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2014年5月 6日 (火)

墓参り

 昨日、中学時代の同窓生T君の墓参りに茨城県の墓園を訪れた。上野からバスが出ているらしいが先に予約を申し込んだら満席。奥様の話では駅から周遊バスも出ているという。それなら返って安くつくと思い喜んで電車に。特急も出ているが普通電車で。車内では今年、携帯電話から切り替えたスマホでこのブログを書いたりして時を過ごした。駅を降りバス停に行くと運転手さんは墓園までは行かない、タクシーしかない、とおっしゃる。しかたなくタクシーに乗る。しかし駅から程近いと思ったら何と30分もかかった。しかも運転手は流石に実状をよく知っていて、閉園は午後5時という。駅に着いたのが4時20分。タクシーに乗ったのが4時半を過ぎていた。運転手さんは速度を上げて10分前に到着できた。しかし何と5千円以上かかった。

 それはともかく、墓に参じ礼拝した。昨年、帰郷する時に同行しようと久しぶりに電話をしたら奥様が2年半前に他界したと言う。愕然とした。20年以上前に他の友人と三人で飲んで自宅にころがりこみ泊まったことがあった。それ以来の電話だった。それが遅い訪れとして死を知った。忸怩たるものがあった。昨年、21年ぶりに帰郷し生まれ育った土地の空気と旧友たちとの再会を楽しんだ事を共に味わいたかった。その後悔でやっと昨日墓を訪ねたのである。

 それにしても駅から車で30分もかかる不便な土地を彼はなぜ選んだのか。その理由はあるていど見当はつく。しかし墓石も風景も物寂しいものだった。暫し瞑目しそそくさと墓を後にした。アカショウビンの墓は父母の眠る場所である。彼は奥様が建てられた自らの墓に眠る。故郷の墓には入れないしきたりなのだ。アカショウビンの父もそうだった。

 遅い死の知らせというものがある。彼の死がそうだった。アカショウビンの場合も遠い友人達に将来あり得る事だ。残された者たちは記憶や書かれた物、写真で故人を偲ぶ。余生といえどそのためにやらなければならないことは少なくない。粛々とその日のために生きるのだ。Tよ、安らかに眠れ。冥土の土産は持っていく。その時はゆっくり中学時代の思い出話やその後の互いの人生を語ろう。それを楽しみに娑婆の残りの時を自堕落な日常から這い上がり過ごしたいと思う。

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