« シェリングとドイツ観念論に関して | トップページ | アラン・レネ追悼 »

2014年3月 5日 (水)

シェリングの回答

   ハイデッガーが『ドイツ観念論の形而上学』でシェリングを論じる急所は、アリストテレスが『形而上学』のなかで記した「アノ古ク、イマナオ、マタ常ニ永遠ニ問イ求メラレテオリ、マタ常ニ難問ニ逢着スルトコロノ、存在トハ何カトイウ問イ」(同書p78)というハイデッガーの『存在と時間』以降の他の著作、講義のなかで繰り返し引用される「問い」である。

   ここでハイデッガーが実に興味津々で引用しているのがシェリングの回答だ。シェリングは、こう記し、断言している。

  「最終的かつ最高の審級において意欲以外のいかなる有もない。意欲が原有であり、これ[意欲]のみにその[原有]の一切の述語、無根拠性、永遠性、時間からの独立、自己肯定が適合する。全哲学はこの最高の表現を見出そうと努めているに過ぎない」(意志としての有)・・・(同書p77)

   これに対する論説がハイデッガーの存在論(有論)の白眉と思われる。翻訳は決して読み易いとは言いにくいけれども、恐らく多くの研究者たちによって指摘されている原著の読みにくさにそれは起因している。したがって、われわれは原著にあたるよりも日本語でハイデッガーが到達した境地に「意欲」をもって分け入らねばならない。

  さらに続けてハイデッガーは次のように述べる。

「意欲が原有である」、すなわち意欲は有の根源的本質に対応する。何ゆえのことか。有の本質を言明する述語が卓越した意味での意欲に帰せられるからである。意欲だけを挙げれば前述の述語は十分である(有はどうなのか。絶‐対的に把握される有るものと同時に、有るものそのものというもの)。(同書p78)

   最後の箇所はわかりにく文だが、ここで大事なのは「卓越した意味での意欲」という箇所だろう。ありきたりの意欲と卓越した意欲が区別される。それが有の本質、とシェリングは洞察している。ここからのハイデッガーの踏み込みが面白い筈だ。

|

« シェリングとドイツ観念論に関して | トップページ | アラン・レネ追悼 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« シェリングとドイツ観念論に関して | トップページ | アラン・レネ追悼 »