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2013年10月31日 (木)

故郷と故国の現状

 田中一村の終焉の地の近くには巨大な徳洲会病院が威容を見せている。これは21年前の帰郷の時にはなかった。現在のスキャンダルを見聞しながら、徳田虎雄という男の栄枯盛衰に思い至る。氏は弟を病で失った悔しさで医者を志す。その初心が、このような結果で抹殺されるのは惜しい。多くの善意は全体の総意によって抑圧される。現状を報道で垣間見ると暗澹たる思いだ。

 弟の話では父の葬儀の時は氏の奥様が弔問に見えたということだ。氏も父とは因縁があった。本土から遠く離れた南島で氏も父も不十分な医療体制を憂えて改革に乗り出した。しかし時の経過はその熱気を吸収し無化する。その経過は日本国が金満大国として盛衰する状況に同調している。資本主義の欲望原理が人々の善意を食い尽くすのは洋の東西を問わない。

 この40年間、金融の自由化とグローバリズムの掛け声のもと犬の尻尾(金融)が頭(雇用)を振り回す経済構造が出来上がった。その行き着いた先が2008年9月15日のリーマン・ショックだ。アカショウビンも、その影響で再就職が叶わず大阪へ移住した。先進諸国の長期にわたる超低金利時代は新興国から新たな先進国家を生みだす。英国と米国による帝國の支配は終焉を迎えているようにも見える。しかし果たしてアカショウビンが生きている間に、その息の根が止められるのを目の当たりにすることができるだろうか。

 既に先の大戦の敗戦の後にハイデッガーは現象学と存在論的な人類史的射程で思索を深めて警告している。しかし人間たちの業は滅亡しなければ終わらぬのか?学者は将来の見取り図をマスコミを介して開陳する。新聞報道も同様。しかし、そこでの警告は国民の現状とは常に擦れ違う。それは死んだ標本を展示するようなものだ。インテリどもの浅薄な毒にも薬にもならぬ論説が展示されているだけだ。正に歴史の法則のように愚行は繰り返される。それは正しく人間どもの業なのだろう。

 先日、試写を見た「人類資金」(2013年 阪本順治監督)は金満大国で生きる善意の人々の危機感、憂慮、正義感から紡がれている。なるほど現実と対抗する気概で作品は制作されたことが伝わる。新聞の一角では女性プロデューサーの「思う映画を作れなくなくなってきたんです」というコメントが記されていた。宮崎県出身らしい。好きな言葉は「のさらん福は願い申さん」。余分な幸せは他者に、という意味と記者は解釈している。九州女の面目躍如を期待する。隣県の熊本には石牟礼道子がいる。世界で外国人たちと丁々発止渡り合っているのは女たちだ。男どもは何をしているのか。草莽が決起した明治維新の熱と活気は果たして此の國に再現することがあるだろうか。

 帰郷の最終日には従妹の案内で祖先、親戚たちの墓に詣でた。昔の粗末な石作りの墓とは見違える立派な墓が建てられていた。しかし、わが一族も滅亡の危機に瀕している。かつての活気を体験した者としては忸怩たる思いで瞑目した。本家の高倉があった場所には新たに家が増築されている。そこは父の葬儀の帰りに泊まった家だが、その広さを従妹の案内で改めて見て回った。先祖の遺影は静かに末裔たちの訪問を楽しみにしているようでもあった。それにどう応えるか。

 一村の生涯は「アダン」(五十嵐匠監督 2005年)で映像化された。奄美空港近くの記念館には作品も展示されていることだろう。多くの一村ファンがそこを訪れる。今回は多忙で訪れることが叶わなかったが作品は画集でも繰り返し見られる。映画もDVDになっているかもしれない。榎木孝明の熱演は共感する人も少なくないだろう。しかし映像は映像。現実の一村の生涯は作品に正面するしかない。

 愚考を重ねながら空港に向かった。昔は鹿児島までの船旅と夜行電車で首都まで二昼夜かけて辿り着いたものだ。それが空路2時間で済む。近代とは斯くの如しの便利を生んだ。しかし、そこで失われるものにこそ我々は賭けなければならない。そのような愚想も羽田に着けば明日からの生業で沈んでいく。しかし今回の短い帰郷の経験は暫く反芻しよう。従妹に案内の礼を言いながら聞く彼女の声の明るさは希望だ。そこに活路を見い出して再び帰郷したいという衝動にも駆られた。

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2013年10月28日 (月)

無常迅速

 台風26号の影響で欠航の可能性が大きかったが風雨のなか予定通りにJAL1995便は奄美に向けて離陸した。約2時間の快適な空路の旅で奄美空港着。気温22℃で少し湿度の高い故郷の空気と光は紛れもない生まれ育った土地の恵みだった。同行した友人のお兄さんの車で市内のホテルへ。途中に見える海岸線は砂浜と海の色が実に鮮やか。故郷の自然の恵みを実感した。同窓会まで少し時間があったのでレンタル自転車で母校の中学校へ。20年ぶりに訪れる街の景色の変化には驚く。中学校の校舎もアカショウビンが通っていた頃とは激変していた。校門から入って右側にあった体育館も正面の校舎があった場所に移っていた。プールの近くに植わっていた大きなパンの樹は無く大きなガジュマルの樹が育っていた。半世紀以上の時の経過による変化は斯くの如し。娑婆を生きる時の変化は正に無常迅速だ。

 写真を撮っているとガジュマルの樹の近くで作業をしていた初老の男が柔和な笑顔で人なつっこく話しかけてきた。パンの樹は枯れて切り取られたと言う。その代わり隣に植えられていたガジュマルの樹が大きく育ったのだと。男はソーシャル・ワーカーとして働いて母校の設備の世話もしていると語ってくれた。校舎脇を流れる小さな川は昔と変わらぬ景色が当時を思い起こさせた。

 ホテルに戻り同窓会へ。記念撮影、余興を楽しみながら中学3年のクラスメイトと飲み語らう。卒業アルバムとは様変わりしている互いの姿を見比べ談笑。出席者は当時のクラスの数分の1くらいだが2次会、3次会と飲み歩き楽しいひと時を過ごした。

 翌日は二日酔いで昼過ぎまで惰眠を貪る。夕方に親戚宅を訪れる。伯母と従姉が歓待してくれた。昔は我が家族と伯父家族でありきたりの確執もあった。しかし長寿の伯母の笑顔は今では少なくなった一族の甥に満腔の笑顔で声をかけてくれてありがたかった。従姉の姿と声も子供の頃の記憶をたぐりよせた。名残り惜しい時を過ごし別れを告げた。しばし激変している街中を歩いた。子供の頃には、それなりの広さも感じた街並みが随分小さく感じられたのは長年の都会暮らしのせいだろう。街の中心部の懐かしい商店街は地方特有の歯欠け状態。各店も少ない客でさびれている。街全体に活気が感じられないのが侘しい。時の変化の過酷を感じ暗澹となる。それでも故郷の光と空気は我が体内と共振し心和む。

 本日は先祖の墓参りをし夕刻帰京する。暫しの帰省の時は我が心身に新たな活気を吹き込む。戻れば求職活動が始まる。喝を入れて余生を全うしよう。

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2013年10月24日 (木)

新聞から。世界の現状と日本国

 22日の毎日新聞(埼玉版7面)の記事は興味深く読んだ。〝転機〟と題されたインタビューと中国の現状を英国と上海からレポートしている。後者はAP共同の記事。〝転機〟は「中国で得た国際的視野」の見出しで大企業の66歳の社長が体験を述べている。それは戦後をサラリーマンとして刻苦した日本人が中国で経験した体験が率直に述べられている。先日亡くなられた山崎豊子さんの「大地の子」も想い起こされた。アカショウビンも含めて日本のサラリーマン達は国内でノホホンとしている連中と海外で奮闘していた、また現在も奮闘している人々に取り敢えずは二分出来る。海外では現地の言葉から始めなければならない。日本で勉強したくらいでは現地で初歩的にしか役に立たないだろう。それが現地の人々と腹を割った付き合いで血肉化される。それで初めて仕事は進む筈だ。その経験が語られていた。1970年、前身の企業に入社した氏は、課長昇進から約1年後の1985年の〝プラザ合意〟で多額の損失を出す。この失敗を教訓に「失意泰然」を座右の銘とする。企業戦士の面目躍如である。「当時の北京の街並みは60年代の日本のような雰囲気で、上海すら田畑が広がるのどかな風景だった。広大な大陸で生活し、グローバルな視野をもち、物事を肌で感じることの大切さを学んだ」。その一端はアカショウビンも業界の研修旅行に同行して中国やタイ、ベトナム、シンガポールで垣間見た。

