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2013年10月 1日 (火)

田中正造、没後100年を考える

 福島原発はじめ国内原発の帰趨が話題になるなかで9月12日(木)の毎日新聞朝刊10面・埼玉版)には足立旬子記者(科学環境部)が「田中正造没後100年 生き方や思想 再評価」の見出しで論説を書いている。田中正造は1841年(天保12年11月3日)に生まれ1913年(大正2年9月4日午後零時50分)に没している。記者が引用している田中の言説が痛烈だ。全文は同社のHPで読んで頂くとしてアカショウビンの感想を記しておこう。

 足立記者は記事で田中(以下、敬称は略させて頂く)の言説を引く。それは田中の面目躍如だ。「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」、「デンキ開けて世間闇夜となる」。

 記者は「経済優先の近代文明を鋭く批判した言葉は色あせない」と書く。その言や好し。また〝「自然を征服」は人間のおごりの〟の中見出しで、正造は「軍備を全廃し、浮いた費用で世界中に若者を派遣し、外交による平和を構築することも唱えた」と評価する。これまた、その言や好しである。

 しかし正造の警句は生かされず、約50年後、今度は水俣病が発生した。これについてはアカショウビンもこのブログの中で書いて思索を継続している。ご興味のある方は是非にも渡辺京二さんや石牟礼道子さんの書物を介して書いた記事を読んで頂きたい。

 正造は私財を運動に投じ、信玄袋に入った全財産は大日本帝國憲法と聖書、日記帳石ころなど僅かだった、と足立記者は書いている。それは田中正造という傑物の生涯を象徴して興味深いではないか。

 また死の間際の語りも。曰く「見舞客が大勢来ているうようだが、うれしくも何ともない。正造に同情してくれるか知らないが、正造の事業に同情して来ている者は一人もいない」と洩らしたらしい。さらに「俺の書いたものを見るな。俺がやってきた行為を見よ」とも。

 ここに歴史に刻まれる人物がいることを改めて確信する。

 正造と足尾銅山鉱毒事件を研究する方は次のように足立記者に語ったらしい。

 「正造の事業とは鉱毒事件解決だけではない。憲法に基づき、国家が国民の生命と生活をきちんと守るよう、政治も含め社会の仕組みを変えようとした」。この言は更に好し。今月4日の正造の命日に出身地の栃木県佐野市で法要が営まれたらしい。

 足立記者は次のように記事を締め括っている。

 「(法要が)始まってすぐに雨が激しくなり、雷が何度も鳴り響いた。100年たって日本は経済大国になったが、山や川が荒らされ、人の命が軽んじられている。政治家は、国民は、何をやっているのかと、正造が叱咤しているように感じた。一人一人が何ができるかを考え、行動を起こせ―。雷鳴が胸に刺さった」。

 足立記者の素晴らしい感性を賛嘆したい。同時に自らも正造の行動に共振し日常を改革する行動に打って出なければ娑婆で生きる面白さは得られない筈だと痛感するのである。

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