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2013年9月20日 (金)

存在と時間

 [存在と時間]という主題はこのブログの基調低音である。朝のテレビでは病のために右手が使えないピアニストが自分のために創作された左手だけで演奏する作品を演奏している。音楽という〝時間芸術〟とも称される時と映像が視覚化されている。それは宮沢賢治の作品に垣間見られる達観とも通底するように思える。右手が使えないピアニストから紡ぎ出される音は〝私という現象〟といった表現で言葉にしたくなる衝動がはたらくのだ。

 ピアニストは不自由を自由にひっくり返している。それは実に稀有な音と映像である。私たちの〝日常〟は時に疎ましいものとして経験される。しかし時に〝非日常〟とも称すべき時空間が生じる。それは〝生成〟と言い換えてもよい。そういう経験は誰でもあるだろう。しかしその稀有な経験を人は往々にして忘れる。

 [存在と時間]という対比は哲学書の表題を超えて人間という生き物が示す大きな主題であることをピアニストの演奏を聴いて改めて思い知る幸いを言祝ぎたい。

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