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2013年10月 6日 (日)

朝の愉悦

 日々の日常に倦み疲れるなかで音楽を聴く楽しみはアカショウビンにとってカンフル剤の如きものである。今朝はモーツァルトの室内楽を久しぶりに朝の「題名のない音楽会」で聴けた。「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲」(K423)。この作品を以前に聴いたかどうか定かでない。しかしモーツァルトを聴く悦びはしばし堪能させて頂いた。しかもヴァイオリンはベルリン・フィルのコンサート・マスターを務める樫本大進(以下、敬称は略させて頂く)。何ともモーツァルトの音楽を聴く悦びというのが、この作品にも溢れている。
 モーツァルトが高名な10曲の弦楽四重奏曲(k387~k590)を作曲していた頃にミヒャエル・ハイドンがコロレド(ザルツブルグ大司教)に献呈する6曲の二重奏曲作品を病のため完成することができずモーツァルトが友情で作曲したという逸話がミヒャエルの二人の弟子によって伝えられているらしい。
 手元にあるアルフレート・アインシュタインの「モーツァルト その人間と作品」(浅井真男訳・白水社)によると「二つの二重奏曲の成立については一つの逸話があるが、これは少なくとも全然信じえないというものではない」と前置きして「逸話」と作品評を記している。またアインシュタインは「《偉大な》な四重奏曲に匹敵するもの」(p259)とも。それは途中、司会者の佐渡裕氏と樫本の話で中断されても樫本のライブ演奏で楽しめた。また珍しく、このサービス精神旺盛な佐渡の司会する番組の中では、あまり一般受けしない室内楽の作品のみを放映したことは佐渡の才覚と音楽界で有する権力の如きものだ。その恩恵で、このような機会に恵まれたことは幸いと言うしかない。
 樫本がこの番組でこの作品を選んだということは理由があるだろう。また上記のアインシュタインの作品評価は、あちらの音楽界では常識の如くになっているのかもしれない。そうでないとしても樫本はこの作品を愛しているのだろう。それは奏でられる音楽に精神を集中すれば悦びとして感じ取られたからだ。樫本は、それまでソリストとして活躍していた仕事からオーケストラで演奏することへの戸惑いを述べていた。しかし佐渡とベルリン・フィルで共演した経験を含めて多くの日本人には知られていない、ベルリン・フィルのコンサート・マスターを日本人が務めていることへの誇らしさは改めて確認してよいことだと思う。それが室内楽という舞台で聴かれた幸いを言祝ぎたい。

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コメント

モーツァルトの協奏交響曲は自分も好きでレコードやCDを結構な枚数持って居ます。その中で意外に良かったのはオイストラフとパルシャイ盤でした。CDでは外盤でも見かけ無いんですけどYouTubeには有りました、1958年の録音で若い頃かな?
https://www.youtube.com/watch?v=mx8ztjwMzSY&feature=youtube_gdata_player
時間が有りましたら聴いてみて下さい。

投稿: snokey | 2013年10月 7日 (月) 午後 07時07分

 snokeyさん
 コメント、ありがとうございます。私も聴いて見ます。

投稿: アカショウビン | 2013年10月 8日 (火) 午前 08時37分

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