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2014年7月28日 (月)

バリー・リンドンという悲劇

 何十年ぶりかでS・キューブリックの「バリー・リンドン」(1975年)をレンタルDVDで観た。S・キューブリックの作品では何と言っても「2001年 宇宙の旅」(1968年)が傑出した作品として記憶される。その後も劇場やDVDで観直しているが小津安二郎の晩年のカラーの傑作群と同じく映画作家の到達した境地というものがどういうものか繰り返し観るに耐える古典と言ってもよいだろう。

 当時はS・キューブリックがヴィスコンティなどイタリアの巨匠達に対抗して絵画性を盛り込んだ〝超大作〟としてあまり刺激されることはなかった。しかし時を経て観るとS・キューブリックは貴族階級への皮肉を込めて少し喜劇性もある悲劇を一本撮ったことを了解した。ロケでも貴族の館の室内も蝋燭の採光に十分過ぎるくらい細心の注意を払っている。若い頃はそのあたりの配慮は理解しても大家となった映像作家が金をかけた作品として、正に作品の内容が成り上がり者の悲劇として描かれているようにS・キューブリックというその世界の頂点に達した大家が金を蕩尽し西洋の泰西名画的を仕上げた作品としてアカショウビンの興味の領域から忘れ去られた作品といえる。なぜなら殆どのカットが記憶から消え去っていたからだ。

 しかし「バリー・リンドン」は大家として世界の映画ファンから認められた監督が贅を尽くした悲劇である。古代ギリシアなら劇場で演じられた悲劇を私たちは映画で観る。その違いは大きいとしても悲劇の内容は同じといってもよい。米国育ちの映画作家が英国に移住し経験した米国とは異なる貴族階級が存在している驚きが作品化への動機となったとも推測される。シューベルトのピアノ・トリオも実に効果的だ。「2001年~」もそうだったが、優れた映像作家は音楽の使い方も洗練されているのだ。

 若い頃に観た時は「2001年~」の印象があまりにも強く、この作品の悲劇としての印象は薄かった。しかし観直して、S・キューブリックという監督の新たな境地を確認できたことは幸いだった。その後、「シャイニング」(1980年)、「フルメタル・ジャケット」(1987年)、「アイズ・ワイド・シャット」(1999年)と撮っていくがアカショウビンは「フルメタル~」を晩年の傑作として高く評価する。「アイズ~」は、晩年のフェリーニの「カサノバ」を想起させた。映画作家の或る種の諦観があるのだろう。しかし、それはまた別な感想になる。

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2014年7月22日 (火)

出張旅行

 先週は、新潟、秋田へ出張。新潟では久しぶりに温泉に浸かり極楽、極楽。秋田は横手から能代へ。深夜バスを予約したが乗り過ごし翌朝の新幹線こまちに(笑)。横手では小学校を訪れ小学5年生に料理を教える授業に参加。子供たちの生き生きとした姿に接しられて良い体験をさせてもらった。

 駅からはバスで1時間くらいかかる。1時間に1本という。幸い行きはバスに間に合ったが、帰りは何と4時間後。バス代を節約するために歩いた、歩いた。2時間歩いたが途中、にわか雨に降られ散々な目に。行きは820円だったが帰りは650円。しかし2時間歩いてそれだけとは。とにかく駅に戻り電車で移動。秋田で一泊するつもりだったがホテルはどこも満室。しかたなく電車で約1時間の能代へ移動。すると何と駅前に「駅前旅館」が。森繁久彌の駅前シリーズを思い出した。恐る恐る空き部屋があるか初老の女将さんに尋ねると空いているとおっしゃる。天は吾を見捨て賜ず。素泊まり4200円。夕食は終わったが朝食は800円という。まぁ、朝は食べなければ仕事にも差し支える。よろしくお願いしますと答えた。

