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2013年10月11日 (金)

水俣病の今後

 大阪に棲んでいた頃に石牟礼道子さん(以後、敬称は略させて頂く)の著作を読みながら久しぶりに学生時代に遭遇した水俣問題を再考した。「花帽子 坂本しのぶちゃんのこと」(創樹社 1973年4月10日)を読み直した。文は石牟礼道子、写真はW・ユージン・スミス+アイリーンM・スミス。今年57歳になる、しのぶさんの少女時代の姿と生き様が31頁の小冊子の中に凝縮されている。

 未だ健在の母親のフジエさんの言葉は先のブログで引いた10月3日の読売新聞に掲載されている。「水俣病がなければ、海とともに穏やかに生きるはずやったとに」。長女の真由美さんを授かり夫婦は「のさった、のさった」と喜んだ。しかし真由美さんは4歳5か月で亡くなった。その頃にしのぶさんが生まれた。そのしのぶさんにも障害が出た。胎内でメチル水銀に侵されていた。フジエさんは「私に何かあったら、しのぶは、どげんして食べていくとか」と歎く。また「6歳で歩けるようになった時は、ほんとうにうれしかったな」とも。そして「当時のチッソの幹部は冷たかった。金を払ったからもうよかでしょ、ちゅう態度やった。怒りやら情けなさらやらがこみ上げて、お金ば突き返して言うたと。『お金は返します。そんなら、死んだ真由美ば生き返らせてくださいよ』って。お金で何でも解決できるという考えが、公害を生むんじゃなかろうか」。

 このような血を吐く思いで搾り出された言葉の重みと深みを我々は心底から聴き取らなければならない。

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