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2014年10月26日 (日)

齋藤茂吉記念館を訪れる

 7~8年前に20年近く勤務した会社を退職した。人生の仕切り直しのつもりで、かつて棲んでいた場所を幾つか再訪した。学生時代に下宿していた場所も。その途中で、狭い一角で古本を販売していて齋藤茂吉の「柿本人麿」があった。格安だったので購入した。茂吉の同作品については保田與重郎の全集を文庫で読んでいるときに必ず読んでおかねばならない著作のひとつとして記憶に留められていた。それが偶然とは思えないような場所で手に入れることができた。

 その後、再就職や大阪への引っ越し、さらに現在の寓居への再引っ越しで諸事重なり、少し眼を通しただけでそのままになっていた。それが先週の金曜日に久しぶりの山形市での仕事で昨日いくらか時間がとれたのでやっと訪ずれることが叶った。朝の電車は発車したあと。次の電車は2時間後と言う。親切な駅員の案内でバスで行くことにした。それほど待つことなくバスに乗られた。この20年で駅前の景色も市内の道路も変貌している。その変化を懐かしみながら「茂吉記念館」前のバス停で降りた。

  天気好し。徒歩で約5分の記念館へ。入館料500円。殆ど来訪者はいない。若い男女の一組だけだ。地下へ降りていくと茂吉の生涯をまとめた約18分の映像が観られた。それを観て館内を散策。茂吉の遺品などを見ることができた。一階の休憩所からは茂吉の愛した蔵王が眺められる。茂吉が死去した新宿大京町にあった住居の居間兼寝室・書斎も再現され見ることができたのは幸い。写真では浴衣を着て横たわる晩年の茂吉の寝姿も。しかし、心打たれたのは晩年に浅草寺を訪れ大勢の参詣客のなかで老翁が何事か声を上げ叫んでいる姿だ。それは神仏に何事かを祷るようでもある。既にアカショウビンの生もその過程にある。その中で出来得ることは為し彼岸へ至りたいのは長寿社会のなかで平均寿命とは別に余生という時のなかで覚悟することである。その心残りのひとつを先日の訪問で済ませたのは幸いだった。

 しばしソファーに腰掛け遥か蔵王の山並みを眺めた。しかし客のいない空間で受付の男の雑音が煩わしかった。それでも蔵王の山並みと来場者の忙しなさを気にすることなく過ごせたのは幸い。昼前に記念館を出た。幸い直ぐにバスに乗られた。上山温泉駅まで行き帰途に着いた。駅前には久しぶりに「朝ゆふは やうやく寒し 上山の 旅のやどりに 山の夢みつ」の歌碑にも出会えた。昭和6年の「石泉」所収の作品だ。これで娑婆の心残りの一つは半ば解消できた。残りの時間は「柿本人麿」を読み終えて茂吉の到達したところへ這い上がり、それを聊かでも超えて新たな景色を眺めることだ。

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2014年10月24日 (金)

久しぶりの山形

  仕事で山形へ。上野から朝の6時18分発の〝つばさ〟で出発。福島周辺は霧。それでも米沢に向かう途中は青空も見えた。ところが米沢から山形へ向かう途中はこれまた濃霧。〝つばさ〟は、ゆっくりと徐行運転。稲刈りも終わっ田園風景が続く景観は心安らぐ。

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2014年10月20日 (月)

科学者と学者と賢者による野での鼎談

 「野の道での会話」(創文社 2001年11月10日)は、近代の科学の変遷を、もっとも本質的に思索した哲学教師の考察の分かりやすい論考である。ハイデガーは未完成に終わった『存在と時間』という主著を戦後の科学技術の進展の渦中で大きく転回させ思索し抜いた。科学技術という、近現代でヒトという生き物に固有の生き方を切り開いた本質を、戦後のハイデガーは継続している。これは前回書いた日本人のノーベル物理学賞受賞で浮かれているような内容ではない。事は、人類という此の惑星での生き物たちに共通する本質的な問題なのだ。

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2014年10月13日 (月)