 夕食はコンビニで済まそうと思い外へ。ところが何と駅近くにはコンビニがない!近くを散策すると料理屋はあった。しかし高そう。しばらく歩くがそこしかない。仕方なく入る。お銚子を2本と酢の物の盛り合わせ。しかし、これが絶品。値段はともかく久しぶりに嬉しい晩酌にありつけた。ところが駅前は見事に寂れている。明日の夜は有名な花火大会ということもあろうが、殆どシャッターが下ろされている。しかも昔は多くの客で賑わっていただろう店もシャッターは錆で覆われて無残。他の地方都市でも同じような光景は見ている。賑やかなのは都内くらいだろう。友人と電話で話したら前橋あたりもそうらしい。

 それはともかく、一昨日の午後に新幹線で帰ってきたが途中の秋田平野は水田の緑が眼を和ませた。昨日は疲れてヘロヘロ。テレビで懐かしい「モスラ対ゴジラ」を観ながら過ごした。忙しない薄給生活には早くケリをつけたいが、いつまで続くヌカルミぞ、だ。

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2014年7月20日 (日)

戦後という時空間

 深夜のテレビで今年は丸山眞男生誕100年だという番組を途中から見た。晩年の丸山の話を聴いた弟子達の話を介して構成された番組だ。肝臓ガンの闘病で痩せ細った晩年の丸山の肉声を痛切に聴いた。それは私たちの親の戦争体験と同じく、優れた学究が自らの戦争体験を込めて戦中戦後の歴史に踏み入ったナマの声である。このような血を吐く思いで戦後を考え抜いた言説と論説を私たちは心底から読み腹に収めねばならぬ。それは、ネット右翼や低劣な保守と対峙することである。またナチズムを経験したドイツの歴史と共振することである。

 それはまた丸山を批判した吉本隆明の言説と論説を介在させることでもある。昨今の政治状況を新聞で読み、テレビで見るにつけ慨嘆するしかない。そうであれば彼の勢力はドイツのヒトラーのように国民を洗脳していくであろう。それには慨嘆では済まない。対決の意志をもって現政権と対峙しなければならない現実と将来なのだ。丸山の賛否両論はさておく。しかし、この学究の声に心底から向き合わなければ日本国の将来は危うい。それは左翼、右翼の低劣を超えて日本人の一人一人が対処しなければならない現実である。ナチの手口を真似れば良いではないか、と本音を吐いた閣僚がいる限り、この政権が日本人だけでなく世界から弾劾されて政権崩壊されておかしくない事に我々は声を挙げなければならない。つくづく政治的ボンボンたちのガキの血迷いごとは辟易し怒りが腸から煮えくり返るのだ。

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2014年7月17日 (木)

響きと存在

 朝の衛星放送でヴィオラ・ダ・ガンバの響きに惹き寄せられる。この楽器はバッハの時代も広く愛好されたと思われる。バロック音楽には欠かせない響きを醸し出す。チェロとは些か趣きの異なる楽器の響きは存在の響きといってもよい。響きに私という現存在が共振するのだから。

 昨日は出張でバスからベンツの車に乗せていただき新潟まで戻った。この高級車に乗る人々は貧乏人ではない。アカショウビンのように日々の暮らしにアタフタしている者たちとは明らかに異なる。車の持ち主は企業の社長である。零細と小規模の間くらいの。それでも数百万の車に乗る。それは他の車に比べて快適だということもあるだろう。

 話の主眼はそれではない。備え付けたテレビの音質の良さに驚いたからだ。多少のヨイショはあったが褒めることは大事である。ところが車の所有者はその事に気付いていない。響きという時空はピンキリである。小澤征爾は、「エレベーターに乗ったらどこからともなく流れてくる音楽。ああいうのがいちばん恐ろしい種類の音楽、とぼくは思うんです」(『小澤征爾さんと音楽について話をする』新潮社 平成26年7月1日)と述べている。われわれは様々な騒音や存在の発する音や音楽に囲まれ反響し生きている。生きた音楽というのは、そこから醸し出され紡ぎ出される。朝のヴィオラ・ダ・ガンバの響きは他の弦楽器と同じく樹木と弦から生まれる存在の響きと言ってもよいだろう。しかしそれは弾き手が生み出す創造だ。次はストラヴィンスキーの「火の鳥」の1947年版をCDで。さぁ、本日もシャワーを浴び、怠惰な日常に喝を入れて仕事に出よう。