 その中国が英国南西部で2023年に操業開始を予定する原子力発電事業に国有2社が参入するらしい。フランス電力企業の株式30%~40%を取得する見込みで、発電所の運営にも参加する可能性がある、と記事は伝えている。共同通信の記事は中国の複合企業がニューヨークの有名オフィスビルを約710億円で買収する、と。中国企業の世界展開は他の国々でも推進されている筈だ。アベノミクスの現在は、そのような世界でどう立ち回るかという検証が試されているわけだ。国会で〝学級委員会〟をやっている茶番では通用しないのだ。同じ面で田中直毅氏はアベノミクスを評価している。その評価はアカショウビンら中高年、高齢者予備軍への苛政となって襲いかかってくる。これには生き様を賭けて対抗しなければならない。現在はそういう局面に至っているのだ。

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2本のドキュメンタリー

 最近、夜中のNHKテレビで以前に放映したドキュメンタリー番組を再放送している。今夜は「永平寺」(1977年)と「一時帰国」(1974年)の2本。両作とも当時見た記憶がある。優れたドキュメンタリー作品だ。前者は道元の修行が永平寺で現在まで継承されている驚くべき映像として新鮮だった。気温マイナス10℃の中での座禅修行の厳しさもさることながら、精進料理として道元は食事を重要な修行の一つと捉えている。それを映像として取材し記録した事は手柄といえる。修行は常住坐臥行われるのである。

 後者は先の大戦の傷跡として現在の日・中・ロシアの為政者達が今こそ刮目して見なければならぬ映像と肉声だ。幼くして中国の両親に育てられたため母国語を忘れている悲劇を繰り返してはならない。それは現在の日本人の民族としての責務である。人は言葉と共に生きる生き物なのだ。祖国は自分を育ててくれた中国だという中高年(当時)になった女性達の言葉には絶句するしかない。私たちは日常の生活の智慧として、親子でも生みの親より育ての親であることを親戚や友人たちを見れば理解する。しかし、戦乱の果ての歴史事実に直面すれば日本国民として現在を生きる者として悲哀を超えて、それを現実政治の場で行動に移さなければならない事でもある。これは肝に銘じよう。

 この2作品を選んだホスト役の山本晋也監督の見識に敬意を表したい。

 失業、求職の毎日は「毎日が日曜日」でもある。この数日は国会中継も興味深く見ている。その感想もいずれ記すつもりだ。

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2013年10月21日 (月)

日曜から月曜の深夜の至福

 日曜は朝の「題名のない音楽会」からNHKの将棋、囲碁を一杯飲みながら見る。その後は「日本の話芸」で落語。夕方までウトウトしながら「笑点」でクスクス、ガハハ、アッハッハ。夜はNHKの「日曜美術館」で「モローとルオー」を興味深く見た。都内の美術館で、かなり大規模な展覧会を開いているようだ。会期中に訪れてみたいが失業中の金欠で出費は極力避けなければならない。求職活動で忙しくもある。しかし「ターナー展」と共に時間と金を捻出したいところだ。

 夜はその後にミラノ・スカラ座の「アイーダ」の演奏会形式公演だ。これは面白かった。指揮者や楽団員、ソリスト、合唱団の表情が見られてオペラ公演より音楽に集中できたからだ。しかし、その後、モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」をオペラ公演で観聴きすると、舞台は現代に置き換えた新たな解釈だが、オーケストラと歌唱の解釈も伝統的で、これまた一興だった。深夜におよぶ放送で、途中アルコールが体内に満ちて居眠り。それでも最後の聴衆の歓呼で目覚め、実に至福の時を過ごせたことを実感した。此の世の愉楽は斯くの如し。帰郷できなければ、それで運命のようなものと諦める。故郷は遠きにありて思うもの、でもあるだろうからだ。朝は、数年前に放映されたNHKの朝ドラ「ちりとてちん」の再放送を楽しむ。これまた至福の時だ。その後は「あまちゃん」の後の「ごちそうさん」だ。これまた楽しい。NHKの朝ドラの伝統は見事に継承されている。ヒロインはアカショウビンが小学生の時に夢中になった「おはなはん」の樫山文枝さんを想い起こさせる。タイプは違うが物語の役割は同じだ。

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2013年10月20日 (日)

帰郷にあたって

 台風27号の接近で今週の帰郷が危ぶまれてきた。これが最後の帰郷と心得ているので実に心もとない。もしかしたら悪天候にも関わらず飛び墜落してお陀仏となるかもしれない。そこで事前に遺書として以下に記しておくのである。 

今週の土曜日に20年ぶりに帰郷する。ところが猛烈な台風27号が近づいている。果たして帰郷できるかどうか。友人達とは別れの杯を重ねている。もし羽田から飛ぶ飛行機が落ちたら、それでお終いである(笑)。1990年9月に初めて仕事でニューヨークに行った時に最初の遺書を書いた。幸い無事に帰国できたが、その時は1億円の保険をかけた(笑)。太平洋を越えてアメリカまで行く間にジェット機が墜落することを案じたからである。殆どの科学を信用しないアカショウビンは、あの巨体が空を飛ぶということが信じられない。同様に原子力発電所もフクシマの悲惨な事故で信用していない。これは一見無関係のように見えて実は底で繋がっている。その詳細は、このブログで再三述べてきた。そこで今回も新たに遺書を用意する次第だ。

呼びだしの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな

松蔭寅次郎の辞世五句の一句である。もとより私の死は松蔭のものとは異なる。しかし死の覚悟をしておくことは、どの時代にあっても大事な事と考える。僭越ながら、そこで松蔭の辞世は怠惰な私の日常を激しく撃ち、黄泉の国からの木霊となって届くのである。

アカショウビンは長い晩年を過ごしてきた、と我が人生を振り返る。何度も引用して恐縮だが、ハイデッガーは「人間は、存在へと身を開き‐そこへと出で立ちながら、存在の運命のなかに立ち、歴史的である」(「ヒューマニズム」について・ちくま学芸文庫71頁)と、実に独特な考えを示している。それは刺激的で、ある種の洞察として迫ってくる。

還暦を目前にしたアカショウビンという現存在はハイデッガー流に言えば、先駆的に死を覚悟しながら、その準備を現世で心残りなく終えたいために、この先駆的覚悟を公にするのである。

その頃、2005年8月4日に松蔭寅次郎の「留魂録」を再読し、新潟での仕事を終え、帰りの電車の中で藤田省三の「松蔭の精神史的意味に関する一考察―或る「吉田松陰文集」の書目選定理由」を読み終えた。そこで松蔭の死に臨む心境に思いを致し己の覚悟の胡乱さに嘆息したのである。日暮れて道遠し、の感を些かなりと実感し、そこでの感想が「私は長い晩年を過ごしてきた」という感興を文字にしたわけである。

 書き残したい事は幾つかあるが、先ず「自未得度先渡他」という道元の文言から始めたい。私は仏教に関わった者として、この文言にこだわりたいと思う。道元は、ここに仏法の精髄が込められているという。これは仏教の本質を論じるうえで使われる、自力と他力という二つの概念を理解するうえで格好の文言と思われる。そこには自力と他力が混在した思想が表出されている。私からすれば、それはインドから中国、日本で実に興味深く展開された大乗仏教の精髄が込められていると思われる句だ。先に読んだ五木寛之氏の「他力の思想」に異論を呈するなら大乗仏教の精髄は、このような異論となって述べなければならないと思うからだ。それは更に無事に生きて帰れたら展開していくつもりだ。衆生済度、という理念は仏教思想の重要なものである。その点からすると道元の座禅には出家者のみの悟りという小乗的な狭い修行のようにも思われる。しかしそこには、法然や親鸞の「弥陀の本願に任せる」絶対他力の思想ではなく、自らが習得した「只管打座」という座禅で悟る強烈な自力の修行の正当性が主張されている。また、それは自力のみでなく、あるいは他力とも見える独自の思想が込められているように思う。

