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2014年4月17日 (木)

宮沢トシのこと

 毎日新聞の朝刊に〝平塚らいてう「太陽」の萌芽〟の見出しで記事が書かれている。副見出しの〝宮沢賢治の妹も 厳しい自己探求〟の文字に刮目した。アカショウビンには平塚らいてうよりも賢治の妹トシの筆跡とその内容が興味深かった。トシとは賢治の「永訣の朝」に記された早世した妹である。

 記事によると、らいてうは3回生、トシは15回生と記されている。一回りの年齢さがあるにも関わらず当時の若者にも共通する新たな環境で学問することの喜びと気概を痛感する。それは多くの人々が経験するものだろう。トシは自己調書カードの性格欄に「意志薄弱、陰鬱、消極的、其他大抵ノ短所ヲ具有ス 正直」と記している。また入学時の決心に「吾ヲシテ最モ意義アル生活ヲナサシメント欲ス」とも。記者は「きちょうめんな筆跡からも、内省的な人柄がしのばれる」と書いている。しかしアカショウビンは「其他大抵ノ短所ヲ具有ス 正直」の一行にトシのユーモアを読み取る。

 賢治の「永訣の朝」は保田與重郎的に言えば慟哭するしかない作品である。先の日記でも赤坂氏の論説を引いたように或る〝東北人〟に共通する典型があるように思う。それはよそ者の思い込みかもしれない。しかし赤坂氏が指摘するように島尾敏雄や埴谷雄高に共通する異端への意志をアカショウビンは賢治や島尾、埴谷の作品を介して実感する。埴谷にとってそれは台湾かもしれないが、島尾や賢治には福島と岩手の故郷だろう。アカショウビンには昨年久しぶりに訪れた奄美である。

 トシの名を久しぶりに眼にし、「永訣の朝」で死にゆく妹の姿を活写した賢治の詩を改めて想起した。24年の生涯は世間常識からすれば何と短いあはれな人生だったことか、ということになる。しかし寿命とは人それぞれ異なっても長いも短いもないと思われる。娑婆での生は人それぞれで充足するしかないのではなかろうか。そこには、それぞれの喜怒哀楽がある。還暦を過ぎてアカショウビンには既に余生である。平均寿命などどうでもよい。賢治やトシからすれば無駄に余計に生き過ぎたとも言える。しかし日々新たな気持で娑婆の生は生きねばならないだろう。早世した人々の残念の思いを何らかの形で悼むためにも。それは既に此の世を去った縁あった人々を新たに想起することである。日常の怠惰をたまには反省する。それはこの記事のような文字を介してでもある。

 「永訣の朝」の或る兄妹の姿は此の世に少なからずあるだろう。それは娑婆の苛酷な時間とも解せられる。しかし言うまでもなく喜怒哀楽と集約できる時間でもある。

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