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2014年7月 5日 (土)

戦争の罪を再々考する

 昨今の政治情勢と日本の将来に対する展望を絡めて2006年に書いたブログを再掲させて頂く。ヤスパースがドイツにおける精神状況について、1945年から1946年の夏学期に行った連続講義のうちから戦争の罪の問題を扱った授業内容を出版したものである。(以下、再掲)

 昨年読んだヤスパースの「戦争の罪を問う」(1998年8月15日 平凡社ライブラリー 橋本文夫訳)という著作を、この敗戦の日、もう一度取り上げてみることは無駄ではないと思う。ヤスパースは戦後の講義の中でドイツにおける戦争の罪を4つに区別して思索している。①刑法上の罪②政治上の罪③道徳上の罪④形而上の罪、である。このうち④が私達も再考すべきヤスパースの問題提起である。

 この講義は書物として出版され友人のハイデガーにも献呈されたがハイデガーはヤスパースへのお礼の手紙の中で、別の作品に言及するのみで、この本の論評をしなかった。というよりまったく無視した。それから二人の間には溝ができた。その経緯を知ると、二人の間で、この論文の行間に潜む意味はアカショウビンには別の文脈で興味深い。ここでは④の意味するところを、我が国の鎮魂の日にあたりアカショウビンも一人の国民として思考していきたい。ヤスパースは④を次のように説明している。

 「私が他人の殺害を阻止するために命を投げ出さないで手をこまねいていたとすれば、私は自分に罪があるように感ずるが、この罪は法律的、政治的、道徳的には適切に理解ができない」。

 このヤスパースの思索を一人の日本人として、あるいは個人として、どのように考えるか?

 アカショウビンは先の戦争での日本軍の「部分的な」行為は道徳的にも責任があると思うのだが、それと形而上的なものとは、それなりの懸隔があると考える。先の大戦については合祀云々ではなく、日本人が国民として負わなければならない責任と考える。対戦国には政治的、道徳的にも責任があると考える。それは逆もまた真である。原爆投下という非道を日本人は米国と米国国民はじめ世界に問わなければならぬ。

 あの戦争に反対した個々人はいるであろう。しかし、彼らが、それを一部の軍人に帰することには無理があるだろう。東條英機は責任を自覚し敵国の違法な裁判を受ける辱めを拒否すべく自決しようとしたのである。

 問題は天皇である。先のブログでも引いたチョムスキー氏は、責任は天皇裕仁にある、と明白に辺見氏に述べている。辺見氏を前にし、あなたたち日本人は何もしてこなかったではないか、と言うのである。それは歴史的事実として世界史に記載されるはずだ。国家、国民の取るべき態度として、それは「世界」から容認されていない、というのがチョムスキー氏の発言の根拠である。

 国家と言い、国民と言うならば、それは日本国民という限り、それは共に背負わなければならない「くびき」であるとアカショウビンは思うのである。「くびき」とはキリスト教文化圏の用語である。それは、そういう用語を使えば、ある程度理解できるかもしれないが、厳密に考えてみるべき急所だと思う。それは昨年暮れのブログにも書き込んだ「赦し」という用語とも呼応している。それは大晦日のブログをご参照いただきたい。

 日本国民が「世界史」に参加して発言の場を得るとすれば、とりあえず国民国家として発言しなければならない。しかし、それまでには個々人や集団の思い、考えが存在する。そこでは私たち日本人が日本国を考えるときに国籍や伝統文化、国語を基に定義し、それを自明とする考えは「民族誌的奇習」である(@内田樹氏)として「ユダヤ人」への理解は、そのような奇習に幽閉されている限り理解はできない、という指摘も忘れてはならないが。

  しかし、日本国の首相であれば国家の歴史の来し方を大国に諂うことなく正確に現在の立場を認識し背負い国際社会の中で発言するべきである。それを時の首相はじめ日本という国は果たして遂行しているのか、というのが、我々の「現在」に問われている問いであろう。チョムスキー氏を、あるいは米国民を含め中国、韓国の近隣諸国、ひいては世界の人々をどのように説得できるか?その回答が辺見 庸氏や私たちに課せられている世界史的な回答ではないかと思う。これは簡単な問題ではない。この夏が過ぎるまでに集中し熟慮し思考していきたい。

