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2014年3月28日 (金)

保田與重郎の「高山樗牛論」再読

 久しく中断していた保田與重郎を先日から衝動的に読み出し面白かった。文庫第22巻「作家論集」の『高山樗牛論』である。この巻は、作者の三島由紀夫・人物論を確認するため少し前に読み直した。そうそう、石原慎太郎の三島論と比較するためだった。

 保田の『高山樗牛論』は戦時中の昭和18年に小学館から発刊された。保田らしい樗牛観が実に面白い。当時の陳腐な樗牛論を一蹴しようと目論まれた意図が横溢している。近頃、精読に足る書物が少なく、そのうちの貴重な書物が保田やハイデッガーの論考となってこちらを挑発してくるのだ。この巻の論集は『伊東静雄の詩のこと』という保田が主宰していたコギトに昭和11年に書かれたものから収められ、最後は三島追悼の『天の時雨』で締め括られている。

 いずれにしても一行、一行、保田の魂魄が読み取られる論考の集成である。樗牛とは、保田にとって日清・日露の間の10年間に健筆を振るった天才である。32歳の早世だったが実に世界史的な稀有の高みに昇った我が國人の一人と保田は絶賛している。

 樗牛は山形・鶴岡の出身である。以前、仕事で鶴岡を訪れたときに藩校の致道館で樗牛の作品原稿、手紙の類が展示されているのを役得で拝観した。樗牛を読む人は現在どのくらいか詳らかにしない。しかしアカショウビンにとって、樗牛がニーチェから日蓮に至り夭折したことを保田は新たな視点で樗牛の著作に生命を吹き込み後学の道標としているのを読み取る。文明開化派の論説と鋭く対立する保田の面目が躍如する。繰り返し精読して弛んだ日常に喝を入れたい。

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