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2013年11月21日 (木)

1970年11月25日

 高校生にとって、あの〝事件〟の衝撃は強烈だった。国語の教師は興奮して授業を中断し、三島由紀夫が、どういう作品を書き、どういう小説家なのかを演説した。何より同級生が持ってきた、朝日新聞の夕刊に掲載された、介錯された三島の首の写真が〝事件〟の凶々しさを象徴していた。象徴というより、それは日本という国の歴史事実としてアカショウビンには痛烈な印象を与えた。三島の死を遥かに越えて還暦を迎える歳になり、未だに熟考を要する歴史的事実の一つとして脳裏に明滅する。

 それは政治的状況や文学的な解釈を超えて、一人の小説家、男の精神領域への好奇心と興味、関心を伴い高校生の日常に割って入ってきた衝撃だった。政治的にも文学的にも〝事件〟の影響は幽かなものになっている。しかし、一人の小説家の苛烈な死に様は、江藤 淳が揶揄したような〝病気〟ではないと思う。それは小林秀雄が、それに対して応えた歴史的意味づけがされる〝事件〟とアカショウビンは理解する。

 先日観た大観の作品群も三島の文学作品と並べて日本という国の歴史、敢えて言えば世界史の中に位置づけられてしかるべき内容を含むと確信する。大観作品の奇矯は三島の死の奇矯と相通じる筈だ。それが此の国の〝歴史〟を通覧するときに炙り出される典型的な現象なのではないか?大観の大柄な金屏風絵の寒山拾得の表情の狂気の如き笑いは三島の高笑いの表情を想い起こさせる。それは娑婆の現実に対する理想家の拒絶とも唾棄とも解釈される意味性を持たないだろうか?
 戦後を生き延びた死にそこないの人生に決着をつけたのが、あの〝事件〟であることは前後に自裁した人々の精神風景と近似しているのではないか?それは現在の政治状況、文化的現在とも共振し合っているのではないか?

 

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