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2013年10月 7日 (月)

「学校Ⅲ」を観直す

 先日、衝動的にレンタルDVDを何本か借りてきて「学校Ⅲ」(1998年 山田洋次監督)を観直した。当時、友人に感想を話したときにアカショウビンは「仕上がりは悪くないが、ぬるいと思った」と伝えた。友人は呆れたのか、いつものアカショウビンの説明不足でぶっきらぼうな断言に言葉を費やしたくなかったのかもしれない。それで、その話は展開されることはなかったと思われる。しかし、改めてこの作品をじっくり観直して山田監督の名作と評してもよい感想をもった。当時のアカショウビンの事を振り返れば内外の新作、旧作を観る中で海外の名作などと比較して思わず、そのような感想として友人に伝えたのかもしれない。映画にしろ小説にしろ音楽にしろ若い頃に観たり読んだり、聴いた作品が時を経て異なる映像、物語、印象として再登場したように思われることがある。それは少なからずの人々がそういう経験や体験をお持ちなのではなかろうか。アカショウビンにとって「学校Ⅲ」は、そういう作品だった。あるシーンは黒沢明監督の「赤ひげ」(1965年)のワンシーンを山田監督流に織り込んだ箇所もあり思わず懐かしい気持に満たされた。

 敢えて筋の説明はしない。先ず、作品を観ることでしか作品の映像、音楽、俳優たちの台詞、喋り方、表情の一瞬、一瞬は伝わることがないからだ。大手のレンタルショップには置いてある筈だ。映画に興味がない方には恐縮だが、今なら80円か100円で借りられる。80円か100円でも見て損したという感想をもたれる方は少ないと思う。もちろん観客は様々だからアカショウビンのように少し酷な感想を持たれる方もいらっしゃるかもしれない。しかし、この作品はヒューマニズムとかメロドラマとか人情映画といったジャンル分けを超えて世界に出して誇らしい作品と確信する。

 主演の大竹しのぶ(以下、敬称は略させて頂く)は見事にヒロインの役を演じている。山田監督の演出の上手さもあるだろう。脇役も日本映画界の錚々たる面々が登場し作品に緊張と笑いと涙を誘う。山田作品のターニング・ポイントとなる作品と言ってもよい。この4部作は、少なくとも「家族Ⅲ」を観た限りで判断するのだが、かつての「家族」(1970年)、「故郷」(1972年)、「同胞」(1975年)の3部作を想い起こさせる。それは作品が或る時代の人間と風景を丹念に描きこんでいるからだ。「学校Ⅲ」は1998年前後の日本の現実を見事に描き抜いている。それは2013年の現在こそ改めて観直して痛烈なメッセージを観る者に突きつけてくる。登場人物たちのそれぞれに観る者は自分の姿を発見することだろう。それは「男はつらいよ」シリーズにも共通して表現される自然描写と人情がこちらでも、きっちり描き込まれているからだ。物語が収束するラストのシーンはアカショウビンを含めて私たちの周辺を見れば必ずや体験・経験される日常の或る断面を描いて秀逸だ。冨田勲の音楽も映像に美しく、あはれに静謐に寄り添い申し分ない。改めて観直して最後のクレジットに流れる音楽がアカショウビンの歌姫の一人、中島みゆきであったことも改めて知って納得した。俳優たち、物語の展開、キャメラの構図、映像のカット、冨田の音楽、中島の歌の掛け算が見事な相乗効果を生み出していることが、この作品を〝名作〟にしていると確信した。

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