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2013年11月 2日 (土)

ふるさとの恵み

 帰郷から一週間が経ち改めて21年ぶりの帰郷の貴重を反芻する。最終日は従妹が自家用車でアカショウビンの行きたいところへ案内してくれた。従兄の墓、田中一村終焉の地、先祖の墓へ。外観は新車のように見えたが20年間乗っていると聞いてびっくり。振り返れば21年前の父の葬儀の前後に購入したことになる。道中はお互い積もる話で、いくら時間があっても足りない。招き入れてくれた自宅は髪結いの仕事場と隣接する立派な一戸建て。生活は親戚の中でもっとも裕福なことが察せられた。夫婦共働きで二人の子供を育てあげた。子供たちは都内と長崎で暮していると嬉しそうに話した。夫婦だけの二人暮らしは寂しいだろうが盆暮れの子供達の里帰りで親類たちとの賑やかな宴席はさぞやと想像される。家族とはいいものである。従妹の言葉の端々から充実した現在の生活が偲ばれた。彼女の兄と姉は京都で昔の羽振りからすればアカショウビンと同様で幾らか落剥している。その中では彼女達がもっとも豊かな生活をしていることが察せられた。その幸いを感謝と共に言祝いだ。

 先祖の墓に詣でたときに従妹が月に2回、墓に来ていると聞いて驚いた。それが私の役目とも呟いた。そうか、我が祖先の歴史の現在は彼女が背負っているのか。

 初日と二日目に一人で活気に欠ける街の中心部の歯欠になった商店街を歩くと、内地のどこにでもある地方都市の疲弊と同じ姿に暗澹となった。小学生から中学生まで生まれ育った頃の街の活気は夢幻の如し。しかし、従妹や伯母家族の情愛は、そこに一筋の光明と生気を吹き込む。アカショウビンの荒んだ心に彼女達の声と振る舞いは天佑の如きものである。

 同窓の友人たちも同じだ。以前は二昼夜かけて辿り着いた故郷は東京から空路2時間で帰られる。あの時空間は呆気にとられる程に短縮された。文明の発達とは斯くの如しだ。街中は変貌していても自然は未だ昔の面影を残している。空港から市内に至る海辺の景色は眼の覚める美しさだ。これがふるさとの自然の恵みである。その中で、それこそ半世紀近くぶりに再会する旧友や同級生たちは当時から見分けがつかない面々がいてもあの頃の時空間が再来する。此の不可思議とは何か?一週間が過ぎてアカショウビンには夢現のように思われるのである。しかし、その不可思議には実に豊饒な娑婆での生が無尽蔵にあることが想像できる。それは、偏にこちらの意志と想像力の勁さと深さが試されるのであるけれども。

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