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2014年7月 2日 (水)

人権とプライバシー、昨今の世相について

 日本国憲法では基本的人権が保障されている。先のブログにクレームをつけてきたT君の論拠は特定の個人のプライバシーに関する情報の無断掲示ということになるだろう。しかし、そこには悪意という条件がなければならないだろう。悪意と善意という概念は法的定義にはそぐわないとしても、そこへの留意は言語化されるべきと心得る。

 昨今喋々されるのはインターネットの普及で日本国憲法に明記されている基本的人権だけでは保障されない〝新しい人権〟の定義だ。これには昨今の集団的自衛権の行使容認の意図的な憲法解釈問題も絡んでくるがそれはさておく。

 ブログで取上げた友人の奥様の件について電話で話したら一部の事実誤認だけでアカショウビンの記事には別に問題はないという話だった。彼が奥様の病を介して新たな信仰に目覚めたというのは実に言祝ぐべき事というのがアカショウビンの立場だ。話題のT君は、それを覚るのに50年かかったと強調した。その言や好しである。

 それはともかく、議論の錯綜の原因の一つはプライバシーという英語の日本語訳にも関すると思われる。それは個人情報とでも訳すのだろうか。それが公開されては人に不利益が生ずるものとも言えるかもしれない。そうなると不利益の範疇が定義されなければならない。クレームはアカショウビンがT君の「人権を軽く考えすぎている」というところだ。それは以前にも大学時代の気心のしれた友人たちの記事で生じた繊細と緻密さに欠けるアカショウビンの不徳の致すところと反省する。

 それにしても本日の毎日新聞の見出しは〝9条解釈を変更 戦後安保の大転換〟の太字が事の重大さを強調している。社説は〝歯止めは国民がかける〟というものだが、国家の暴走を止めるのは生易しいものではないのは国際情勢を管見すれば痛感できる。それが現政権には理解できない。それは歴史を俯瞰する視角の狭さによる短見でしかない。沖縄の戦後処理と日本国憲法の歴史的価値を愚弄する暴挙には次の国政選挙で意思を示すしかないのが忸怩たる思いに領される。しかし穏やかな日常を掻き乱す国政には断固異を唱えねばならぬ。

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2014年7月 1日 (火)

プライバシーあるいは人権

 先のブログで高校時代の同窓生の友人との電話の内容を引用したら共通の別の友人からクレームが入った。ブログで書くなら本人の了解を得るべきだと。そこでブログは知らないその友人に電話で事情を説明。彼もそれを読み事実誤認があると話した。それは訂正すると話して電話を切った。その事情をクレームを寄こした友人にメールで回答したら彼の人権を軽く考えすぎていると更に強い回答があった。

 そこでプライバシーと人権という法的な定義について考察を迫られる。クレームを突きつけた友人は昭和39年の地裁判決を根拠にアカショウビンの人権侵害を問うてきた。それはいずれ詳細に考察して回答するつもりである。同窓生たちも還暦を迎え第二の人生の方向性を探っている。経済的、体力的な問題も生ずる。アカショウビンはその両方でボロボロだ。どうやってこの状況を凌ぐか。毎日がギリギリで仕事に追われる。60年で見るべきものは見、聴くべきものは十分聴いたとも思われる。しかし新たな対象は次々に現れる。他者との出会い、交渉も生ずる。そこで愚考を重ねねばならない。

 朝の衛星放送ではバッハとベートーヴェンのリサイタルを放送している。それは新たな一日の始まりとして至福の時である。新聞やテレビ報道を見ていると国政に煮えたぎる憤怒も湧き起こる。体力的な衰えを果たして気合で凌げるか定かでない。好きな映画も観る気力に欠ける。しかし余生はヘロヘロ、ヨタヨタになりながらも最期まで歩かねばならぬ。さらに愚考を重ねつつ。

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