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2013年10月15日 (火)

日々、映画三昧

 NHKで放映している中国激動というシリーズ番組はなかなか興味深く見ている。先日は儒教やキリスト教が信者を増やしているというレポート。経済成長に狂奔してきた中国政府が宗教活動を容認し国民の不満を解消させようと画策している様子が報告されていた。その前の回では重慶で進められているアパート建設、地方から都市に流れ込んだものの望んだほど生活が改善されない人々の姿を伝えていた。それでもしたたかな中国民衆の姿は他国でも同じだとは先のブログで書いた通り。経済大国とはいえ社会の底辺で喘ぎながら不満たらたらで笑い飛ばしながら生きるのが大衆であり民衆である。正しくアカショウビンもその末席を汚している。

 本日は自堕落な日常に喝をいれようと公開中の日本版「許されざる者」を観て来た。オリジナルはC・イーストウッドの傑作西部劇である。これに感銘した俳優の渡辺謙が監督の諒解を得て李 相日監督とタッグを組んでリメイクした。

 新宿まで出ればどこかで上映していると思ったが甘かった。なじみのどこの劇場でもやっていない。とって返して有楽町まで戻った。幸いマリオンの丸の内ピカデリーで30分くらいの待ち時間で上映している。中高年というより高齢者が多かったが連休としては客は少なかった。そのため2階の良い席で観られた。貴重な2時間10分を過ごせた。二日酔いのため前半の30分くらいは居眠り(笑)。しかし、その後は北海道のパノラマ的な風景や出演者達の熱演を楽しんだ。C・イーストウッドのオリジナルと比較をすれば感想はそれぞれだろうが悪くないリメイクだというのが私の感想だ。李 相日監督はオリジナルを大筋でなぞりながら部分的に変えている。それはそれで目くじら立てるものではない。主演の渡辺謙がC・イーストウッドの諒解をとれたのもその演技を見れば了解する。オリジナルの緊張、静謐と比べるとオリジナルに軍配が上がるだろう。しかし時と場所を変えて李監督は日本という場所での特殊性を作品に巧みに織り込んだ。アイヌや屯田兵、倭人と異民族の差別や支配のエピソードである。それは、この作品の独自性となって結実している。
 観終わって友人のN君とベトナム料理屋で一杯飲みながら感想を述べあう。映画業界通のN君には招待券を頼めば手に入らないことはなかった。しかし今回のリメイクをあまり期待はしていなかった。それで失業の身の上ではあったが身銭を切った。それが惜しくはなかった。リメイク作品に監督は細心の配慮で臨まなければ監督人生に汚点を残す。李監督の場合、そうではなかったというのが小生の結論である。
 渡辺謙は好演している。しかしC・イーストウッドが80年の人生で醸しだす風格はこれから自ら切り開いていかなければならない。俳優の業の如きものはこれから試される。先日はレンタルDVDで木下恵介監督の「永遠の人」(1961年)を観直した。日本映画は、このような作品で名優を生み出してきた。その厚みを継承するのは生半可ではできない。しかし李監督はその歴史に名を刻む監督と心得る。次回作も期待したい。

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