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2014年9月14日 (日)

余生を生きる時間

 残り少ない余生にやっておかねばならない事は山ほどある。しかし時はいつの間にか過ぎていく。出来ることを絞らなければならぬ。故郷へ昨年帰郷してご先祖の墓参りも済ませた。あとは現在を生きて残す事だけだ。仕事はそれなりにこなせばよいが消耗するだけだ。その間に連休の時間は貴重だ。

 本日は棲家の周辺を久しぶりに散策した。かつて大阪に棲んでいた所と北関東の地は少し似ているので直感的に決めたのだ。大阪では淀川の近くだったが、こちらは利根川水系のこじんまりとした風景である。それがかえって好い。鷺がゆったりと舞い蝉の声も残暑の安らぎを想起させる。ここのところの朝夕の涼しさは夏の終わりを予感させたが、まだ九月だ。ネットでは中島みゆきの「船を出すのは9月」という曲も紹介されていて、久しぶりに中島のアルバムを聴き直した。「生きていてもいいですか」や「短編集」は疲弊したこちらの気力を触発する。中島みゆきと同時代を生きることは幸いだ。

 政治情勢や論壇、文壇にも物足りなさを痛感する。ハイデッガーを読み直し現在の歴史空間を再考し此の世で言い残した事を集約しなければならない。アンポンタン政権というより、この腐れきった政権を撃滅させなければ死んでも死にきれない。戦後の此の国の政治状況や思想状況は世界と連関している。腐れ政権は憲法改正をはじめ歴史的後退を愚劣に強要している。麻生のような低脳児を副総理に据え、石破との遣り取りも世界から見れば将棋や囲碁でも全局が見渡せない狭窄を自覚できないヘボ棋士同然だ。

 ここは冷徹に識者の言説、論説に接し背筋を伸ばさなければならぬ。加藤周一や丸山眞男、吉本隆明、小林秀雄、保田與重郎、ヤスパース、ハイデッガーの論説を熟読しなければならぬ。残された時間はそれほどあるわけでもない。

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