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2015年6月23日 (火)

無限の網(続)

 著者は「世界の超越」ということで、田辺が念頭に置いていたのは、ヤスパースのいう「包括者」のことだろう、という。そして田辺は、これを端的に「他者」と呼んでもいる、とも。レヴィナスに先だってハイデガー哲学を「他者の不在」、「他者消去」と符牒を貼ったのは田辺である、と指摘する。その発想が興味深いとして引用するのが1949年の『哲学入門』だとして同書の一節を引用する。
 本来絶対はちやんと、纏まった、閉鎖して締括ることのできるやうな袋ではない。無限な網なのです。網はどこにでも穴が開いている。だから網はいかに口を締めておいても実はなんにもならない。何でもそれを出たり入つたりすることができる。すなわちその限りにおいては、網は袋が閉鎖的であるのに対して開放的である。網は自由に出たり入つたりすることができるものです。われわれはさういふ網の中にいる。袋の中に、いかに無限であるから動く余地があるとしても、相互の位置秩序を定められ自分のあり場所を決められて入つてをるといふやうなおとなしいものではない。われわれはもつと始末に終えないてん倒者なのである。網の中にいるがいつでも網の外に出ようとしている。足を半分出したり、手を半分出したりして網から外にはみだしている。しかし網はやはり外には出さないで内にはひるやうに仕向けている。網はちゃんと決つた形で、この位置にはこれ、あの位置にはあれ、といふ秩序立てはしない。網はそれこそ中へ入つてをるものが動くままに、足を出しさうになると足がこつちにはひるやうに、みづから動いていき、首を出さうとしてをるものがいると、上からそれを被ふやうに動く。網は網自身としてどうでも自由に中のものに応じて動き、その開放性を維持しながらしかもそれから出ようとするものを決して外へ出さないやうに摂取する。みづからの中へ収め取る。さふいふ働きをしてをるのが網である。それは袋の閉鎖性とは違う。網には自分の固有な形とか限界とか、またその内部の位置とか秩序とかいふものはないともいへる。無限な網。締括りも何もない。締括りしてもいくらでも出られるから開放的なのです。しかもみづからの内部のものを局所的に被ふやうに動き行くことによつて、これを外にださず、どこまでも内に収め取る。さふいふ網が無即愛の絶対に対する譬喩になるでせう。さふいふ網に摂取されている現実がいはゆる絶対現実である。
 しかし更にこの網の譬喩でもつてもうひとつ考へられることは、われわれは、ただ網の中に入つてをるだけではない。われわれはみづからが網の結び目になつて、私以外の外へ出ようとするものを、例えへば首を出さうとするものがあれば、網の目たる私みづからが動いて行つて局所的になんとかそれを中へ入れるせうにとする。さういふように、われわれは自身が網の結び目であることによつて、網の開放的に包むといふ働きに協力し参加するといふこと、さういふものが人間としての私の、絶対に対する関係といふものではないかと思ふ。だから網は結び目同士、連帯的な関係あるといふことにおいてのみ、網の結び目たる役目を果たすことができる。(同書p181~182)

 ヤスパースが「包括者」というものを田辺は自らのイメージと言葉で説明している。敬虔な信仰者であったヤスパースが「神」といわず「包括者」という概念で思索を深めていったように、田辺も戦後は〝懺悔道〟として思索した。

 それにしても面白いのは「包括者」という概念は老荘思想には通じまいか。ヤスパースはインド哲学を研究しているから中国哲学にも多少の理解があったかもしれない。「天網恢恢疎にして漏らさず」という〝世界〟の理解の仕方は何やら響き合っているように思える。ハイデガーの<世界・内・存在>にしても荘子をヒントにしたという指摘もある。田辺の〝無限の網〟にしても、海の中で生きる魚族や、それを捕獲し自らの命の糧とする人間の関係性をイメージ化し、それはひいては宇宙の中でそれぞれ存在する銀河系や太陽系などを統御する存在とし〝包括者〟や無限は考察する面白さを秘めているように思える。著者の合田氏は田辺の無自覚の作為のような戦後の論考を批判している。それは大戦を経ても戦前も同じ構造で継続しているとも。合田氏や内田樹らレヴィナスなどのフランス思想研究家たちが田辺やハイデガーを介して洋の東西の思想・哲学交流を検証し新たな境地を探索していることは悦ばしい限りだ。しかし彼らが生涯思索し続け格闘してきた問いと真理は未だにハイデガーの言い方をすれば「明るみにだされていない」。ひとつの可能性は田辺が期待した大乗仏教だろう。しかし宗派抗争を超えて、その可能性を現実化するには道半ばにして遠しの感は否めない。田辺は京都という風土から西田や鈴木大拙らと禅を通じて仏教哲学の果実を更に追求した。それはさらに後に続く者たちが更に探求しなければならない責務である。

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