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2014年1月19日 (日)

言霊と音楽と存在

 朝の早いアカショウビンにとって明け方の時は貴重である。時にNHKのラジオを聴く。今朝は歌人の岡野弘彦氏。実に興味深い氏の語りが聴けた。氏は折口信夫の愛弟子で先の大戦を経験された、いわゆる戦中派である。戦後の氏の作品や生き様は新聞やご著書で管見している。歌人として詩人として話し書かれている作品や言葉は氏の魂が吹き込まれている言霊というものである。氏は〝あかとき〟が作品を作られる時だと話された。〝あかとき〟とは古語でいう夜明け前である。漢字では明時〝あかつき〟とも言う。〝あかときくだち〟とは夜が更けていってあけがたちかくなる頃である。

 一日で此の時は或る人々には貴重な時である。母が亡くなる前に東の空に向かって手を合わせて祈っていた姿を思い出す。アカショウビンにとっても好きな音楽作品を聴くときは此の10年余、この時である。

 今朝はマイルス・デイビスが1964年にニューヨークで録音した「マイファニー・バレンタイン」を聴いた。50年代のバンドから新たに結成した面子の演奏に挑発、刺激される。ジョージ・コールマンのテナーは時に冗長で退屈だが早世したドラムスのトニー・ウィリアムス、ベースのロン・カーター、ピアノのハービー・ハンコックらがマイルスにインスパイアされて丁々発止の演奏を繰り広げる。時間の制約もあるのだろう、最後の〝アイ・ソート・アバウト・ユー〟で唐突に終わるのが残念だが、タイトル曲から〝オール・オブ・ユー〟、〝星影のステラ〟、〝オール・ブルース〟と楽しめた。観客も時に良く反応して拍手を送る。ライブならではである。そこでバンドを挑発するのはマイルスの一吹きである。その深い響きは録音といえど聴く者にも伝わる。トニー亡きあとハービーもロンも健在である。今や中高年の熟練の時を満喫していることであろう。あかときの貴重な時を彼らの録音を聴いて過ごせたことを言祝ぎたい。それは此のブログの主題に則って言えば存在の音を聴けたということである。存在は言葉という家に棲むと説くハイデガーの言葉を想起する。その顰に倣えば優れた演奏は、その中に存在を有していると思うのだ。言霊が存在を有しているように。

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