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2014年7月17日 (木)

響きと存在

 朝の衛星放送でヴィオラ・ダ・ガンバの響きに惹き寄せられる。この楽器はバッハの時代も広く愛好されたと思われる。バロック音楽には欠かせない響きを醸し出す。チェロとは些か趣きの異なる楽器の響きは存在の響きといってもよい。響きに私という現存在が共振するのだから。

 昨日は出張でバスからベンツの車に乗せていただき新潟まで戻った。この高級車に乗る人々は貧乏人ではない。アカショウビンのように日々の暮らしにアタフタしている者たちとは明らかに異なる。車の持ち主は企業の社長である。零細と小規模の間くらいの。それでも数百万の車に乗る。それは他の車に比べて快適だということもあるだろう。

 話の主眼はそれではない。備え付けたテレビの音質の良さに驚いたからだ。多少のヨイショはあったが褒めることは大事である。ところが車の所有者はその事に気付いていない。響きという時空はピンキリである。小澤征爾は、「エレベーターに乗ったらどこからともなく流れてくる音楽。ああいうのがいちばん恐ろしい種類の音楽、とぼくは思うんです」(『小澤征爾さんと音楽について話をする』新潮社 平成26年7月1日)と述べている。われわれは様々な騒音や存在の発する音や音楽に囲まれ反響し生きている。生きた音楽というのは、そこから醸し出され紡ぎ出される。朝のヴィオラ・ダ・ガンバの響きは他の弦楽器と同じく樹木と弦から生まれる存在の響きと言ってもよいだろう。しかしそれは弾き手が生み出す創造だ。次はストラヴィンスキーの「火の鳥」の1947年版をCDで。さぁ、本日もシャワーを浴び、怠惰な日常に喝を入れて仕事に出よう。

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