これからアカショウビンも冥土への旅支度をしながら死とは何かを古人の考え、思想を絡めて問うていきたい。

 そこで入院の退屈を凌ぐために持ち込んだハイデガーの「カッセル講演」(2006年12月11日 後藤嘉也訳)を拾い読みで再読。「存在と時間」を出版する前の1925年に行われた同書の簡約版とでもいえる講演起しである。当時哲学界で大きな話題になっていたディルタイの〝生の哲学〟の功績と限界に論及しハイデガーの新たな現象学を公にした豊富な内容をもち繰り返し読んで飽きない。先日から第7回講演の「人間の根本規定としての時間」(1)を読んでいるが実に面白い。Sさんの急死と棺の姿を見て新たに人や自らの死を考えるなかハイデガーの死への論及が刺激的だ。「人間の現存在の全体性は、どうすれば与えられるのでしょうか」(p91)と問うハイデガーの講演を聴衆はどのように聞いたのだろうか。「存在と時間」ほどには難解ではないがハイデガー独特の用語は聴衆に十分理解されたとも思えない。しかし著作を理解するうえで本書は翻訳者の注釈を含めて講演内容と「存在と時間」の構想したものを理解するうえで水先案内の役割をすることは間違いない。

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2015年7月 3日 (金)

知人の急逝

 きのう、きょうとどんよりとしたくもり空。病院の5階から眺める遠い景色は霧でぼやけている。雨がかなり強く降っている。入院以来、外へは出ていない。7月という月のイメージにはそぐわない外の景色だ。梅雨といえばそれまでだが。

 今年は3月で会社を退社する前に二つの弔いに出席した。いずれも業界でかかわりのあった社長だった。一人は高齢で天寿ともいえた。もう一人は70を過ぎたばかり。男の平均寿命からすれば少し早い死だった。お二人とも棺の顔は何ともちんまりして生前の面影がかすかに残っているだけだった。

 明日は先日急死した知人の葬儀に行くかどうか考えているところだ。北関東から小田原まで入院している身には少しつらい。しかし義理は欠けない。無常という仏教用語のもつ内実を現実と照らし合わせ我が身の行く末を介して考えてみたくもなる。

 とりとめもない記憶が断片的に脳裏に浮かぶ。入院する前に何本か観たレンタルDVDで市川 崑監督の「日本橋」がよかった。昭和31年の大映映画だ。原作は泉 鏡花。鏡花の作品などいくつかしか読んだことはないが市川監督は見事な映像として拵えた。物語は下町の芸者の話だが淡島千景、山本富士子を実に上手く撮っている。キャメラの色彩感覚も渋く艶やか。淡島が化粧を整えて狐の嫁入りのように白い衣装で座敷に出てくるワンカットだけで唖然とし市川監督の力量を直感する。こういう作品がDVDとなって見られることは実にありがたい。

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2015年7月 2日 (木)

体験版 医療の現在④

 入院2日目。昨夜は午後10時の就寝いらい排尿で2度目覚めた。断続的だが睡眠時間は十分だ。本日の胃カメラ検査のため朝食は抜き。朝の8時にお茶が出る。

 ここで先日の1回目の胃カメラ検査の後に処方された錠剤の名称を書きとめておく。3度の食後に1錠飲むのがレバミピド錠100㎎。胃の粘膜を保護し組織を修復する。胃炎、胃潰瘍の治療に用いる。一日一回、夕食後に2錠飲むのがクエン酸第一鉄Na錠50㎎「サワイ」、鉄50㎎。鉄欠乏性貧血の治療に用いる鉄剤。そして就寝前に飲むのがラベブラゾールNa錠10㎎「杏林」。胃酸の分泌を抑える。胃潰瘍、十二指腸潰瘍の薬。消化管潰瘍の治療に用いる。ヘリコバクター・ピロリ菌の除去の補助に用いる。

 この3種類の錠剤を6月19日以来まじめに飲み続けている。かゆみ、発疹の副作用が出たが2~3年前に肝臓の治療で飲んだタチオン錠ともう一つの薬を飲んだ時の脛と足指に現れた重度の浮腫みに比べればたいしたことはない。もう14日間飲み続けているが効果のほどはいかに。ともかくこれから2度目の検査で或る程度それはわかるだろう。

 それにしても2~3年前に会社の定期検診で念のために追加検診で胃カメラをやった時には胃潰瘍くらいでガンの指摘はされなかった。それに機器も今回のものと比べれば実に軽装備だったように思う。今回の機器は、おどろおどろしいくらいの装備だ。それに若い医師の顔つきを見ていると信用できない。我が身は実験台のようなものではないかと疑う。それは10年前に初めて大腸の内視鏡検査・手術をやった時も同じである。聞けば開腹手術より内視鏡手術のほうが医師の技術に幅があるそうだ。熟練した医師に施術してもらうにこしたことはない。しかし医療大国で中高年が年々増えるなかで患者の数も増える一方で名医に施術してもらう機会は少ないだろう。それは仕方あるまい。アカショウビンも2週間の検査のあとに開腹手術をどの病院で行うか決めなければならない。それはこの2週間の経過で判断する。医師や看護師は患者を観察しているだろうが、患者も彼らや病院を観察していることを忘れてはならない。

