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2014年1月10日 (金)

至高の練度

 〝至高の練度〟とは吉田満氏(以下、敬称は略させて頂く)が「戦艦大和ノ最期」の結語で書いた用語だが、今朝のテレビ番組で以前に見たメナヒム・プレスラーのドビュッシーの「版画」とシューベルトの変ロ長調(D960)の日本でのリサイタルを見て、その言葉を想起した。この演奏は驚くべき境地に達していると再び聴きながら実感する。老齢のピアニストが達する境地というものがあるのだ。それは演奏技術を超えて達せられる境地というものだろう。

 朝は久しぶりにグルダのベートーヴェンを聴いて喝を入れた。全盛期のグルダの演奏として面白い。よく指が動くのはピアニストとして必要条件だろうが十分条件ではない。それでもグルダの演奏が面白いのは、その十分条件というものを幾らか充足しているのではないかと思わせられるからだ。それはジャズにも強い関心を示したことで晩年のグルダの来日公演などが思い出される。しかし、〝至高の練度〟とは吉田が経験し九死に一生を得た実戦に対する最高の誇りと賞賛の言葉である。それは生半可な言葉ではない。

 プレスナー氏の演奏を聴いて、そこには或る崇高な境地が感じられる。それは実に貴重な時だ。シューベルト晩年の秀作はピアニストにとって特別な作品と思われる。そこで運指の練達は必要条件に過ぎない。歳を重ねて表現される境地と表現がある。プレスナー氏はボザール・トリオでハイドンのピアノ・トリオを録音している。それも改めて聴きながら新春に名匠の演奏の深みを少しでも堪能したい。

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