自力と他力という、仏教思想の本質に関わると思える概念は、これまでどのように論じられてきたか詳らかにしない。しかし私達が生きているこの時代にそれをアカショウビンが明らかにしておくことは仏教を論じるうえで避けては通れない難関だ。その論及は、とりあえず仏教に縁ある者として、私の母や高校時代の友人達には意外かもしれないが、私が学生時代から読み続けてきた道元の「正法眼蔵」が回答を励起する導きの糸だった。道元、法然、日蓮、親鸞ら平安、鎌倉仏教の始祖達の文章に啓発され間歇的に格闘してきたのがアカショウビンの一生と言ってもよい。

               音楽

この時代を生きて良かったと思うことは西洋の古典音楽、特にバッハからマーラーまで、やコルトレーン、マイルス、モンク、ズート・シムズ等のジャズを聴くことが出来た幸せだ。

特に中学生の頃に初めて小遣いを貯めて買ったベートーヴェンの「運命」は、その後の私の音楽体験の試金石となった。カラヤン指揮のフィルハーモニア盤だったが演奏の良し悪しよりべート―ヴェンの音楽との出会いが決定的だった。ただ、その頃はクラシック音楽には馴染みが薄く、好奇心は幾らでもあったから音楽だけに関心を持つことは出来なかった。けれども、その時からベートーヴェンはアカショウビンが音楽を聴く時の指標になった。

その後、現代音楽にも出会ったけれども西洋古典音楽のベースは今まで変わることはない。ベートーヴェンはダサいという人もいるだろう。しかし、それは私からすれば音楽体験の相違にしか過ぎない。ベートーヴェンの「運命」は、少年の心に音楽の「構成力」とは何かを伝えてくれたのは紛れもない事実だ。

その後、中野で大学浪人していた頃に聴いたシゲティが演奏するバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータは当時のアカショウビンに「音楽の力」を再び響かせて、無為の時空に一筋の光明が射した。そして、ともかく、生き延びる力を与えてくれたのである。

2003年3月9日は、よく晴れた日曜日だ。朝、私はウィスキーを一口飲んだ後、買ってきたスルメを齧ると前歯の隣の歯がゴキッと鳴った。取れはしなかったが今にも折れそうだ。それは先日、CDで買い直したバッハの「マタイ受難曲」(コルボ指揮ローザンヌ室内菅 1982年)とフルトヴェングラーがウィーン・フィルを指揮した1954年盤を比較し聴いていた時の出来事だった。たかが歯1本。しかし人は弱気になり肉体の脆さに改めて気付く。イエスの受難をバッハは怒りをもって、悲哀に満ち、激しく優しく粛々と楽譜に刻む。それを聴きながら私はたかが歯1本など、と思いながら、憐れにも肉体の意外な脆さに気付き、そして私に残された、この世に棲む日々の少なさに慌てるのだ。たかが歯一本の痛みはイエスの受難からすれば、とんでもない飛躍だろうけれど、しかし、それも歯の功徳と理解するのが仏教徒である。

                      故郷

故郷の奄美を書こうとしている時に、テレビを見ていたら、「昔、海の向こうから戦がやってきて、あの日、鉄の雨に打たれ父は死んでいった」と「さとうきび畑」という作品で森山良子が歌っている。さらに「夏の日差しの中で 私の生まれた日に戦の終わりはきた」と歌詞は続く。それは、時の移り変わりの不可思議さに「私」は、ぼんやりと思い至っているのだ。

日本地図で見れば、奄美は沖縄の隣と言ってもよい島である。少女時代から徳之島で育ったアカショウビンの母は世を去る少し前に昔話で戦争中に祖父と船に乗っている時に米軍の戦闘機に機銃掃射を受けた経験を新たに話してくれた。その後、書物や映画、テレビ等で、あの戦闘で死に、生き残った人たちの事を知るにつけ、アカショウビンにとって此の国の近世史と現代史は避けて通れぬものとなった。それは保田與重郎やハイデッガーを読み直し、此のブログで継続している。

「知らない父の手に抱かれた夢を見た」という歌詞は心を打つ。歌詞の中の「私」は父を求めているわけだが、父は、あの激しい戦闘の中で死に、この世には存在していない。「私」の中の彼、彼女の生きている景色と感情の中で、「夏の日差しの中で」、それは或る「意味」を持ち「私」は現実には存在しない父を「想い起こす」のだ。

アカショウビンも、この世を去る時が来る。もし母親より先に行くとすれば(それは結果的にそうはならなかったが)それは世間では最たる親不孝だ。しかし仏教ではそうは説かない。母には、この遺書を通して、それを伝えれば、私という「最たる親不幸」の生きた意味を少しは納得してくれるかもしれない。

学生時代か浪人時代に観た「死刑台のメロディ」という映画は、アカショウビンに「怒り」とは何かを痛烈に訴えた。アカショウビンは政治運動に関わったという経験は殆どない。学生時代の友人や、かつての職場で、べ平連の活動について、それらしき議論は随分したが、青年期に、この作品ほど「現実」が「政治」に深く関わっていることを教えてくれた作品は、それ以後もそれほどあるわけではなかった。映画の感想はノートや、このパソコンにも折々書きこんでいるので興味があればお読みいただきたい。

                 哲学

ハイデッガーの著作は、この十数年、アカショウビンがこだわってきた哲学だ。高校の頃からカントを読み始めドイツ哲学に馴染んだ私は、それ以後はドストエフスキーの文学から道元、日蓮、親鸞らの仏教思想と吉本隆明やその周辺の論客たちの評論とハイデッガーらの哲学の間を遊泳し続けてきたと言ってよい。

そして1989年頃にフランスで起きたハイデッガー論争を通じて、かつて途中で読み止しにしておいた「存在と時間」を読み継ぎハイデッガーの思想を再考しだした。たとえば次のようなハイデッガーの言説は難解ながら興味をそそるものだ。

「待望の光明」については、それが何よりもまず経験と眼差しの転換にかかわるだけに、ほとんど伝達不能です。「現にあること」の開けとは空き地を耐え忍ぶことで〔出で立つこと〕「である」のです。空き地と「現にあること」とは、そもそもの始めから共属しており共という形で両者を規定する。それは仏教哲学とも深くかかわる思考と私には思われる。

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栖鳳の雪舟模写への注釈

 先の栖鳳展には雪舟の模写が1品展示されていた。それを見て、2002年5月に訪れた雪舟展での感想を記しておきたい。 

会場には雪舟が学んだ宋代の画家、夏珪(シャ・フゥイ)の作品も展示されていた。彼の水墨画には了庵桂悟の賛が記されている。正確ではないだろうが、画中には次の文字が見える。

火煙(異字)村帰渡

漁笛清幽

煙堤晩泊

展示されていた2巾は絶品だ。雪舟の「秋冬山水図」の渋みに「明るさ」が加わった趣とでもいえばよいだろうか。特に目録の95番は際立って見事だ。夏珪の一品は、渋み、滋味が底の深さを湛えている。正に神韻渺。その地の色は紙質によるものか、渋さと深みは画家の意図通りの狙いなのか?

