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2015年1月 1日 (木)

新しい年に

 還暦を過ぎて余生を生きる渦中に「門松は冥土の旅の一里塚」という句は心身で納得する句である。大晦日から新年にかけてはレンタルDVD三昧と、先ほど終わったウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのライブ演奏で過ぎた。

 DVDは、昨年逝った高倉健さん(以下、敬称は略させて頂く)と菅原文太出演、主演の作品を再観して過ごした。他にも洋画と邦画を幾つか。本日は未明に森田芳光監督の遺作「僕達急行 A列車で行こう」を観た。体調の不調のせいもあったのだろう、少し物語の展開のテンポの冗長さを感じた。しかし幾つかのカットは森田とキャメラスタッフらしい見事な映像が楽しめた。日本映画は戦後の川島雄三や優れた才能を若くして失い森田の早世も痛恨の極みだ。健さん、文太にしても日本映画の傑出した俳優の死は時代の変遷を痛感する。しかし80余年の生涯は早世した川島や森田の早すぎる寿命からすれば以って瞑すべしだ。

 戦後の日本は、復興と高度成長時代の中で映画という娯楽が民衆の力を励起してきた事を同時代を生きた者として実感する。アカショウビンは特に幕末から維新、明治、大正、昭和の歴史事実を幾つかの資料や映像で学んできた。東映任侠、ヤクザ映画もそうである。もちろん外国映画も。それは歪で矮小な世界かも知れぬが世界という用語を使えば正しくそうである。最近の日本映画への様々な意見はアカショウビンにも言い尽くせないほどある。それはさておく。今後も随時感想は述べていくつもりだ。

 ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは途中から観た。指揮のズビン・メータは何年かぶりだ。指揮者として名匠の域に達しているのだろう、オーケストラとの遣り取りには旧友再会の趣もあった。それにしても映像で観たウィーンの街の姿には近代化と画一化を痛感した。良くも悪くも西ヨーロッパが世界を支配していった時代にウィーンは象徴のような都市である。戦火のなかで西洋音楽の象徴として洋の東西を問わず音楽好きの人々が訪れる。会場も新年の祝賀に満ちた指揮者とオーケストラメンバー、聴衆との交流が微笑ましい。われらが小澤征爾にも存命中に再度のお呼びがかかってほしいと切に思う。小澤という人と同時代を生きられる喜びは日本人として音楽好きとして恐らく音楽だけでなく、人と音楽というテーマで展開できる。それは小澤氏と村上春樹氏の対談を読めば多くは語られ文字にされているともいえる。しかし恐らく小澤という人の生涯と全貌はそれで尽くされるわけでもない。後進は育ってきている。しかし小澤という日本人として傑出した指揮者は歴史に刻み語られ続ける存在だ。

 暮れには2002年のサイトウ・キネン・オーケストラとのベートーヴェンの第九のライブCDも中古で購入した。改めて昨年購入したマーラーの第九とも併せて聴き新年のエネルギーを充填しよう。

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コメント

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

ところで、岩下邦夫さんが亡くなっていたとは知りませんでした…

投稿: 田島高広 | 2015年1月 5日 (月) 午後 06時02分

 こちらこそ。岩下さんは昨年の春だったね。もっと長生きされると思ったけど残念だった。そちらも頑張って良い年にしてね。こちらは何時でもあちらに行く覚悟は出来ているよ(笑)。

投稿: アカショウビン | 2015年1月 8日 (木) 午前 12時13分

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