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2013年8月 6日 (火)

鬱々たる日常と書評の拾い読み

 先日、都内の混雑する地下鉄の駅で改札を通る時に後ろから「邪魔くさいんだよ」と言う声に振り向いて「それはオレの事か。なめるんじゃないぞ、この野郎」と毒づいてやった。相手は若い小太りの女だった。こちらの剣幕に怯み何事か呟いたが、混雑もあり、それで終わった。相手も相手だが、こちらもこちら。女性に、この野郎はない。しかし、たとえば昔の言い方なら「この、すべた」とかなるのだろうが、今や死語であろう。と思いつつ辞書を引くと、「(前略)醜い女性の蔑称。特に娼婦の称」(新明解国語辞典 第4版 三省堂 1989年)とある。もし、そのように罵って、相手が意味を理解していたら逆上されるだろうが、「キモい」などという、すべたとよい勝負と思われる言葉が少女達の間で横行するのを聞くとわが身を振り返り、生き生きとした日本語を読みたくなるのである。

 話が横道に逸れるが、元の会社に復職して8月末で3年になる。最初の1年は生活も多少は楽になり業界の人たちとも旧交を温め営業活動も順調で比較的充実していた。それが2年目は前年対比で少しずつ苦戦する。しかし経営者の人事にも不満があった。新人を採用し試用期間の3ヶ月目に不採用という酷なやり方に。昨年9月ころに社長から理不尽な物言いをされて、辞意を仄めかした。以来、同じ様な採用人事が繰り返された。そこで結局、この8月で退社することになった。良い節目、区切りである。此の会社は殆ど何も社員教育をしてこなかった会社である。言ってみれば、その間は消耗戦であったとも総括できる。

 そのせいでもないが昨年からここまで土日は殆どアルコール浸りで夕方に一食食べればよいほうで二日間何も食べないことも多い。時には月曜日に、そのせいで仕事を休んだこともある。同僚の上司(というのも変だが)会社人事でそういうことになった。その上司は前の会社でもそうだったと思われるが経営者には陰では不満も洩らすが電話では平身低頭である。我々の世代のサラリーマン根性が身に染み付いた男である。それは恐らく平均的な給料生活者とも言える。アカショウビンの勤務状況を小まめに社長に報告する。それを聞いて社長は「精神状態がおかしいのじゃない?」とまで口走った。そんな事も重なり、今年12月の定年を待たずに退職時期を早めるように督促され、それは、ちょうど節目時だと合点し、8月一杯で辞める事にした。会社都合でかまわないと言うので一応クビである。有給休暇を取り8日いっぱいで退社。以後は、ハローワーク通いだ。若い人ならネットだろうが、定年寸前のアカショウビンはネットには出てこない企業もあるというハローワークと人脈というほどではないが飲み友達のような知人のツテを辿る古典的な手法で50の手習いならぬ還暦前の就活に臨む。とりあえず友人達にもメールを送ったが返事は無しの礫。皆さん、ご自分の生活で汲々されているのであろう。しかし電話くらいかけてきてもよいではないか、と愚痴りたくもなる。

 それはともかく、日本語である。毎日新聞の書評欄は時に精読すると生き生きとした日本語に出会える。4日の記事に幾つか見事な書評があった。村田喜代子さんの『「ゆうじょこう』を持田叙子(のぶこ)さんが評しておられる。「村田喜代子は、昔ばなしや神話、伝説のこころの影を今の私たちのこころの中に溶かし入れ、生き死にの歓び(よろこび)や恐れをあざやかに見きわめるすぐれた物語作者である」という書き出しの日本語に一挙に惹き入れられる。本日は相変わらずの土日の不摂生がたたり体調が悪く夕食を少し贅沢しながら書評欄に集中した。評者は作家が雑誌に連載しはじめた作品を引き、その第1話が圧倒的な「火の小説」と述べ、「原爆が投下され、炎の燃える広島をからくも逃れ、不義の男女が火と製鉄の町、北九州八幡で戦後を生き直す」内容であることを伝える。「善悪を超えた偶然に左右され蟻(あり)のように地を這(は)い回る私たちの生の不条理が雄渾(ゆうこん)に描かれる」と書く。雄渾という形容が何とも作品の文章を評して生き生きとしているではないか。続けて「人間の運命をわしづかみにする炎の巨神兵のような原爆にはどこか、人の手に負えない巨大な原子炉のイメージも重なる」と。『ゆうじょこう』は以前の作品が火の小説とするなら、「本作は新たにいのちの源の海深くに潜ろうとする野心的な水の小説」と評する。アカショウビンも楽しんでいるNHKテレビの「あまちゃん」では描かれない悲惨な歴史ももつ海女の世界を「一人の少女の心象を通し、南国の光まばゆい神話的な海を幻視する」作品は読まなければ話にならないが、この書評だけでも作品の本質が抉られているようで感嘆する。