雪舟は明で画かれたとされる作品より帰ってから画かれたとされるもののほうが良い。夏珪の画風に倣い、あるいはそれを超えているとさえ私には思われる。その中では、冬が私の好みだ。岡本太郎が雪舟は「芸術家ではない」と主張していた。しかし絵描きが眼で視、知と五感で画布に、その像を定着させる芸を持つ者だとすると、雪舟はやはり芸術家だと言うべきだろう。岡本が嫌うのは、おそらく、その構図における「安定感」といったものなのだろう。或る場合、美は破調にあると言う人もあるのだから。しかし、それでも雪舟の水墨画には魅入らざるをえない。

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2013年10月18日 (金)

方言と故郷

 世界史の中で近代とは如何なる時代か?それは先の大戦に至る過程で我が国の知識人たちが雑誌上で論議した主題だ。文学界からは小林秀雄など各界の識者が自説を開陳した。主題は「近代の超克」。識者それぞれの視角がある。それは未だに明らかにはされていない。そういう現在を我々は現存し生きている。それに応える次の言葉は解答に近づく導きの糸になるかもしれない。ある新聞記事からの抜粋である。 

「言葉からまず壊れた。これが近代化の一番の芯だと思います」。また曰く。「天地の理(ことわり)と人間生活における倫理のなんたるかを、陽と月と潮と土に訊(たず)ねて己の五官で読み解き、書物から知るのではなく、日常の暮しからそれを体得して来た」。「人間だけでなくて、風土にも肉声がある・・・。それはまた、方言のひびきと言ってもよい」。石牟礼道子さんの言葉である。水俣と深く関わってきた人の一語一語は重い。また、現代人の耳は壊れていると『天湖』で記しているらしい。親密な関係性の世界を喚起する方言のサウンドスケープ(音の風景)に触れることで、耳の修復が期待できるのではないか、と記事は締め括られている。それは果たして叶わぬ願いだろうか。アカショウビンは故郷を離れて久しい。関東在住の同窓生とは珠に話しても、生まれ育った奄美の地元の声を聞いていない。来週は20年ぶりに帰郷する。「エレニの帰郷」ならぬ「アカショウビンの帰郷」である(笑)。報告は戻ってから。

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日々、映画三昧②

 先日は友人のN君のお取り計らいで都内で行われた米国の新作映画の試写会へ行ってきた。「42 世界を変えた男」(ブライアン・ヘルゲランド監督)だ。ハリソン・フォード演ずる球団GMランチ・リッキーが白人達が独占していたプロ野球界に黒人選手を送り込む。それがマスコミを巻き込んだ大騒ぎとなる。ところが、ただ一人、大リーグ全球団の永久欠番になった男ジャッキー・ロビンソンは苛酷な差別を受け受けながらも耐え抜き野球界を変えていく。実話に基づく経緯を描いた作品である。上映後には会場から小さな拍手も起きた。

 N君とは試写会が終わってから飲み屋で一杯やりながら皮肉を込めた感想を伝えた。彼は自分がせっかく誘った作品を貶されて少しお怒りに。ビールをがぶがぶ飲みながら食事も。体調悪いアカショウビンを余所目に注文した品を次々と平らげていく。よくある痩せの大食いというやつである。呆れて見ている小食のアカショウビンを尻目にパクパク、ガツガツ。それは見事な食いっぷりだった。思わず大食女タレントを思い出させた。さすがに彼女には負けるだろうがN君と一度対戦させてみたら面白いと空想した。

 それはともかく新作映画は拍手が起るくらいだから興行的には期待がもてるだろう。しかし天邪鬼のアカショウビンは米国の黒人差別を描いた作品は「ミシシッピー・バーニング」が遥かに上だと述べた。最近は新作の情報も聞かないがあの作品でアラン・パーカーは米国の歴史の汚点を見事に映像化した。刑事役をジーン・ハックマンが熱く演じている。「許されざる者」でC・イーストウッドと共演した役より存在感を示しているのに感心した。近い内に久しぶりに観直してみようと思う。

 どうしても観たいという衝動が起きない中で唯一劇場に足を運びたいのが今月後半に東京で上映されるという亡きテオ・アンゲロプロスの「エレニの帰郷」だ。前作の「エレニの旅」は誠に秀作だった。その続編が監督の死後に東京国際映画祭で日本のファンに届けられる。試写会が10月21日に行われていると知り早速ネットで注文。ところが既に売り切れという表示。一縷の望みをもって電話で問い合せると若干席がございます、というご返事。早い者勝ちですが明日の午前10時に電話予約して下さいというご返事。次の日に満を持して電話をかけると話し中でまったくつながらない。注文が殺到しているのだ。40分後にあきらめながら電話するとつながった。ところが案の定売り切れ。残念無念。一般公開は来年の年明けというので、それまでお預けだ。

 憤懣やるかたなく、他の作品をレンタルショップで探すと一枚50円のショップには在庫していなかった。以前他のショップで見た記憶がある。近い内にその店を訪ねてみよう。昨年、監督の死が新聞報道されたときに3部作の第3部を制作中だっと報じられていた。ところが監督の突然の死で未完の遺作となってしまったのが惜しまれた。

 我が邦の若松孝二監督も交通事故でコロリと逝ってしまった。実に惜しい優れた二人の監督を相次いで失ってしまったのは残念だ。若松監督の場合、作品を完成させた後だったからよかった。「千年の愉楽」は原作を良く映像化していると思った。紀州の若い男達の太く短い人生を寺島しのぶが産婆役で男達の生き様と死に様の消息を語り部となって好演していた。若松監督は寺島を起用して「キャタピラー」で世界的な監督にのし上がった。寺島も母親の富司純子の反対を押し切って激しい性交シーンを演じ作品に魂を吹き込んだ。映画産業とは或る意味でヤクザな業界だ。その中で世界的な作品を世に出すのは至難の業である。ところが、必ずそういう作品が突然登場するのだ。

 戦後の日本映画でも黒澤明や小津安二郎、新藤兼人らの名匠の作品が世界的に賛嘆された。ところがテレビの登場で映画は大きな影響を受ける。最初は高価な電化製品だったが徐々に普及していくうちに価格も安くなり生産は増え各家庭の茶の間にテレビが鎮座ましますようになる。それとは逆に映画産業は陰りをみせ衰退していく。街の映画館が一つまた一つと閉館していった。

 敗戦国の日本やドイツ、イタリアの第二次世界大戦後の時代変化は急激だった。科学技術の急速な進歩はヒロシマとナガサキに落とされた原爆を契機に米国とソ連の対立の中で水爆の製造競争となり世界滅亡のシナリオまで行き着いた。映画作家達も自らの作品の中で想像力を駆使する。S・キューブリックの「博士の異常な愛情」はその好例だ。黒澤も傑作「七人の侍」に続いて「生きものの記録」として作品化した。原爆・水爆の恐怖から主演の三船敏郎が狂気に至る主人公を熱演している。世界に肩を並べる日本映画界は巨匠達の作品と共に60年代から70年代にかけて若い優れた監督達が登場する。同じ松竹で小津安二郎に反発した吉田喜重や大島渚らである。安保闘争の中で彼ら若い監督たちは先輩監督たちとは異なり理屈が先に来る作品を世に問うた。何事も理論が先行するとろくなことはない。理論が先行した芸術作品は大衆にはとっつきにくく敬遠される。巨匠たちの作品と若い監督たちの溝は深まっていく。

 ところが若い学生たちは中高年に比べ、そのような作品を受け入れた。それに反発するかのように登場したのが任侠映画である。男は理屈より行動とばかりに派手な殴りこみや荒っぽい斬りあいシーンは工場労働に疲れた若い労働者たちの憂さ晴らしに支持された。今や老境の高倉健が振り回す刀で斬られた悪役たちは血しぶきをあげて殺されていく。そこに観客の鬱屈した無意識が解放され共感を呼ぶ。早撮りで作品を量産したマキノ雅弘監督は高倉健をスターに育て上げた。作品には日本人好みの人情をたっぷり織り込み義理人情で観客をほろりとさせる。併せて明治以降の戦争と経済成長のなかで露呈する矛盾も描いた。労働者と経営者の相容れない対立構造のなかで下層労働者の視点に立ち侠客の正義感を際立たせた。マキノの仕事は有能な職人監督の顔と合わせて若い俳優達の演技指導にも長けていた。多くの熟練した名優たちの中で素人のような高倉健が後年は降旗康男監督の秀作でスターから名優の仲間入りをしていくのはファン達には少なからぬ驚きの目で見られただろう。

