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2014年9月14日 (日)

戦後の思想空間

 戦後の思想空間の中で加藤周一の論考、言説は熟読、吟味しなければならない。「加藤周一セレクション」(1999年9月15日 平凡社ライブラリー)はその一つだ。短いがサルトル論が面白い。サルトルが1966年に来日した時の「知識人の擁護」に加藤は言及している。それは現在の論壇、文壇の現状とも絡んでくる。現政権の幼稚と愚劣も痛罵と殲滅の一撃を与えねばならない。そこに加藤の論考は痛烈な意味合いをもってくるからだ。

 それは左翼とか右翼という問題ではない。人間という生き物がこれから宇宙にどのように生息していくかという問題である。それはハイデッガーが説く世界内存在という概念と密接に絡んでくる。加藤や欧米哲学では内在性と外在性という概念に象徴されているものだ。サルトルについて言えば精神分析で説く無意識を否定した事でアカショウビンはサルトルの限界を痛感した。それは多言を要するがさておく。

 加藤の視野は実に広い。それは丸山や吉本の視野の広さと共振するものだ。それを我々は引継ぎ、熟考しなければならないのだ。それは現政権の無知と狭窄に根本的な違和を主張することである。

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