« 日々、映画三昧② | トップページ | 栖鳳の雪舟模写への注釈 »

2013年10月18日 (金)

方言と故郷

 世界史の中で近代とは如何なる時代か?それは先の大戦に至る過程で我が国の知識人たちが雑誌上で論議した主題だ。文学界からは小林秀雄など各界の識者が自説を開陳した。主題は「近代の超克」。識者それぞれの視角がある。それは未だに明らかにはされていない。そういう現在を我々は現存し生きている。それに応える次の言葉は解答に近づく導きの糸になるかもしれない。ある新聞記事からの抜粋である。 

「言葉からまず壊れた。これが近代化の一番の芯だと思います」。また曰く。「天地の理(ことわり)と人間生活における倫理のなんたるかを、陽と月と潮と土に訊(たず)ねて己の五官で読み解き、書物から知るのではなく、日常の暮しからそれを体得して来た」。「人間だけでなくて、風土にも肉声がある・・・。それはまた、方言のひびきと言ってもよい」。石牟礼道子さんの言葉である。水俣と深く関わってきた人の一語一語は重い。また、現代人の耳は壊れていると『天湖』で記しているらしい。親密な関係性の世界を喚起する方言のサウンドスケープ(音の風景)に触れることで、耳の修復が期待できるのではないか、と記事は締め括られている。それは果たして叶わぬ願いだろうか。アカショウビンは故郷を離れて久しい。関東在住の同窓生とは珠に話しても、生まれ育った奄美の地元の声を聞いていない。来週は20年ぶりに帰郷する。「エレニの帰郷」ならぬ「アカショウビンの帰郷」である(笑)。報告は戻ってから。

|

« 日々、映画三昧② | トップページ | 栖鳳の雪舟模写への注釈 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/58408459

この記事へのトラックバック一覧です: 方言と故郷:

« 日々、映画三昧② | トップページ | 栖鳳の雪舟模写への注釈 »