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2014年5月15日 (木)

ロマ書

  内村鑑三の〝悟り〟は、ロマ書3章23節から25節による、と自身が語り、それは新約と旧訳を結ぶ 急所である、と内村は悟った。旧約と新約の二つの軸で構成される楕円形の、聖書という書物の独自性を内村は強調する。しかし新訳の共同訳の文章はつまらない。内村は英文の聖書でそこへ到達した。その独自性こそが注目に値するのだ。

  サムライの子の内村が武士道を超えて聖書で悟りに達した独自性を富岡は強調する。多くの近代以降のキリスト教の信徒に対立して内村という存在が屹立する。それは先の大戦の戦中に日本の知識人たちが座談会で試みた〝近代の超克〟という主題に通底する。それは当時も解決されず現在まで持ち越されている、という富岡の指摘にアカショウビンは同意する。内村の著作を読むということは正にそのように同時に現在を読む、という事である。

  内村がロマ書から得たイエスの再臨は果たして現在どれほどの人に行われているのだろうか?アカショウビンも本日は、かつて読んだ箇所を再読するために出張先に聖書を携帯した。平明だが物足りない新共同訳の一文一文から内村の文を想起し内村の悟りに迫っていこう。

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