« 栖鳳の雪舟模写への注釈 | トップページ | 日曜から月曜の深夜の至福 »

2013年10月20日 (日)

帰郷にあたって

 台風27号の接近で今週の帰郷が危ぶまれてきた。これが最後の帰郷と心得ているので実に心もとない。もしかしたら悪天候にも関わらず飛び墜落してお陀仏となるかもしれない。そこで事前に遺書として以下に記しておくのである。 

今週の土曜日に20年ぶりに帰郷する。ところが猛烈な台風27号が近づいている。果たして帰郷できるかどうか。友人達とは別れの杯を重ねている。もし羽田から飛ぶ飛行機が落ちたら、それでお終いである(笑)。1990年9月に初めて仕事でニューヨークに行った時に最初の遺書を書いた。幸い無事に帰国できたが、その時は1億円の保険をかけた(笑)。太平洋を越えてアメリカまで行く間にジェット機が墜落することを案じたからである。殆どの科学を信用しないアカショウビンは、あの巨体が空を飛ぶということが信じられない。同様に原子力発電所もフクシマの悲惨な事故で信用していない。これは一見無関係のように見えて実は底で繋がっている。その詳細は、このブログで再三述べてきた。そこで今回も新たに遺書を用意する次第だ。

呼びだしの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな

松蔭寅次郎の辞世五句の一句である。もとより私の死は松蔭のものとは異なる。しかし死の覚悟をしておくことは、どの時代にあっても大事な事と考える。僭越ながら、そこで松蔭の辞世は怠惰な私の日常を激しく撃ち、黄泉の国からの木霊となって届くのである。

アカショウビンは長い晩年を過ごしてきた、と我が人生を振り返る。何度も引用して恐縮だが、ハイデッガーは「人間は、存在へと身を開き‐そこへと出で立ちながら、存在の運命のなかに立ち、歴史的である」(「ヒューマニズム」について・ちくま学芸文庫71頁)と、実に独特な考えを示している。それは刺激的で、ある種の洞察として迫ってくる。

還暦を目前にしたアカショウビンという現存在はハイデッガー流に言えば、先駆的に死を覚悟しながら、その準備を現世で心残りなく終えたいために、この先駆的覚悟を公にするのである。

その頃、2005年8月4日に松蔭寅次郎の「留魂録」を再読し、新潟での仕事を終え、帰りの電車の中で藤田省三の「松蔭の精神史的意味に関する一考察―或る「吉田松陰文集」の書目選定理由」を読み終えた。そこで松蔭の死に臨む心境に思いを致し己の覚悟の胡乱さに嘆息したのである。日暮れて道遠し、の感を些かなりと実感し、そこでの感想が「私は長い晩年を過ごしてきた」という感興を文字にしたわけである。

 書き残したい事は幾つかあるが、先ず「自未得度先渡他」という道元の文言から始めたい。私は仏教に関わった者として、この文言にこだわりたいと思う。道元は、ここに仏法の精髄が込められているという。これは仏教の本質を論じるうえで使われる、自力と他力という二つの概念を理解するうえで格好の文言と思われる。そこには自力と他力が混在した思想が表出されている。私からすれば、それはインドから中国、日本で実に興味深く展開された大乗仏教の精髄が込められていると思われる句だ。先に読んだ五木寛之氏の「他力の思想」に異論を呈するなら大乗仏教の精髄は、このような異論となって述べなければならないと思うからだ。それは更に無事に生きて帰れたら展開していくつもりだ。衆生済度、という理念は仏教思想の重要なものである。その点からすると道元の座禅には出家者のみの悟りという小乗的な狭い修行のようにも思われる。しかしそこには、法然や親鸞の「弥陀の本願に任せる」絶対他力の思想ではなく、自らが習得した「只管打座」という座禅で悟る強烈な自力の修行の正当性が主張されている。また、それは自力のみでなく、あるいは他力とも見える独自の思想が込められているように思う。

自力と他力という、仏教思想の本質に関わると思える概念は、これまでどのように論じられてきたか詳らかにしない。しかし私達が生きているこの時代にそれをアカショウビンが明らかにしておくことは仏教を論じるうえで避けては通れない難関だ。その論及は、とりあえず仏教に縁ある者として、私の母や高校時代の友人達には意外かもしれないが、私が学生時代から読み続けてきた道元の「正法眼蔵」が回答を励起する導きの糸だった。道元、法然、日蓮、親鸞ら平安、鎌倉仏教の始祖達の文章に啓発され間歇的に格闘してきたのがアカショウビンの一生と言ってもよい。

               音楽

この時代を生きて良かったと思うことは西洋の古典音楽、特にバッハからマーラーまで、やコルトレーン、マイルス、モンク、ズート・シムズ等のジャズを聴くことが出来た幸せだ。

特に中学生の頃に初めて小遣いを貯めて買ったベートーヴェンの「運命」は、その後の私の音楽体験の試金石となった。カラヤン指揮のフィルハーモニア盤だったが演奏の良し悪しよりべート―ヴェンの音楽との出会いが決定的だった。ただ、その頃はクラシック音楽には馴染みが薄く、好奇心は幾らでもあったから音楽だけに関心を持つことは出来なかった。けれども、その時からベートーヴェンはアカショウビンが音楽を聴く時の指標になった。

