悟りとは何か
先日、仕事で山形県の上山を訪れた。毎年、沢庵禅師の遺徳を偲ぶイベントである。禅師は江戸時代に将軍家光の勘気を被り上山の春雨庵に幽閉された。その間に土地の大根を糠と塩で漬け込み雪深い地元の食として考案した。それが広まり沢庵漬として日本人の食に流通したのである。その功績を地元の人たちが讃え当時の作り方で漬け込み来年に味わう。地元の子供たちや東京の大学からも学生たちが訪れ漬け込みの作業を行った。久しぶりに米沢から上山までの旅を楽しんだ。未だ雪は積もっていないが、あと一月もすれば雪景色で風景は一変する。その頃に訪れる機会があるかどうか未定。
タイトルは朝のクラシック番組で好きなピアニストの音楽に出会ったことによる。ジョアン・ピレシュ(以前はピリスと表記されていた)がベートーベンのチェロソナタ2番の伴奏をしていた。若い頃に日本でモーツアルトのピアノ・ソナタ全集を録音した演奏を聴いていっぺんにファンになった。その少女も今や円熟の境地である。その演奏会を見られることはアカショウビンの怠惰な日常に一筋の光明をもたらす。その演奏は一人のピアニストが仏教者の悟りの境地のように見られたからである。沢庵禅師は高僧として悟りを開いたことだろう。しかし、ここにピアニストとして悟りを開いたと思われる姿と演奏を聴いたことを記しておきたいのである。
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