「北斎館」を再訪する

 先日、知人の縁で長野県の飯山を一泊旅行でレンタカーを駆って久しぶりに訪れ、稲の収穫を手伝うことになったが連休の渋滞で間に合わず。食事と飲み会だけに終わってしまった。翌日は、知人二人を誘って小布施の「北斎館」を再訪できたのは幸い。連休だけに凄い混みよう。関東に戻って2~3年前に訪れてからの再訪となった。天井絵の龍と怒涛、肉筆画を暫し鑑賞できた。「布晒(調布の玉川)」や「二美人図」「冨嶽三十六景神奈川沖浪裏」の多色刷りの過程が見られたのは収穫だった。関西からの親娘と思われる親が娘に解説している姿も微笑ましかった。一時間足らずの鑑賞だったが同行の一人は感激していて誘った甲斐があった。記念に絶筆の「富士越龍図」のコピーを購入。部屋に貼り天才の芸の集大成ともなった作品を厭かず眺めている。

 旅は帰りも渋滞に巻き込まれ行きは関越だったが佐久から清里へ抜け中央高速で帰ろうとしたが関越以上の渋滞。大月を過ぎ下道で走ったが高尾山を越える事になり帰りはレンタカー返却の時間を過ぎた。やっと東京駅まで戻り同行のお二人を送り車は自宅近くに駐車。翌日返却した。それにしても連休の車の移動はよほど綿密に移動しないと大変なことになることは学習したが、さて来年はどうなることやら。ただ幸運だったのは北斎館が11月24日までの会期後は増築工事のため来年の3月まで閉館になるとのこと。

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2014年10月 9日 (木)

物理学と技術

   日本人三名のノーベル物理学賞受賞に水を差すわけではないが、ハイデガーは『野の道での会話』で次のように語っている。

   学者  ですから技術は応用物理学なのです

   賢者  私が申し上げているのは逆のことです。物理学が技術であるとすれば、それは、理論物理学が本来の意味での純粋な技術であるからなのです。

  学者 そうしますと、あなたは技術という言葉を通常とは違った風に理解しておられるわけですね?

   賢者  たしかに私は<技術>ということばを通常とは違った風に理解しているのでしょう。但し、意識的にそうしているのではありません。むしろ 私が注目しようとしているのは、物理学が理論的であること自体がどういうことなのかということなのです。

   学者  ですから、理論物理学の本質の定義を避けて通ることはほとんどできないのです。と申しますのは、理論物理学は、実験的に行われるわけではありませんし、したがって機械は使わないということを確認するだけなら、それは消極的な定義に過ぎないからです。理論物理学の本質が何であり、どのようにしたら、その本質を根拠づけることが可能かということについて語るのは難しいことです。(『野の道での会話』所収 アンキバシエー  科学者と学者と賢者による野の道での鼎談  p12)

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2014年10月 7日 (火)

バッハの無伴奏パルティータ

 朝のBSのクラシック番組でバッハの無伴奏パルティータ2番を堀米ゆず子さん(以下、敬称略)が演奏している。これは以前に見た再放送。美しい音色だ。しかしアカショウビンにとって、この作品「無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ」はヨーゼフ・シゲティの録音が決定的な経験として骨身に沁みている。大学浪人をしている頃に中野の三畳の下宿で聴いた。浪人生活の不安の中でレコードで聴いた此の作品と録音は或る一筋の光となって怠惰な日常に射しこんだ。それは何か救いのように、あるいは何か絶望から希望という恩寵といった可能性を開示するように訪れた。荒削りの仏を刻むような演奏だった。美しく練り上げられた演奏でなく、バッハの核心に遮二無二迫る演奏とでもいうような。以来、幾つかの録音を聴いたがアカショウビンにとってはシゲティ盤が決定盤である。そのレコード盤は何度かの引っ越しで失われた。しかしその後、CD盤を購入し、たまに聴く。すると、その頃の体験とバッハ作品の深淵のようなものが沸々と此の身に溢れてくる。シゲティのバッハに出会った経験はアカショウビンにとって至上のものなのである。それを堀米の演奏で想い起こした。

