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2014年8月19日 (火)

木田元さん追悼

 木田元さんが亡くなられた。戦後のハイデガー研究の第一人者といってもよい碩学だった。学生時代に読んでから、その難解さに懲りて時々抜き読みする程度だった「存在と時間」を本格的にハイデガーの講義を含めて読み直そうと気を引き締め直したのは「政治という虚構」(1992年 フィリップ・ラクー‐ラバルト 藤原書店)だった。この書物はフランスで1987年に出版されて激しい論争を起こしたヴィクトル・ファリアスの「ハイデガーとナチズム」(1990年10月 山本尤訳 名古屋大学出版会) という書物に対抗して出版されたものだ。ハイデガーの擁護論でもある。ハイデガーが戦後もナチだった、という告発・暴露本に対して著者は哲学者の立場からハイデガー哲学の独自性を説いた。

 戦後のハイデガーを理解するうえで「ツォリコーン・ゼミナール」(1991年 メダルト・ボス編 みすず書房)も参考になる。難解な「存在と時間」を理解するうえでハイデガーの生(なま)の声が読めるからだ。木田さんのハイデガー解説本は、アカショウビンのハイデガー理解のその後の読書の中で出会ったものだ。「ハイデガーの思想」(1993年 岩波新書)、「ハイデガー『存在と時間』の構築」(2000年 岩波現代文庫)は、ハイデガー研究者の第一人者として面目躍如の解説書だ。友人のヤスパースに原稿を見せ出版までの経緯が詳細に書かれている。原稿を見せられたヤスパースが、何が書かれているのかさっぱりわからなかった、というところも面白かった。それほどあの書物の異様さと不可解さは同業者にも理解されないほどの射程を有していたということだろう。

 それはともかく、その後の創文社のハイデガー全集の刊行では「存在と時間」が「有と時」という訳になっており、他の著作も存在と時間という訳語は有と時という訳語で統一されている。木田さんは、それを揶揄しておられた。そのような近況を著作や新聞インタビューで読みながらの訃報だった。主著のほかにハイデガー哲学の全貌が明らかになるのはこれからだ。木田さんの衣鉢を継ぐ教え子やお弟子さんたちは少なくない筈だ。アカショウビンもご逝去を心から追悼し木田さんの情熱と熱意をハイデッガー読解に余生を費やしたいと思う。

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