 昨今のアニメ隆盛は青い瞳のファンも増やし愛でたいことではあるが一部の作品を除き、中高年真っ只中のアカショウビンには観る気が起きない。それは老化による反射神経の衰えも作用しているだろう。やはり小津作品の時間感覚が繰り返して楽しむ適度なテンポなのである。中流家庭の日本人たちのマンネリすれすれの日常を描いて巧みな味わいを生み出す。名匠の所以である。その衣鉢を継ぐのが同じ松竹出身の山田洋次監督だ。先日観直した「学校Ⅲ」は今こそ見ると時代の先取りとして金満大国に成り下がった日本国に新たな問いを投げかけているではないか。

 それからすると米国製の新作野球映画は文化土壌はともかく一味も二味も異なる。C・イーストウッドが主演した「人生の特等席」は父と娘の確執も織り込みアメリカ人の人情も描き秀逸。かつての野球少年だったアカショウビンには米国の野球界事情がとても面白かった。

 まぁ、こちらとしては不満もあったが上映終了時には拍手も起こったということは興行的には期待出来る作品ということでもある。中高年になり余生を生きるアカショウビンには日米のプロ野球界は殆ど興味がない。しかし日米の少年達には野球は魅力的なスポーツなのだろう。先日の試写会には父親に連れられた少年の姿もあった。

 それはともかく、アカショウビンには西洋音楽やジャズの名作、名演奏をCDやDVDで楽しむのが一生の道楽であるが、それに加えて映画の名作を繰り返し楽しむのも同様である。テオ・アンゲロプロスの新作は来年の楽しみになってしまったが、失業の日々は毎日が日曜日。時間は余るほどある。読みかけの本も読まねばならない。名演、名作を聴き観ながら日常に喝を入れるのだ。

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2013年10月15日 (火)

竹内栖鳳展を訪れる

  先日、14日まで東京近代国立美術館で開催された竹内栖鳳展の感想を少し書き留めておく。 

2回に分けて訪れた会場各所に展示されている写生帖は画家の視線と眼力を伝えている。屏風絵で栖鳳は花鳥風月に加えて獅子や象、狐狸を描いたのが面白い。屏風に描かれるオランダやヴェニスの風景もこれまた一興。栖鳳の色彩のセンスは水墨に入れた色合いで抜群だ。その典型が舞妓の青であり鮮やかな朱色だ。熊や烏の荒々しい黒も栖鳳の面目躍如だ。水墨の安定した技法、伝統を超克してやるという気迫が漲っている。

還暦に描かれた「酔興」、「馬に乗る狐」も画家の諧謔が溢れて楽しい。新年を祝う酒宴の座興かもしれない楽しさが生き生きと伝わってくる。赤い桶の上の鯉をなぜ「国端」と名付けたのだろう?2頭の虎を「雄風」と名付けたのも不明。しかし水墨の竜虎とは異なる趣を醸し出している。明治時代としか記されていない「瀑布図」の白の空間は大観の「隠棲」の空間を想い起こさせる。水墨の簡素が色を超克した作品と感嘆する。昭和14年の「瀑布」は彩色されているが、これも画家の玄妙な色彩感の面目躍如だ。

明治17年から18年の写生縮図には画家の才覚、才能が横溢している。

「驟雨一過」の樹木の色彩と烏の黒は鳴き声が聞こえてくるようではないか。明治末年、40代後半の作品と記されている「喜雀図」は絶品。「斑猫」の眼と同じく何とも神品の趣を発している。水彩の趣の「風薫双塔図」も新たな画境を伺わせる。中国の旅では欧州訪問より多くのスケッチを残している。水墨で学んだ中国を自らの眼で熟視した成果となって結実したことがわかる。

また渡欧体験から西洋の写実に対抗し写意という概念を生み出したというのも面白い。対象の〝本質〟とは何か。ハイデガーの思索とも絡んでくる。現在3時37分。2品の富士も北斎でも大観でもない栖鳳の富士だ。大小2匹の鯛は「海幸」の画題が付けられているがこれを英訳ではマリン・プロダクツと訳しているのは解せない。海の幸は決してプロダクツではない。

  初期の水墨と屏風絵はやはり才覚を余すところなく作品化して実に見事。高名な獅子図はさすがに風格がある。蝶の写生は田中一村の作品を想い起こした。明治41年、44歳頃の「狐狸」の狸が素晴らしい。獅子や象の肉感よりも。小動物に栖鳳の持ち味は出ていると思う。「寿山福海図」は絶品。海の色合い、峨々たる岩山は水墨のお馴染みの風景だが神品の風格がある。大英博物館に所蔵されているベニスの風景も船を黒々と水墨のタッチで描き霧に霞む異国の風景が野趣を醸しだしてる。ターナーの風景画にも匹敵するのではないか。「雪中蒼鷹図」の樹木の幹の陰影が天賦の才を彷彿させる。「秋興」の鴨の色合い。「アレ夕立に」の舞妓の襟首の首筋と黒髪の濃淡が絶品。「絵になる最初」の舞妓の恥じらいは手首と視線の一瞬を絶妙に留めている。「潮沙永日」の色も栖鳳流だ。「薫風稚雀・寒汀白鷺」の昭和3年(64歳)の雀も絶品。昭和14年(74歳)の「瀑布」は達観の境地も看取するが、これは、といった驚きの作品は「猫」と舞妓と水墨だ。雪舟の模写もあったが雪舟を越えたとは思えない。

昭和2年「小春」の猫は秀逸。「斑猫」はさすがに代表作というだけある。「蹴合」(昭和4年)の軍鶏の戦いは、2~3年前に千葉の美術館で開かれた田中一村展で観た軍鶏も好かった。当然、一村はもちろん栖鳳の作品は知っていただろう。それを意識していたかもしれない。一村が描いた軍鶏は千葉だったと思うが、その後一村が移り棲ん奄美でもアカショウビンが子供の頃は闘鶏が街中で行われていたように記憶する。栖鳳は戦いの激しい動きの一瞬を見事に画布に留めた。23歳の時に描いた「雲龍」は才覚、才能が良く伝わった。33歳の「松虎」で水墨に大型獣を書き込んだ作品は画家が新たな境地に踏み込んだ転機を感じる。屏風の鷺と獅子が、栖鳳が切り開いた新境地ともで言いたい画境だ。鷺の鮮やかな白はともかく、獅子の屏風の背景に沈みそうな色合いを画家は恐れずに描いている。そこに気迫を感じ取る。

午後4時18分。2階から4階まで所蔵ギャラリーへ。ジョルジュ・ブラックの「女のトルソ」とジョアン・ミロの「おおっ、あの人やっちゃったのね」が洒脱でナカナカ。キュビスムや画家の遊び心も栖鳳の写実、写意の作品を見た後では新鮮な味わいがある。

岡本太郎が第五福竜丸の被爆の報に刺激された「燃える人」も太郎ワールドだ。藤田嗣治の4作品もそれぞれ画風が異なり面白い。「リオの人々」、「シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)」の左から射す陽光が戦場の地獄を照らす天上の意志のようだ。「動物宴」は奇矯。「少女」などサイズと画風の違いが一興だ。

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日々、映画三昧

 NHKで放映している中国激動というシリーズ番組はなかなか興味深く見ている。先日は儒教やキリスト教が信者を増やしているというレポート。経済成長に狂奔してきた中国政府が宗教活動を容認し国民の不満を解消させようと画策している様子が報告されていた。その前の回では重慶で進められているアパート建設、地方から都市に流れ込んだものの望んだほど生活が改善されない人々の姿を伝えていた。それでもしたたかな中国民衆の姿は他国でも同じだとは先のブログで書いた通り。経済大国とはいえ社会の底辺で喘ぎながら不満たらたらで笑い飛ばしながら生きるのが大衆であり民衆である。正しくアカショウビンもその末席を汚している。

 本日は自堕落な日常に喝をいれようと公開中の日本版「許されざる者」を観て来た。オリジナルはC・イーストウッドの傑作西部劇である。これに感銘した俳優の渡辺謙が監督の諒解を得て李 相日監督とタッグを組んでリメイクした。

