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2015年6月25日 (木)

みやらびあはれ再考

 23日が沖縄慰霊の日というので首相と知事を肴にマスコミが報道し識者が喋々しているのを苦い思いで見ながら保田與重郎の「みやらびあはれ」を再読しようと思い立った。保田が沖縄を訪れたのは昭和14年だったか、と昭和22年7月1日に誌すとされているこの文章を書いている時に保田は回想している。この文章は保田與重郎文庫15巻(新学社 2001 年)「日本に祈る」に収載されている。ただし原文の引用は旧仮名遣いにしたがうが旧漢字の書体は現在のもので代用する。

 旅の一行は、柳宗悦、棟方志功、濱田庄司といった民藝の諸氏。「みやらび」という琉球語をタイトルにしたこの文章で保田は、入院していた軍病院を退院して朝鮮半島の零下20数度の高地から暖かい平地の宿舎へ移転してきた頃のエピソードから書き出す。保田の文人としての気概は「無くなってゆくもの、敗れ去ったもの、亡びゆくゆくもの、それを描きとどめ、描きとどめた文章の力によつて、亡びゆく雑多を悲しみ葬り、大筋を支へ守るといふことは、古来から詩人の務と任じたところである。詩人は勝利の記録を描く御用作家と両立せぬ存在であった」(同書p12)という箇所に記されている。それは戦前・戦中に書いた芭蕉や後鳥羽院から学び骨の髄まで沁み込ませた保田の基本姿勢、基本理念の如きものである。芭蕉は文章は遺言である、と云っていると自らの書くものに血を通わせる気迫を込めた。

 戦後の日本人の変貌を憂えた保田の嘆きは続く文章に読み取られる。

 「日本人の趣味は、最も美しく正しいものと信ずるもののいのちを象り、相手と一體となり、かつそれに敬虔に仕へてゆく気分心持から生れるのである。この浪曼的な心情を、封建的な気分の名残りと云ふ者は、覇道への臣従と人倫の願望を混同し、封建を維持してゆく覇道の実體を、実生活に於て了知せぬ残薄者であり、覇道との戦ひから生れた、この趣味の実體をさとらず、これを今日の状態で見れば、今日のあらゆる精神の犯罪と罪悪の、根柢をなしている覇道の、実體を見定め得ぬ軽薄者となるのである。今日の課題は、最も低い覇道と戦ふこと以外にはない」。

 敗戦直後の日本の現状をこのように保田は嘆く。そのような〝教養者〟の姿を保田は「ひすてりい(読点で強調)」と唾棄しその原因を信仰の欠如と指摘する。「信仰状態の欠如といふことがその原因であつた。思ふに近来の心ある日本の文人の負ふべき、負目の最大のものは、実にここにあつたと云ふべきである(同書p13)。

 保田は帰国が決まった頃の心境を「この世の修羅の中へ帰る心に、むしろ天上へ帰るが如きおもひであつた」(同書p15)として「私は天上と地上を瞬時に往来するものの自覚を味つた」と記す。

 戦後の現在を生きるわれわれは肉親の遺言とは異なる戦争を通過した文人の遺言の何たるかを読み取らねばならない。時の〝おっちょこちょい〟首相が国を誤らせるのであれば国士が出てそれを諌める筈だ。その国士はどこにいるのだろうか。敗戦の無残から戦後を生きた保田の思索と論考は腑に落とさねばならない。それは歴史と深く対峙し、それを我が身に収めることである。「みやらびあはれ」は日本を語り沖縄を語る。その日本を語るところが保田の真骨頂である。私たちは現在の沖縄と共振しながらこの論考を通し日本を考えさらに世界を考えていかねばならない。それには田辺やハイデガーの論考、言説も読み解きながら今を生きていることの意味を探っていきたい。(この稿続く)

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