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2014年1月12日 (日)

グルダのベートーヴェン

 若い頃に買ったアマデオ盤のベートーヴェン・ソナタ全集は、アカショウビンほどに西洋古典音楽に関心のない友人のN君にベートーヴェンを聴くときに損はないから、と説得し格安で売却した。その後、N君がどれほどグルダの録音を介してベートーヴェンの世界に分け入ったから詳らかにしない。しかし、その後も流通過程で格安になったCD盤にはホルストシュタインがウィーン・フィルを指揮したグルダと演奏したピアノ協奏曲もあったので喜び勇んで購入した。

 それを先日から衝動的に聴き直して何事か書き付けたくなった。

 今、聴いているのは作品22の第11番変ロ長調ソナタ。快活なテンポはグルダらしい解釈だ。それが、かなり速めに感じるのはバックハウスなどの録音演奏がアカショウビンには妥当なテンポとして染み込んでいるからだろう。次は作品26のヘ長調ソナタ。このアンダンテ・コン・ヴァリアゾーニと指定された1楽章は出だしは過不足のないテンポだ。2楽章はアレグロ・モルトと指定されたスケルツォ。その快活なテンポはグルダの特色が強調されない。3楽章のマーチ・フュネーブルも。4楽章のアレグロと指定されたテンポには、いささかグルダらしさが溢れている。バックハウスと違ってグルダの解釈は、やはりこのテンポの快活さにあるのだ、ということを知らされる。

 13番の変ホ長調ソナタの1楽章は何とも穏やか。ベートーヴェンの、激しい気性という通説の通俗性を覆す静謐さに心安らぐ。続く第3楽章アダージォ コン エスプレッシオーネも同様だ。ソナタ形式という制約の内で4楽章は進行する。しかしベートーヴェンという音楽家の内面の奥底は此の世で聴き取る稀少な崇高として聴き取らねばならない存在の音、律動としてアカショウビンには思われる。名曲とされる「月光」も、そういったベートーヴェンという革命的な音楽家の内面として聴き取られる。それはグルダでもバックハウスでも誰でもが正面しなければならないベートーヴェンという人間の貴重と深淵だ。

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コメント

グルダは昔20年以上前に悲愴や月光のCDを買ったなぁ。小気味の良い演奏だった気がした?誰かに譲ったか今は無いので記憶も怪しいけど(笑)

投稿: snokey | 2014年1月14日 (火) 午後 10時33分

 snokeyさん。コメントありがとうございます。
 >小気味の良い演奏だった気がした?
 ★そうなのです。あらためて聴き直していますが実に小気味のよい演奏です。ベートーヴェンのピアノソナタは久しぶりに集中して聴いていますがエリー・ナイやバックハウスの他に未知のピアニストも聴いてみようと思います。

投稿: アカショウビン | 2014年1月15日 (水) 午前 06時18分

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