« 響きと存在 | トップページ | 出張旅行 »

2014年7月20日 (日)

戦後という時空間

 深夜のテレビで今年は丸山眞男生誕100年だという番組を途中から見た。晩年の丸山の話を聴いた弟子達の話を介して構成された番組だ。肝臓ガンの闘病で痩せ細った晩年の丸山の肉声を痛切に聴いた。それは私たちの親の戦争体験と同じく、優れた学究が自らの戦争体験を込めて戦中戦後の歴史に踏み入ったナマの声である。このような血を吐く思いで戦後を考え抜いた言説と論説を私たちは心底から読み腹に収めねばならぬ。それは、ネット右翼や低劣な保守と対峙することである。またナチズムを経験したドイツの歴史と共振することである。

 それはまた丸山を批判した吉本隆明の言説と論説を介在させることでもある。昨今の政治状況を新聞で読み、テレビで見るにつけ慨嘆するしかない。そうであれば彼の勢力はドイツのヒトラーのように国民を洗脳していくであろう。それには慨嘆では済まない。対決の意志をもって現政権と対峙しなければならない現実と将来なのだ。丸山の賛否両論はさておく。しかし、この学究の声に心底から向き合わなければ日本国の将来は危うい。それは左翼、右翼の低劣を超えて日本人の一人一人が対処しなければならない現実である。ナチの手口を真似れば良いではないか、と本音を吐いた閣僚がいる限り、この政権が日本人だけでなく世界から弾劾されて政権崩壊されておかしくない事に我々は声を挙げなければならない。つくづく政治的ボンボンたちのガキの血迷いごとは辟易し怒りが腸から煮えくり返るのだ。

|

« 響きと存在 | トップページ | 出張旅行 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/60011666

この記事へのトラックバック一覧です: 戦後という時空間:

« 響きと存在 | トップページ | 出張旅行 »