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2015年7月 1日 (水)

みやらびあはれ補稿

 保田與重郎は半島の軍病院で〝瀕死の重患〟の渦中に老子を読んで入院の無聊を凌いだ。(p35~)その時にふと佐藤惣之助の歌の一節を思い出す。

 「一つの歌の全體ではなく『そらみつ大和扇を』かざしつゝ云々といふ上句の初句と、結句の『みやらびあはれ』とであつた。その二句だけで、あとはどう考へても確かな氣持ちとしては思ひ浮かばなかつた。歌のこゝろは、そらみつ大和扇をかざし舞ひつゝ、歸る旅人に、再度この島を訪れ給へとくどくのである。みやらびは沖縄で、をとめを呼ぶことばであつた。「(p36)

  軍隊生活をほとんど軍病院の病舎で過ごしていた保田は沖縄の戦況を半島の病舎で知る。「殆ど死の状態をさまよつていた。人間のあらゆる生理的機構が、あれほど全面的に無慚にくづれるものであらうか、身體のあらゆる部位が一様に停滞し、所謂瀕死になる」(p30)。

 その軍病院で会った一人の軍医が沖縄の人だった。保田の症状は貧血で血液が尋常の人の場合の3分の1位の濃度に減少していた。これには些か驚いた。というのも、アカショウビンの場合も体調不良で赴いた病院の血液検査で赤血球が平均値の約3分の1と告げられたからである。「朦朧とした危篤状態の中で、私は無言で沖縄沖縄とつぶやいてゐた」(p31)。沖縄の思い出を辿るなかで保田は那覇の港に船が入っていく時に町の赤い瓦を思いだす。その瓦屋根は沖縄戦で殲滅された。こうして保田の回想の中で在りし日の景色が読む者の脳裏に刻まれる。「熱帯性の自然のきらびやかな色彩の中で、ことに輝かしく見える」(p31)。ヤマト(内地)の人々にとってもっとも印象的なものが南島の自然だろう。それは奄美へ移住した島尾敏雄や田中一村にとっても同じだったと思われる。

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体験版 医療の現在③と知人の急死

 本日より市立病院に入院。5階病棟からは以前、富士山が見られたという。本日は雨。いつもは自転車で往復しているのだが、きょうはキャリーバッグとリュックサックを背負ってバスで来た。4人部屋は広く快適。隣のベッドはきのう退院して空いている。他の病棟を回るとけっこう空きベッドが多い。あまり評判がよくないのかなと不安にもなるが、あまり慌ただしいのも困る。入院者が少ないというのはよいことでもあるのだ。それはともかく、これから約2週間の入院生活が始まった。

 先日は歯の治療で駅近くの歯科医院へ。6月8日の夜から左下歯に激痛。一晩で左の頬が人相が変わるほどに腫れた。翌朝、駅近くの歯科医院にとびこんだ。診察の結果は歯周病。病名は聞いていたが、こんな劇症とは初めて体験した。とにかく左下の歯茎が腫れて虫歯もあるという。治療中に膿を出し現在は小康状態。この院長は診察も物腰も言葉も実に丁寧。それより驚いたのはレントゲン写真で説明する画像のわかりやすいこと。歯周病が患部から下顎まで浸潤しているのがよくわかった。歯科医療技術の進歩は日進月歩といってもよいことを実感した。

 ところが今度は市立病院で検査したら胃ガンで開腹手術という宣告。何とも目まぐるしい展開に振り回されている。失業の身で求職活動もできなくなった。月々の支払い、家賃、治療費、入院費は債鬼のように迫る。午後に院長の巡回回診というのがあった。医師や看護師を引き連れて殿様行列のようなものだ。しかし、その振る舞い言動を見て信用できそうな人ではない。親しみやすさを演出しているのが見え透いている。人は還暦を過ぎるとたいがいの事に疑り深くなる。もちろん聖人君子のような方もおられるであろう。しかしアカショウビンのような俗物は経験が人格を育てていない。愚かなりわが人生である。しかし、それをいまさら悔いてどうなるものでもない。悔い改めよ、は異教の命言である。異教徒は粛々と冥土への旅の準備を進めるだけだ。

 そんなこんなで慌ただしいなか知人から急報が入った。共通の友人、先輩でもあるSさんが昨日か、一昨日亡くなったという知らせ。先々週もメールで遣り取りしていたから病気ということはない。自殺か事故を疑った。知人の女性からは少し詳しい話が聞けた。どうも脳梗塞かクモ膜下出血、心筋梗塞を疑っていた。しかし検死の結果は未だでていないようだった。大手通信社の記者から、フリーのジャーナリストに。アカショウビンとは思想信条の違いで激論、喧嘩もしたが広い人脈で様々な人々に会わせてくれた。70歳を過ぎたくらいではなかったか。やり残したことは多かったと思う。残念だ。Sさん、アカショウビンもあとどれくらいの余生か知りませんが冥土でまた激論交わしましょう。

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