 新宿まで出ればどこかで上映していると思ったが甘かった。なじみのどこの劇場でもやっていない。とって返して有楽町まで戻った。幸いマリオンの丸の内ピカデリーで30分くらいの待ち時間で上映している。中高年というより高齢者が多かったが連休としては客は少なかった。そのため2階の良い席で観られた。貴重な2時間10分を過ごせた。二日酔いのため前半の30分くらいは居眠り(笑)。しかし、その後は北海道のパノラマ的な風景や出演者達の熱演を楽しんだ。C・イーストウッドのオリジナルと比較をすれば感想はそれぞれだろうが悪くないリメイクだというのが私の感想だ。李 相日監督はオリジナルを大筋でなぞりながら部分的に変えている。それはそれで目くじら立てるものではない。主演の渡辺謙がC・イーストウッドの諒解をとれたのもその演技を見れば了解する。オリジナルの緊張、静謐と比べるとオリジナルに軍配が上がるだろう。しかし時と場所を変えて李監督は日本という場所での特殊性を作品に巧みに織り込んだ。アイヌや屯田兵、倭人と異民族の差別や支配のエピソードである。それは、この作品の独自性となって結実している。
 観終わって友人のN君とベトナム料理屋で一杯飲みながら感想を述べあう。映画業界通のN君には招待券を頼めば手に入らないことはなかった。しかし今回のリメイクをあまり期待はしていなかった。それで失業の身の上ではあったが身銭を切った。それが惜しくはなかった。リメイク作品に監督は細心の配慮で臨まなければ監督人生に汚点を残す。李監督の場合、そうではなかったというのが小生の結論である。
 渡辺謙は好演している。しかしC・イーストウッドが80年の人生で醸しだす風格はこれから自ら切り開いていかなければならない。俳優の業の如きものはこれから試される。先日はレンタルDVDで木下恵介監督の「永遠の人」(1961年)を観直した。日本映画は、このような作品で名優を生み出してきた。その厚みを継承するのは生半可ではできない。しかし李監督はその歴史に名を刻む監督と心得る。次回作も期待したい。

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2013年10月14日 (月)

愛憎と業と和解

 木下恵介が昭和36年に公開した「永遠の人」を観直した。小津や黒沢の巨匠と並ぶ人間の業を正面から撮った気迫漲る傑作だ。昨今の此の国の浮薄を痛撃する内容に感嘆する。日本映画の底力に眼を瞠る。高峰秀子、仲代達矢、乙羽信子、佐田啓二、加藤 嘉らの名優たちは、此のような作品に出演し鍛えられた事を了知する。日本映画を代表する俳優達が成熟していく一端が垣間見える。

 木下作品の本質は「二十四の瞳」や「カルメン故郷に帰る」にではなく此の作品に凝縮されていると言ってもよい。アカショウビンの女優列伝に高峰秀子は欠かせない。同様に現在も活躍されている仲代達矢さんも、この作品や黒澤作品で名優の階段を昇っていったことが良くわかる。映画という手法でしか描けない人間の業を木下恵介は見事に描き抜いた。「二十四~」や「カルメン~」の作品の底にある木下恵介の人間観は、この作品を凝視しなければ理解できないと言ってもよい。それはドストエフスキーやトルストイの小説にも比肩される世界を描いている。先の大戦を経験した戦中派の人間凝視は、小津安二郎、黒澤 明、とは異なる作風で、この巨匠達の作品の通奏低音となって、鈍く、激しく、静謐に、諦観として表現されている事を改めて了解した。

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2013年10月11日 (金)

水俣病の今後

 大阪に棲んでいた頃に石牟礼道子さん(以後、敬称は略させて頂く)の著作を読みながら久しぶりに学生時代に遭遇した水俣問題を再考した。「花帽子 坂本しのぶちゃんのこと」(創樹社 1973年4月10日)を読み直した。文は石牟礼道子、写真はW・ユージン・スミス+アイリーンM・スミス。今年57歳になる、しのぶさんの少女時代の姿と生き様が31頁の小冊子の中に凝縮されている。

 未だ健在の母親のフジエさんの言葉は先のブログで引いた10月3日の読売新聞に掲載されている。「水俣病がなければ、海とともに穏やかに生きるはずやったとに」。長女の真由美さんを授かり夫婦は「のさった、のさった」と喜んだ。しかし真由美さんは4歳5か月で亡くなった。その頃にしのぶさんが生まれた。そのしのぶさんにも障害が出た。胎内でメチル水銀に侵されていた。フジエさんは「私に何かあったら、しのぶは、どげんして食べていくとか」と歎く。また「6歳で歩けるようになった時は、ほんとうにうれしかったな」とも。そして「当時のチッソの幹部は冷たかった。金を払ったからもうよかでしょ、ちゅう態度やった。怒りやら情けなさらやらがこみ上げて、お金ば突き返して言うたと。『お金は返します。そんなら、死んだ真由美ば生き返らせてくださいよ』って。お金で何でも解決できるという考えが、公害を生むんじゃなかろうか」。

 このような血を吐く思いで搾り出された言葉の重みと深みを我々は心底から聴き取らなければならない。

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新聞から

 10月3日の読売新聞は水俣の特集を組んでいる。特別面という体裁で18面から19面までの2面構成だ。19面の見出しは「水俣の悲劇 教訓に」。胎児感染をした坂本しのぶさんのコメントとお母さんのコメントを掲載している。そのコメントの重さを政治家と為政者はどれほどの覚悟で聞き読むか知らない。安倍首相の「克服」に患者側から強い批判があったことは当然だ。安倍(以下、敬称は略させて頂く)は水俣病をどれほど勉強し患者達の声と叫びを聴き取っているのか?石牟礼道子の「苦海浄土」という作品をどれほど熟読、精読しているのか?もし日本の歴史の一事件が世界的な問題を孕んでいるという意識で発言するなら「克服」などという官僚の作文で世界にメッセージを伝える筈はない。

 渡辺京二や石牟礼道子が地元から血を吐く思いで書き残し、書き続けている言説、論説を踏まえて発言するならあんな稚拙な官僚の作文を読むだけのメッセージになる筈がない。水俣の人々や作家、写真家、映像作家、思想家たち、自らの問題として引き受けた者たちからすれば、それぞれの位相で発言の内実というものがある。安倍の集団的自衛権と憲法改正への意欲は二代目、三代目の政治屋の言説、論説では済まない位相の問題である。その事に自覚的か、能天気かという判断は明確に立て分けなければならぬ位相の問題であることは自覚したほうがよい。

 水俣病という公害は我が国では田中正造が明治時代に告発した歴史と密接に関連している。それは米国でレイチェル・カーソンが「沈黙の春」という著作で農薬公害を告発した時から米国と日本の中で通底している主題なのだ。公害という言葉は「公益を害する」という言葉から命名されている。田中正造が生涯を賭けて戦った「足尾銅山鉱毒事件」は正しく事件なのである。田中から言わせれば、それは「国家犯罪」である。田中は人生を賭けて故郷の国家犯罪を告発したのだ。その経緯は既に「田中正造の生涯」(林 竹二著 1976年7月20日 講談社現代新書)の中で林が詳細に説いている。林の著作と「谷中村滅亡史」(荒畑寒村著 1999年5月17日 岩波書店)を読めば足尾銅山鉱毒事件の経緯は水俣病という惨事として繰り返されていることは明白だ。

 深夜のNHKテレビではオリバー・ストーン監督のシリーズ番組の第3回を再放送している。トルーマンとヘンリー・A・ウォレスの確執を描いた回だ。これは以前に観た。それはオリバー監督の冷静な言説と母国の歴史にメスを入れたものだ。そういう作品は日本でも作られている。小津安二郎や黒沢 明、木下恵介、新藤兼人らの巨匠、名手の作品を見ればわかる話だ。しかしドキュメンタリーとして映画作家が先の大戦と向き合った佳作は小林正樹監督の「東京裁判」だ。これは一兵士として戦争に参加した映画人の作品として、また日本人として刮目して視なければならない作品と言える。それはさておく。しかし、日本人が敗戦として経験した先の大戦は現在の政治、経済、文化の問題まで含んで現在を生きる日本国民には重大な歴史として継承されている。それは左右両翼の激論、暴論、妄論を聴き読めば各国民に突き付けられる喫緊の問題であることは言うまでもない。