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2014年10月 6日 (月)

恩師と同窓生の帰朝報告を聞く

 昨日は銀座の画廊で知人の個展を訪れ作品を何年ぶりかで鑑賞。そのあと六本木に移動し夏にチベット旅行をしてきた高校時代の恩師と同窓生の帰朝報告を聞く席に出席。同窓生のK君が撮った動画映像を拝見し談笑した。10日間の殆どはバスでの移動だったらしいがチベットの人々の映像は民族衣装のファッションショーなど実に興味深いものだった。ツアーの同行者の中には絵心のある大学の名誉教授もいてスケッチで旅行の一端を書かれた作品も見られた事は幸い。

 来年は楼蘭へ行くという。アカショウビンも参加したいが金と時間があるかどうか。チベット旅行よりは高額だという。今から金を貯めようかとも思案するが現在の薄給ではそれもままならぬ。宝籤にでも挑戦してみようかと思うが消費税が更に上がるまでにコツコツ爪に灯りを灯すように地道に貯めるしかないか。そう思いながらアルコールの勢いで同窓生のH君と六本木から上野までタクシーを飛ばし朝までベトナム人が経営するスナックで久しぶりのカラオケ三昧で浪費をしては金が貯まる筈もないのだが。

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2014年10月 2日 (木)

解釈学とは

 ハイデガーの〝哲学〟が現象学的解釈学として規定されることに矛盾を指摘する論考もかつて読んだが、『存在と時間』を出版する前のハイデガーの研究をまとめた『オントロギー(事実性の解釈学)』(創文社 1992年)でハイデガーはディルタイの生の哲学の限界を指摘しながら当時の聖書解釈学なども参考にしながら解釈学という規定を次のように説明する。

 解釈学はいまではもはや解釈そのものではなく、解釈の条件、対象、手段、伝達、実際的適用についての教説である。(同書p16 13)

 この教説という語彙に注意すべきだろう。おそらくハイデガー〝哲学〟の立場は、このような教説的背景を有しながら、そこから一線を画し形而上学とも異なる境地でフッサールから学び取った現象学に〝解釈学〟という自らの〝哲学〟と云う領域を切り開いたという自負が『存在と時間』という当時の講壇哲学教師たちからは不可解な書物として結実したのである。

 また次のように説く。

 この術語がその根源的な意味への繋がりにおいて言い表しているのは、ヘルメーネウエイン[告げ知らせること](伝え知らせること)の遂行、つまり、事実性(読点)を出会いや観取や把握や概念にまでもたらすように解釈すること(ここも強調の読点)の遂行のある一定の統一態である。(同書p18)

 また次の説明も〝解釈学〟という術語の何たるかを明らかにしている。

 対象から要求される接近方法としての解釈学がそれの「対象」に関して指示していることは、この対象が解釈しうる対象また解釈を要する対象としての有をもっているということ、その対象の有には、何らかの仕方で被解釈性<Ausgelegtheit>のうちに有ることが属しているということである。解釈学が課題とするのは、それぞれに固有の現有をその有性格においてこの現有自身に近づけ、告知すること、現有が陥っている自己疎外を追及することである。(同書p18~19)

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2014年10月 1日 (水)

オントロギー(事実性の解釈学)

  同書にまとめられた書物には講義では述べられなかった序言が附されている。ここにハイデガーの気迫と気負いが読み取られる。これを記して再考しよう。

   問い(読点が附されている)を提起すること。問いは思いつきではない。問いはまた、「ひと」が伝え聞いたことや、読みかじったことから取り上げて、深遠さの身振りをして授ける与えるような、今日ふつうの「問題」でもない。問いは「事象」との対決から生まれる。そして事象は眼があるところ(ここにも強調の読点が附されている)にのみ存在する。

(中略)

  探求の同伴者は若きルター(これも読点)であり、模範はルターの嫌ったアリストテレス(読点)であった。刺戟を与えたのはキルケゴール(読点)、フッサール(読点)が私の眼を開いてくれた。

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