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2015年6月14日 (日)

ミナマタ

 石牟礼道子さん(88)の 「苦海浄土-わが水俣病」が出版されたのは昭和47年12月15日。本日の毎日新聞の1面の朝刊は石牟礼文学二人三脚」の見出しで写真に石牟礼さんと渡辺京二さん(84)の写真。2面には不敵な面構えの若き石牟礼さんの写真も。「苦海浄土」の初稿は「海と空のあいだに」で、渡辺さんが編纂する「熊本風土記」に掲載されてから50年ということだ。アカショウビンが所有している文庫本は数度の引っ越しでボロボロ。水俣病は「チッソの工場廃液により集団的に発生した。利益偏重の高度経済成長のひずみが生み出した悲劇である」(記者)。その悲劇の舞台で石牟礼さんは昭和のジャンヌ・ダルクとも称されたとは初めて知った。それは2面の写真を視ると納得する。正に闘士の眼付である。

 記事は渡辺さんとの師弟とも同志ともいえる交流にスポットライトをあてている。この日本文学に画期的な杭を打ったともいえる作品は正しく二人三脚で仕上げられた。アカショウビンは平成4年に完成された「新装版 苦海浄土 わが水俣病」で改めてこの作品を読み直し世界史的な犯罪を改めて確認した。1968年12月21日未明に記されたあとがきのなかで著者は「そこで私たちの作業を記録主義とよぶことにする」(新装版 p360)と記している。これが世界的なレベルに達する石牟礼文学を切り開いたのだ。2面のモノクロの写真とカラーの現在の姿を比べると人間という生き物の存在の不可思議を探求する衝動に駆られる。

 吉本隆明亡きあと日本有数の思想家である渡辺京二が水俣病闘争を戦った時の当時のエピソードがさりげなく記者によって紹介されている。「このあいだ、私が水俣病闘争の初期にあなたに書いた手紙が2通出てきた。一緒に破滅する覚悟はできとります、と書いてあったよ。ハハハ」。師弟・同志は、そのような会話を交わしながら日常を生きている。その共時的な現実に私たちも共振しなければならない。

 先日、市立図書館で新書の「田辺元とハイデガー 封印された哲学」(合田正人 PHP新書 ㈱PHP研究所 2013年12月2日)が眼にとまり拾い読んだ。発刊された時に読んだ記憶もあったが再度眼を通した。封印された哲学という副題には師弟ともライバルとも見なせる優れた哲学教師の業績に対する現在の評価が含まれている。二人ともナチズムと日本軍国主義に加担し若者を戦場に駆り立てた悪名高き哲学教師という世評だ。当時のそれぞれの論考を著者は丹念に辿り、世評と事実がいかに相違し誤解、誤読されているかを明らかにしている。田辺は師が西田幾多郎である。同時に哲学者としてはライバルである。その経緯も面白い。田辺がドイツに留学しハイデガーに注目し、その論考を西田に紹介したらほとんど関心を示さなかったらしい。

 著者はエマニュエル・レヴィナスの翻訳者である。レビィナスはハイデガーの教え子である。田辺は丸山眞男ら戦後の大学教師たちからすればマスコミからはまったく干され、それは保田與重郎とも同じ晩年を過ごした人である。その戦前・戦中・戦後の哲学史の一端がこの著書で読み取れる。しかし、それも一部である。田辺はハイデガーを師ともライバルとも見なし、西田ともすさまじい論争を展開している。その一端が浮き彫りにされている。

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