 水俣の問題に戻ろう。読売新聞の特集で、「同じ思いしてほしゅうなか」の見出しで坂本しのぶさんのお母さんが語る話を安倍首相も与党の大臣も与野党の政治屋も政治家も心底で聴き取らなければならないだろう。そこから役職とか社会的立場ではなく一人の人間として声を発さなければならない。明治の国策として生じた足尾銅山鉱毒事件、米国の農薬公害、日本の戦後に起きた水俣病事件は明らかな関連がある。それは原発にしてもそうである。東電の事件は人災以外の何物でもない。それは科学者や福島で震災の被害に遭われた人々の声と告発を詳細に聴き読めば現代という時代に科学技術が発展、展開して、どういう結果を齎しているのかという本質的な問題に至る。それを究明しなければ瑣末な表層的な問題として同じ過ちを繰り返すだけだろう。

 米国が日本に2発の原爆で大きな犠牲を最小限に留めたというトルーマンの言説は欺瞞以外の何物でもない。それは日本国民として日本人が世界に発信しなければならない究極のメッセージである筈だ。そのような人類にとって根幹的な問題を米国世論に気を使う必要などありはしない話だ。その事に我々日本人は自覚的でなければならない。それは米国のポチと成り下がって失言を繰返す為政者の問題でない。アカショウビンは一人の日本国民として昨今の政治状況や経済状況、日本の文化の問題として実に危うい意識を持つ。

 本日は日本画家の竹内栖鳳の作品展を東京国立近代美術館で観てきた。それは雪舟、応挙、若冲、北斎、広重、鉄斎に続く大観と並ぶ、日本画の到達点の如きものである。泰西名画と拮抗する日本美術の粋の一つと諒解する。保田與重郎の日本美術論とも絡めて論じなければならない主題だが、いずれ展開させよう。

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2013年10月 7日 (月)

「学校Ⅲ」を観直す

 先日、衝動的にレンタルDVDを何本か借りてきて「学校Ⅲ」(1998年 山田洋次監督)を観直した。当時、友人に感想を話したときにアカショウビンは「仕上がりは悪くないが、ぬるいと思った」と伝えた。友人は呆れたのか、いつものアカショウビンの説明不足でぶっきらぼうな断言に言葉を費やしたくなかったのかもしれない。それで、その話は展開されることはなかったと思われる。しかし、改めてこの作品をじっくり観直して山田監督の名作と評してもよい感想をもった。当時のアカショウビンの事を振り返れば内外の新作、旧作を観る中で海外の名作などと比較して思わず、そのような感想として友人に伝えたのかもしれない。映画にしろ小説にしろ音楽にしろ若い頃に観たり読んだり、聴いた作品が時を経て異なる映像、物語、印象として再登場したように思われることがある。それは少なからずの人々がそういう経験や体験をお持ちなのではなかろうか。アカショウビンにとって「学校Ⅲ」は、そういう作品だった。あるシーンは黒沢明監督の「赤ひげ」(1965年)のワンシーンを山田監督流に織り込んだ箇所もあり思わず懐かしい気持に満たされた。

 敢えて筋の説明はしない。先ず、作品を観ることでしか作品の映像、音楽、俳優たちの台詞、喋り方、表情の一瞬、一瞬は伝わることがないからだ。大手のレンタルショップには置いてある筈だ。映画に興味がない方には恐縮だが、今なら80円か100円で借りられる。80円か100円でも見て損したという感想をもたれる方は少ないと思う。もちろん観客は様々だからアカショウビンのように少し酷な感想を持たれる方もいらっしゃるかもしれない。しかし、この作品はヒューマニズムとかメロドラマとか人情映画といったジャンル分けを超えて世界に出して誇らしい作品と確信する。

 主演の大竹しのぶ(以下、敬称は略させて頂く)は見事にヒロインの役を演じている。山田監督の演出の上手さもあるだろう。脇役も日本映画界の錚々たる面々が登場し作品に緊張と笑いと涙を誘う。山田作品のターニング・ポイントとなる作品と言ってもよい。この4部作は、少なくとも「家族Ⅲ」を観た限りで判断するのだが、かつての「家族」(1970年)、「故郷」(1972年)、「同胞」(1975年)の3部作を想い起こさせる。それは作品が或る時代の人間と風景を丹念に描きこんでいるからだ。「学校Ⅲ」は1998年前後の日本の現実を見事に描き抜いている。それは2013年の現在こそ改めて観直して痛烈なメッセージを観る者に突きつけてくる。登場人物たちのそれぞれに観る者は自分の姿を発見することだろう。それは「男はつらいよ」シリーズにも共通して表現される自然描写と人情がこちらでも、きっちり描き込まれているからだ。物語が収束するラストのシーンはアカショウビンを含めて私たちの周辺を見れば必ずや体験・経験される日常の或る断面を描いて秀逸だ。冨田勲の音楽も映像に美しく、あはれに静謐に寄り添い申し分ない。改めて観直して最後のクレジットに流れる音楽がアカショウビンの歌姫の一人、中島みゆきであったことも改めて知って納得した。俳優たち、物語の展開、キャメラの構図、映像のカット、冨田の音楽、中島の歌の掛け算が見事な相乗効果を生み出していることが、この作品を〝名作〟にしていると確信した。

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2013年10月 6日 (日)

朝の愉悦

 日々の日常に倦み疲れるなかで音楽を聴く楽しみはアカショウビンにとってカンフル剤の如きものである。今朝はモーツァルトの室内楽を久しぶりに朝の「題名のない音楽会」で聴けた。「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲」(K423)。この作品を以前に聴いたかどうか定かでない。しかしモーツァルトを聴く悦びはしばし堪能させて頂いた。しかもヴァイオリンはベルリン・フィルのコンサート・マスターを務める樫本大進(以下、敬称は略させて頂く)。何ともモーツァルトの音楽を聴く悦びというのが、この作品にも溢れている。
 モーツァルトが高名な10曲の弦楽四重奏曲(k387~k590)を作曲していた頃にミヒャエル・ハイドンがコロレド(ザルツブルグ大司教)に献呈する6曲の二重奏曲作品を病のため完成することができずモーツァルトが友情で作曲したという逸話がミヒャエルの二人の弟子によって伝えられているらしい。
 手元にあるアルフレート・アインシュタインの「モーツァルト その人間と作品」(浅井真男訳・白水社)によると「二つの二重奏曲の成立については一つの逸話があるが、これは少なくとも全然信じえないというものではない」と前置きして「逸話」と作品評を記している。またアインシュタインは「《偉大な》な四重奏曲に匹敵するもの」(p259)とも。それは途中、司会者の佐渡裕氏と樫本の話で中断されても樫本のライブ演奏で楽しめた。また珍しく、このサービス精神旺盛な佐渡の司会する番組の中では、あまり一般受けしない室内楽の作品のみを放映したことは佐渡の才覚と音楽界で有する権力の如きものだ。その恩恵で、このような機会に恵まれたことは幸いと言うしかない。
 樫本がこの番組でこの作品を選んだということは理由があるだろう。また上記のアインシュタインの作品評価は、あちらの音楽界では常識の如くになっているのかもしれない。そうでないとしても樫本はこの作品を愛しているのだろう。それは奏でられる音楽に精神を集中すれば悦びとして感じ取られたからだ。樫本は、それまでソリストとして活躍していた仕事からオーケストラで演奏することへの戸惑いを述べていた。しかし佐渡とベルリン・フィルで共演した経験を含めて多くの日本人には知られていない、ベルリン・フィルのコンサート・マスターを日本人が務めていることへの誇らしさは改めて確認してよいことだと思う。それが室内楽という舞台で聴かれた幸いを言祝ぎたい。

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2013年10月 1日 (火)

