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2014年8月15日 (金)

現在の行き着く先

 8月12日の毎日新聞夕刊にジャーナリストむのたけじ氏のインタビュー記事。何と99歳で元気でおられる。戦時中、朝日新聞記者として活躍し戦後、戦争責任を取り退社。のちに秋田県横手市でタブロイド版の週刊新聞「たいまつ」を1978年まで続ける。アカショウビンが高校から大学時代に近況を新聞で読んだのは同紙の最後のころ。いわゆる反戦思想の在野のジャーナリストとして記憶されていた。その記録は文庫として「たいまつ十六年」(2010年 岩波現代文庫)に収録されている。戦後を振り返るときにモニュメントとして昧読すべき記録だ。

 そのような記事を読んでいる中で防衛省が奄美へ陸上自衛隊の配備を計画し地元がそれを受け入れたとのベタ記事が同じ毎日新聞に。副防衛相が朝山毅・奄美市長、房克臣瀬戸内町町長と、それぞれ会談し「民意は反映されている」(朝山)、「心より受け入れたい」(房)と述べたという。防衛省の計画は奄美市に350人規模の、警備部隊と中距離地対空誘導弾部隊を配備し瀬戸内町には250人規模の自衛隊を配備する計画だ。

 アカショウビンの母は祖父と共に眼病の治療に昭和19年10月、徳之島から奄美大島に向かう貨客船で米軍艦載機の銃撃を受け九死に一生を得た。沖縄の地獄は生じなかったが兵士達は死を覚悟した特攻を行うべく待機していた。奄美南西部の加計呂麻島で特攻艇「震洋」を指揮していた島尾敏雄は当時の事を戦艦大和の生き残り、吉田満氏と戦後30年後の対談で当時を振り返っている。「新編 特攻体験と戦後」(中公文庫 2014年7月25日)。

 徳之島沖は大和が撃沈されたところだ。その後、慰霊碑も建てられている。吉田満が米軍の猛攻と激戦している時に島尾隊長は島で特攻の訓練に勤しんでいた。その生き残り達が先の大戦を語る。それからさらに40年近くが経過し、何やらきな臭い動きが政治的に進められている。対談では沖縄の渡嘉敷島での集団自決の話も出てくるが、さらっと触れられる程度だ。島尾は遂に特攻を経験せずに死の淵での覚悟のみで生き長らえる。吉田も四国の地で敗戦を迎える。

 現在の安倍アンポンタン政権の今後は注視し声を上げねばならぬ。先の大戦の生き残り達の声を聴き取る能力が現首相と閣僚達にあるとはとても思われない。69年前の現状が形を変えて、またぞろ亡霊のように徘徊し始めている。それは西洋近代の突出に翻弄された世界が未だに時を先後して経験する近代という歴史が日本国では行き着く先を後退して過去に行き着こうとする愚行である。その歴史推移の愚劣と稚拙に現政権は確信犯として事を進めている。それなら、こちらもそれに反撃する用意を整えよう。

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