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2014年7月 1日 (火)

プライバシーあるいは人権

 先のブログで高校時代の同窓生の友人との電話の内容を引用したら共通の別の友人からクレームが入った。ブログで書くなら本人の了解を得るべきだと。そこでブログは知らないその友人に電話で事情を説明。彼もそれを読み事実誤認があると話した。それは訂正すると話して電話を切った。その事情をクレームを寄こした友人にメールで回答したら彼の人権を軽く考えすぎていると更に強い回答があった。

 そこでプライバシーと人権という法的な定義について考察を迫られる。クレームを突きつけた友人は昭和39年の地裁判決を根拠にアカショウビンの人権侵害を問うてきた。それはいずれ詳細に考察して回答するつもりである。同窓生たちも還暦を迎え第二の人生の方向性を探っている。経済的、体力的な問題も生ずる。アカショウビンはその両方でボロボロだ。どうやってこの状況を凌ぐか。毎日がギリギリで仕事に追われる。60年で見るべきものは見、聴くべきものは十分聴いたとも思われる。しかし新たな対象は次々に現れる。他者との出会い、交渉も生ずる。そこで愚考を重ねねばならない。

 朝の衛星放送ではバッハとベートーヴェンのリサイタルを放送している。それは新たな一日の始まりとして至福の時である。新聞やテレビ報道を見ていると国政に煮えたぎる憤怒も湧き起こる。体力的な衰えを果たして気合で凌げるか定かでない。好きな映画も観る気力に欠ける。しかし余生はヘロヘロ、ヨタヨタになりながらも最期まで歩かねばならぬ。さらに愚考を重ねつつ。

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