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2013年11月14日 (木)

憂国忌の前に

 先日、衝動的に保田與重郎の「天の時雨」を再読した。三島が自刃したあと保田が昭和46年1・2月号の「波」に書いた、「方聞記―三島由紀夫の死」をはじめ、その後に書いた5編を集め「天の時雨」の総題で『浪漫人 三島由紀夫』(昭和48年、浪漫)に収録されたものだ。ここには保田の三島への哀悼の気持が綿々と綴られている。三島の死についてアカショウビンが読んだ追悼文の中では出色の文集であることを再確認した。既に書いた『三島由紀夫の日蝕』(1991年 新潮社 石原慎太郎)の不満を越える保田の心情が表出されている。

 事件のあと新聞社から保田に電話があり、保田は「今日最も立派な人が、思ひつめてしたにちがいなひことを、ありあはせのことばでかりそめにとやかく云ふことは、私にはとても出来ない、私はさう答へた」(新学社 保田與重郎文庫22 作家論集 p272)と書いている。「この『最も立派な人』といふことの大略を、もし云はうとするなら、私の知る限りの、人間の歴史の縦横のつながりを、今の時点で、一つの今の創造世界によせ、ひき、くみ立ててみせる、その方法を人が見て、少々理解してくれると有難いと思ふやうなものである」と続ける。

 保田は三島の死を歴史の中に位置づけようと連綿と、その死を自らに納得させようと考え続ける。三島の死のあと27日以後に「この事件に即して過去の歴史のすべてを考へた」と書く。保田の歴史観のすべてを動員して三島の死を定位しようと足掻いたことを保田は隠さない。これを読めば小林秀雄が江藤 淳との対談で述べた感想にもっとも近い感慨を読み取ることができる。

 昭和44年8月号の「新潮」に掲載を開始した「日本の文學史」(保田與重郎文庫22)は昭和46年10月号の24章をもって全編を終わった。「三島由紀夫の最後の四巻本の小説は、小説の歴史に立脚した上でなしあげようとしたのであろう。さういふ思ひが、十分に理解されるやうな大作品である」(同書p412)と書いている。さらに「人を、心に於て、最微に解剖してゆくやうな努力は、私に怖ろしいものと思われた」とも。25日まで、更に愚考を重ねよう。

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