 また『民族衣装を着なかったアイヌ』(瀧口夕美著)を書評する池澤夏樹氏の紹介も見事だ。冒頭の「我々が日本語にできなかった西欧語の一つに『アイデンティティー』がある。(改行)自分は何者であるかということを社会的なフレームの中で規定する。他者に対する名乗りだが、勤務先や肩書きでなくもっと個的なもの。」という文章で読むものを、持田さんの書評と同様に読む者を、ぐっと惹き込む。続けて「これに対応する概念が日本の文化の中になかった。(改行)そんなことを考える必要がなかったのだ。我々はみな均質の日本社会に埋め込まれていたから上下左右の位置関係を記した名刺一枚で済んできた。それ以上のことは考えなかった」という評言は短い言葉の中に凝縮された日本人論が読み取れる。「1971年生まれのアイヌの女性が惑いながら自分の立ち位置を確定する」物語である同書の中からの引用が彼女の思いを抉っている。「問題は、観光=興味の対象が、見られるほうの許容限度を超すことにもなることだ」。子供の時の体験を踏まえて言う彼女の言葉に評者は「博物館の展示品と違って人は生きて生活しているのだから」と書く。そのような言葉では表しきれない生活体験があるだろうことは読む者の想像力に訴えかける事である。評者は「アイデンティティーの曖昧さは過去を参照することで解決できる。過去は揺ぎないから、起こってしまったことだから信頼できる」と述べ、「アイヌ民族というものと、現代のアイヌである自分自身の距離がずっとつかめずにいた」という著者は間違いなくそれをつかんだ、と書評を締め括る。しかしアカショウビンは「過去は揺るぎない~」には納得しない。「起こってしまったこと」に対する理解と解釈の違いが、先の大戦で大論争となった「南京大虐殺」や沖縄戦の見方の違いが裁判にまでなった大江健三郎氏の『沖縄ノート』の事実があり、それは「過去を参照することで解決のできない問題もあることを示唆している。裁判で法的に決着はついても負けた側は決して納得はしまい。日常の事実はもちろん歴史事実は多面的でもあるのだ。

 この日の書評で最初に読み刺激されたのが『狂言兄弟―千作・千之丞の八十七年』(茂山千作・千之丞著、宮辻政夫編・毎日新聞社)だ。茂山千作さんは5月に亡くなられた。現在まで、それまで能に比べて低い評価しかされなかった世界を能と同等の或いはそれ以上の評価にまで高めた二人の名人の生涯と時代背景まで加えた貴重な書物になっている事が狂言に詳しいようである評者の渡辺保氏によって簡潔に生き生きと紹介されている。

