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2014年12月 2日 (火)

われらの時代

   いつまでも人生は続くわけではない。アカショウビンも既に還暦を過ぎた。われらの時代は、いつのまにか舞台が回り退場を督促されている。往生ぎわよく去る覚悟は出来ているがままなるものでもない。

   先日は俳優の高倉 健(以下、敬称は略させて頂く)が逝き、菅原文太も逝ってしまった。一時代を風靡したスターも金はあってもいつまでも生きていられるわけではない。百歳を過ぎあと10年生きているかもしれないと思った呉清源も亡くなった。それは或る時代の終焉を実感させる。その変化を俯瞰できるのは天の眼のみである。人間どもは、あくせく足掻き、世を去るのだ。

   昨夜は、10月に訪れた長野県の飯山での稲の収穫でお世話になった面子の飲み会に参加。写真も配り旧交を温めた。来年は田植えに来て頂きたいということだが、来年まで生きていられるか定かではない。しかし小布施の北斎館は何度でも訪れたい。もう改装で休館しているかもしれないが来年の田植えの頃は新装なって新たな作品に巡り合えるかもしれない楽しみはある。

   娑婆の生は一寸先は闇である。 それにしても健さんも文太も呉 清源も長寿で何よりだ。大往生と言ってもよかろう。文太は引退したが健さんは最期まで現役。呉師も囲碁への情熱は最期まで継続した。なかなか出来ることではない。アカショウビンなどは早く娑婆にオサラバし憂き世から次の浮世に生まれ変わりたいのだが、観たい映画や読んでおきたい書物、聴いておきたい音楽は多少なりとも残っている。それだけが余生の楽しみだ。

   先日はフルトヴェングラーのベートーヴェンに改めて挑発された。先日訪れた上野の西洋美術館ではティツアーノのサロメなどを再見し改めて感服した。健さんの映画もあらかた観たが観残している作品もある。本日は仕事先で講演会を拝聴。和歌山カレーヒ素事件の新聞記事なども紹介している。陰惨な事件はなくなる事はない。ことほどさように、紛争、戦争も絶えることはない。それからすると、経済的には日本は実に豊かな国なのだ。しかしローマも滅びた。大英帝国も凋落する。日本文明もいつまで存続するのか。

   それはともかく、読み残した本は多い。かつて開高 健は中東の諺を引き「すべての書物は書かれた」と書いていた。しかしアカショウビンが読んだものは、そのうち極くわずかだ。そのように娑婆を生きる楽しみは未だ残っている。その幾らかでも済ませておきたい。

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