その後、現代音楽にも出会ったけれども西洋古典音楽のベースは今まで変わることはない。ベートーヴェンはダサいという人もいるだろう。しかし、それは私からすれば音楽体験の相違にしか過ぎない。ベートーヴェンの「運命」は、少年の心に音楽の「構成力」とは何かを伝えてくれたのは紛れもない事実だ。

その後、中野で大学浪人していた頃に聴いたシゲティが演奏するバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータは当時のアカショウビンに「音楽の力」を再び響かせて、無為の時空に一筋の光明が射した。そして、ともかく、生き延びる力を与えてくれたのである。

2003年3月9日は、よく晴れた日曜日だ。朝、私はウィスキーを一口飲んだ後、買ってきたスルメを齧ると前歯の隣の歯がゴキッと鳴った。取れはしなかったが今にも折れそうだ。それは先日、CDで買い直したバッハの「マタイ受難曲」(コルボ指揮ローザンヌ室内菅 1982年)とフルトヴェングラーがウィーン・フィルを指揮した1954年盤を比較し聴いていた時の出来事だった。たかが歯1本。しかし人は弱気になり肉体の脆さに改めて気付く。イエスの受難をバッハは怒りをもって、悲哀に満ち、激しく優しく粛々と楽譜に刻む。それを聴きながら私はたかが歯1本など、と思いながら、憐れにも肉体の意外な脆さに気付き、そして私に残された、この世に棲む日々の少なさに慌てるのだ。たかが歯一本の痛みはイエスの受難からすれば、とんでもない飛躍だろうけれど、しかし、それも歯の功徳と理解するのが仏教徒である。

                      故郷

故郷の奄美を書こうとしている時に、テレビを見ていたら、「昔、海の向こうから戦がやってきて、あの日、鉄の雨に打たれ父は死んでいった」と「さとうきび畑」という作品で森山良子が歌っている。さらに「夏の日差しの中で 私の生まれた日に戦の終わりはきた」と歌詞は続く。それは、時の移り変わりの不可思議さに「私」は、ぼんやりと思い至っているのだ。

日本地図で見れば、奄美は沖縄の隣と言ってもよい島である。少女時代から徳之島で育ったアカショウビンの母は世を去る少し前に昔話で戦争中に祖父と船に乗っている時に米軍の戦闘機に機銃掃射を受けた経験を新たに話してくれた。その後、書物や映画、テレビ等で、あの戦闘で死に、生き残った人たちの事を知るにつけ、アカショウビンにとって此の国の近世史と現代史は避けて通れぬものとなった。それは保田與重郎やハイデッガーを読み直し、此のブログで継続している。

「知らない父の手に抱かれた夢を見た」という歌詞は心を打つ。歌詞の中の「私」は父を求めているわけだが、父は、あの激しい戦闘の中で死に、この世には存在していない。「私」の中の彼、彼女の生きている景色と感情の中で、「夏の日差しの中で」、それは或る「意味」を持ち「私」は現実には存在しない父を「想い起こす」のだ。

アカショウビンも、この世を去る時が来る。もし母親より先に行くとすれば(それは結果的にそうはならなかったが)それは世間では最たる親不孝だ。しかし仏教ではそうは説かない。母には、この遺書を通して、それを伝えれば、私という「最たる親不幸」の生きた意味を少しは納得してくれるかもしれない。

学生時代か浪人時代に観た「死刑台のメロディ」という映画は、アカショウビンに「怒り」とは何かを痛烈に訴えた。アカショウビンは政治運動に関わったという経験は殆どない。学生時代の友人や、かつての職場で、べ平連の活動について、それらしき議論は随分したが、青年期に、この作品ほど「現実」が「政治」に深く関わっていることを教えてくれた作品は、それ以後もそれほどあるわけではなかった。映画の感想はノートや、このパソコンにも折々書きこんでいるので興味があればお読みいただきたい。

                 哲学

ハイデッガーの著作は、この十数年、アカショウビンがこだわってきた哲学だ。高校の頃からカントを読み始めドイツ哲学に馴染んだ私は、それ以後はドストエフスキーの文学から道元、日蓮、親鸞らの仏教思想と吉本隆明やその周辺の論客たちの評論とハイデッガーらの哲学の間を遊泳し続けてきたと言ってよい。

そして1989年頃にフランスで起きたハイデッガー論争を通じて、かつて途中で読み止しにしておいた「存在と時間」を読み継ぎハイデッガーの思想を再考しだした。たとえば次のようなハイデッガーの言説は難解ながら興味をそそるものだ。

「待望の光明」については、それが何よりもまず経験と眼差しの転換にかかわるだけに、ほとんど伝達不能です。「現にあること」の開けとは空き地を耐え忍ぶことで〔出で立つこと〕「である」のです。空き地と「現にあること」とは、そもそもの始めから共属しており共という形で両者を規定する。それは仏教哲学とも深くかかわる思考と私には思われる。

|

« 栖鳳の雪舟模写への注釈 | トップページ | 日曜から月曜の深夜の至福 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/58421236

この記事へのトラックバック一覧です: 帰郷にあたって:

« 栖鳳の雪舟模写への注釈 | トップページ | 日曜から月曜の深夜の至福 »