 「舞台へ出ただけで周囲におかしさ、ゆたかさが漂う狂言師は、私が見た限り先に善作弥五郎、あとに茂山千作だけであった。独特な角張った大きな顔、それでいて柔軟な恰幅。この人が出てくると舞台の空気が一変するから不思議であった」という評言にアカショウビンも同意する。茂山千作という狂言師は正にそのような名人だったと思う。そうか、この本が出版された直後に亡くなられたのだ。狂言が以前のように能の付け足しくらいの位置付けから現在のように狂言だけの催しもあるというところまで普及したのは「西に茂山兄弟の努力があり、東に野村万蔵一家の働きがあったからである。狂言独立。これは狂言何百年の歴史のなかでも画期的な出来事である」。その通りであろう。私たちは、そのような同時代を生きているのでもある。評者は千作の芸談を少し紹介している。「狂言は型をきっちりせんと、役の人物にはなれませんな。基本の型をしっかり身に付けたうえで、ここには型を大きくしようとか、台詞(せりふ)回しとか工夫する」。たまたまテレビで阿波踊りの模様を作品に組み込んだ「眉山」という映画をやっている。これはかつて見た。「あまちゃん」で好演している宮本信子という女優の価値がここでも改めて確認できる。しかし物語以上に見事なのが徳島の阿波踊りが型を身に付けた踊り手たちの何とも見事な祭りであることを納得する。高級な日本舞踊でなくとも民衆の踊りもやはり型なのだ。時に型を大きくするとかアドリブに玄妙で含蓄ある変化が付けられる。それが民衆の夏祭りとして洗練され引き継がれている。何と先日『終戦のエンペラー』で見事な演技を残し逝った夏八木勲も出演しているではないか。この作品を生かしているのは徳島の阿波踊りを克明に描いているところにもある。

 書評には『少年口伝隊一九四五』という井上ひさしの作品も紹介されている。「1945年の8月6日の原爆炸裂から9月17日の枕崎台風の襲来まで、ヒロシマを正面から描いた朗読である」。(漢数字は洋数字に換えた)。「一つの街の惨状を、たじろがず、正確無比といわざるを得ない言葉で描破するなかから、登場人物が現れる。その通り。『父と暮せば』と対をなす、必読の書である」と評する。それは読まねばなるまい。幸い失業で暫く時間はある。

 この日の「時代の風」というコラムでは筆者(あえて名前は書かない。「誰が」より「何が」書かれていることのほうが大事だという場合がある事をお察し頂きたい)は『南州翁遺訓』から引用する。「命も入らず、名も入らず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして、国家の大業は成しえられぬなり・・・」。それは先の参議院選挙の大勝で笑いが止まらない安倍や山口の面を見ると奴らにこそ聞かせてやりたい日本語である。そう、そう。此の日の書評欄には齋藤孝氏推薦の声に出して読みたい日本語として露伴の『五重塔』が引かれている。江戸言葉は地方出身者には幾らかの違和感があるが齋藤氏は東京人なのであろう、露伴の文章に格別の刺激があるものと思われる。登場人物の親方源太を描いた箇所である。「腹に十分(じゅうぶ)の強みを抱(いだ)きて、背をも屈(ま)げねば肩をも歪めず、すっきり端然(しゃん)と構へたる風姿(ようかい)と云(い)ひ、面貌(きりょう)といひ水際立つたる男振り」。また福田恆存訳の『マクベス』からマクベス夫人のお言葉。「やりそこなう?勇気をしぼりだすのです。やりそこなうものですか」。王を暗殺したマクベスは「ああ、おれの心のなかを、さそりが一杯はいずりまわる!」と引用し「人の生涯は動き回る影にすぎぬ」という呟きも。日常の倦怠は、このような日本語を読んで活力を取り戻せればよいと思うが余りに疲弊した心身には、それでも足りない何かが必要だ。それはハイデガーの言葉を借りれば「存在へと身を開き、そこへ出で立つありかたにおいて耐え抜く」ことだが、それを我が身に於いて実践する事は禅者の悟りよりも難しいことを肝に命じなければならぬ。

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コメント

ご無沙汰しています。

8日で退職されたのですね。
当初伺っていた時期より延びたようですが、
長い間お疲れ様でした。

またお会いしたいです。

投稿: 田島高広 | 2013年8月10日 (土) 午前 08時51分

 コメントありがとう

 やっと解放された思いだよ。それにしても業界は厳しいね。しかし、なくなることはないだろう。業界紙も正念場に立っていると思うよ。私は余生を捧げるつもりだったけど、会社の事情とあれば受け入れるしかないね。

投稿: アカショウビン | 2013年8月11日 (日) 午後 11時24分

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