田中正造、没後100年を考える

 福島原発はじめ国内原発の帰趨が話題になるなかで9月12日(木)の毎日新聞朝刊10面・埼玉版)には足立旬子記者(科学環境部)が「田中正造没後100年 生き方や思想 再評価」の見出しで論説を書いている。田中正造は1841年(天保12年11月3日)に生まれ1913年(大正2年9月4日午後零時50分)に没している。記者が引用している田中の言説が痛烈だ。全文は同社のHPで読んで頂くとしてアカショウビンの感想を記しておこう。

 足立記者は記事で田中(以下、敬称は略させて頂く)の言説を引く。それは田中の面目躍如だ。「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」、「デンキ開けて世間闇夜となる」。

 記者は「経済優先の近代文明を鋭く批判した言葉は色あせない」と書く。その言や好し。また〝「自然を征服」は人間のおごりの〟の中見出しで、正造は「軍備を全廃し、浮いた費用で世界中に若者を派遣し、外交による平和を構築することも唱えた」と評価する。これまた、その言や好しである。

 しかし正造の警句は生かされず、約50年後、今度は水俣病が発生した。これについてはアカショウビンもこのブログの中で書いて思索を継続している。ご興味のある方は是非にも渡辺京二さんや石牟礼道子さんの書物を介して書いた記事を読んで頂きたい。

 正造は私財を運動に投じ、信玄袋に入った全財産は大日本帝國憲法と聖書、日記帳石ころなど僅かだった、と足立記者は書いている。それは田中正造という傑物の生涯を象徴して興味深いではないか。

 また死の間際の語りも。曰く「見舞客が大勢来ているうようだが、うれしくも何ともない。正造に同情してくれるか知らないが、正造の事業に同情して来ている者は一人もいない」と洩らしたらしい。さらに「俺の書いたものを見るな。俺がやってきた行為を見よ」とも。

 ここに歴史に刻まれる人物がいることを改めて確信する。

 正造と足尾銅山鉱毒事件を研究する方は次のように足立記者に語ったらしい。

 「正造の事業とは鉱毒事件解決だけではない。憲法に基づき、国家が国民の生命と生活をきちんと守るよう、政治も含め社会の仕組みを変えようとした」。この言は更に好し。今月4日の正造の命日に出身地の栃木県佐野市で法要が営まれたらしい。

 足立記者は次のように記事を締め括っている。

 「(法要が)始まってすぐに雨が激しくなり、雷が何度も鳴り響いた。100年たって日本は経済大国になったが、山や川が荒らされ、人の命が軽んじられている。政治家は、国民は、何をやっているのかと、正造が叱咤しているように感じた。一人一人が何ができるかを考え、行動を起こせ―。雷鳴が胸に刺さった」。

 足立記者の素晴らしい感性を賛嘆したい。同時に自らも正造の行動に共振し日常を改革する行動に打って出なければ娑婆で生きる面白さは得られない筈だと痛感するのである。

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音楽の力と恩恵に面を革む

 シューベルトのピアノ・ソナタ「幻想」(D894)についてはこのブログで何度か書いた。多くの練達のピアニストたちが録音を残している。それは天才、名人と称されている人々である。聴き比べたのは、その幾つかに過ぎない。しかし、その中で傑出している、と感嘆したのが1978年のリヒテルのライブ録音だ。第1楽章は異様な遅さである。モルト・ モデラート ・エ・カンタービレと指定されたこの楽章をブレンデル盤は17分16秒で演奏している。ところがリヒテルは26分18秒である。しかし、そこにリヒテルが込めた作品に対する解釈と本質が聴きとられる。他の名人、天才たちのライブやスタジオ録音とは隔絶した一人のピアニストの演奏が奇跡的に留められていると思う。「また、いつものオーバーな感想が始まった」と揶揄されても、その録音を聴いてからにして頂きたい。

 先日、引っ越しのなかで段ボールに隠れていた音楽之友社の「クラシック名盤大全 器楽曲編 保存版」(1999年10月1日)が出てきたのでシューベルトの項に目を通した。そこではp212~225まで各ピアニストの録音評が掲載されている。その中にリヒテルの1978年のライブは入っていない。しかし、この作品を含めてシューベルトのピアノ作品に対する名人、天才たちの演奏に対して様々な評論家たちの感想が記されているのを読むのは楽しい。その一つを紹介してみよう。アカショウビンが聴いた限りではリヒテルにもっとも近い演奏として聴いた田部京子が1999年の3月、4月に録音したCDついてである。評者は岩下眞好氏。失礼を省みずに全文を掲載させて頂く。

 >田部京子のシューベルトは、音楽を愛するすべての人々に薦めたい最高の演奏だ。この人のシューベルトは、一度聴いたら何度でも聴きたくなる。第20番も繰り返していつ聴いても心洗われずにはいられない「最高」の演奏だったが(別項参照)、新録音の第18番と第13番のソナタも素晴らしい。作品のなかに秘められたシューベルトの心の「真実」に虚心坦懐に迫る。演奏というものが、技量や解釈の研究もさることながら(この点でも田部の演奏はりっぱだが)、なによりもその演奏家の心と感受性と人格からつくり出されることを実感させてくれる。新世代のハスキルとなるか。芸術がビジネス化しショー化するなか、本道を行く貴重なピアニストだ。(以上、引用終わり)
 
 殆ど絶賛である。この評語にアカショウビンもほぼ同意する。しかしリヒテルの録音を聴いて考えるに、アカショウビンは「音楽を愛するすべての人々」のすべてが看取するのが困難な境地と世界がリヒテルによって切り開かれていることを強調したい。例えばフランスのピアニストであるラドゥ・ルプーの1979年の録音を聴いた時に私はリヒテルと比べれば児戯に等しいと直感し、以前の記事の中で切って捨てた。それは乱暴な感想だが、アカショウビン正直な感想として伝えておきたい。ルプーというピアニストを紹介する時の有名なキャッチフレーズである「千人に一人のリリシスト」という評価が正確だとしてもだ。先の本の中で中村孝義氏はルプーの録音を「彼の演奏を実際に耳にしてみると、とてもそういった、言葉だけでは表しきれない幅の大きな演奏家であることが分かる。確かにその豊かな叙情性は一際抜きんでているし、その音色の美しさも天下一品である。しかし、それを特徴づけるには、それ以外の要素が並はずれて充実していることが不可欠であろう」と評している。それを読んでもアカショウビンの感想を撤回するつもりはない。何と頑固でへそ曲りであることか、と揶揄されてため息をつかれても(笑)である。

 また内田光子の1996年9月の録音については大木正純氏が次のように評している。「内田光子は、目下シューベルト弾きとして、世界でも指折りの存在に駆け登ったといえるのではなかろうか。(中略)隅々まで濃密な表情でびっしり埋め尽くされ、およそ一瞬たりともテンションの緩むことがない。(中略)さらに欲を言うなら、どこかにもう少し、ほっと息を抜けるようなリラックスした歌の柔らかく漂うシーンがあってもよいとは思うのだが、さながら匠の手になる手の込んだ工芸品のような、見事なまでの仕上がりには、つくづく感嘆した次第」と記している。

 そのような他の評者の批評を勘案すればシューベルトのこの作品の本質とでもいうものが浮き彫りにされるだろう。しかしそれは各録音を聴いて各人が言葉にしなければならない。アカショウビンもリヒテルの録音を聴いてから内外の他のピアニストの録音を聴き始めた。今、これを書きながら聴いているのはブレンデルの1988年3月のCDである。これはまたこれで稀代のシューベルト弾きとして賛嘆されるピアニストの到達した境地である。近年引退したこのピアニストのモーツァルの協奏曲は今でもたまに取り出して聴く。一度くらいは実演に接してみたい演奏家は数多くいる。しかしレコードが発明されて以降の〝複製の時代〟に多くの音楽愛好者たちには複製品で繰り返し聴き直すのが私たちが生きている現在の世界の負う不運と幸いでもある。その不運を超えて作品が齎す響きはアカショウビンを活性化させることも正直な実感だ。田部や内田の録音が世界レベルに達していることは同じ日本人として改めて言祝ぎたい。そして是非多くの皆さんに、この作品を、またマニアの方たちにもリヒテルのライブを聴いて頂きたいと心から思う。

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