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2014年4月11日 (金)

故郷とは何か?

 21年ぶりに故郷の奄美に帰ったのは昨年10月末である。還暦同窓会という案内で、それは奄美が米国の信託統治から解放され〝クリスマスプレゼント〟として日本国に返還されてから60年が経過した節目の年だった。定年の早期退職を促され失業中で求職中の経済的困難と体調不良のうちで決断した。故郷の土を踏むのは父の葬儀以来だった。その状況はブログにも書いたので繰り返さない。

 故郷とは何か?その回答は人それぞれにあるだろう。そのような問いを発するきっかけになるのは3月29日(土)の毎日新聞に掲載された赤坂憲雄氏の文章を読んだからである。赤坂氏は2011年4月21日に福島県南相馬市小高を訪れている。それは数年前に〝島尾敏雄論〟を書くためであったらしい。島尾敏雄という、妻のミホさんの故郷である奄美にも住んだことのある小説家は小高の生まれである。

 島尾敏雄(以下、敬称は略させて頂く)が精神を蝕まれたミホさんの治療を兼ねて奄美に棲んでいた頃にアカショウビンは島尾が勤めていた図書館で中学生の頃に島尾の姿も見た。そのような関心は、担任の教師が県立図書館には「有名な小説家が勤めている」と話したことが因だった。母親から聞いた先の大戦の体験を介して〝戦中派〟の作家の作品には、その後、少しずつ接していった。都内で学生の頃か社会人になった頃か総武線の社内で島尾と思しき中年男の姿を垣間見たこともある。

 そのような中学生の頃から青年期にかけて、島尾という〝戦中派〟の作家は吉本隆明との親交も介して興味を持ち続けてきた。昨年の帰省のときには島尾ゆかりの加計呂麻島も訪れたかったが2泊3日の短期間では先祖の墓参りをするのがやっとで叶わなかった。

 赤坂は文中、「島尾は奄美を仲立として『東北』を再発見していたのである」と述べている。島尾の「ヤポネシア論」は夙に有名だが、それはさておく。赤坂は東北の思想家には島尾の「どっちかというと異端の人が多い」という言葉を引く。島尾も、同郷の埴谷雄高も「異端の名にふさわしい作家ではなかったか」と赤坂は云う。

 この赤坂の東北論、奄美論を介しての作家たちの作品は興味深い。さらに些か熟考を重ねていきたい。

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