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2013年8月21日 (水)

戦争の記憶

 この夏の収穫は、浜田知明という銅版画家の作品と姿に映像ではあるが出会えた事だった。NHKの「日曜美術館」で紹介された作品には驚愕し震撼した。ネットの遣り取りでこの作家に関心がある方から関連の書籍を紹介して頂いた。「兵士であること」(鹿野政直著 2005年1月25日 朝日新聞社)だ。今年92歳になる銅版画家の作品を著者は丁寧に解説している。作品の写真も掲載されて改めて視て震撼する。昨今の日本国や対韓国、対北朝鮮、対中国、対米の北東アジアの現在と、シリア、エジプトの国際情勢の報道を省み感慨新ただ。先の大戦で日本軍が中国で、どういう戦争を戦ってきたか、浜田の作品は一人の兵士の視線、精神を銅版作品に刻んでいる。それは例えば、北斎の作品とは隔絶するものだが、日本人の美術家として関係がなくもない。水彩や油絵では表現できない対象というものがある。たとえば北斎の版画とはそういうものとして浜田にとっても同様な契機をもつと思われる。それほど、画家にとって対象と、それを描く手法というものは緊密な関係をもつものなのだろう。

 浜田の作品を見たあと、たまたま北斎の「冨岳三十六景」を主とした番組を見た。これまた驚嘆する北斎である。先日は長野の「北斎館」を初めて訪れ、短い時間だったが念願の天井絵も観て晩年の肉筆画にも対面した。それをしても、同時代を生きる作家の作品と作家の言説を聴けた貴重はアカショウビンの中で敢えて同等と言ってもよい。むしろ北斎の天才は浜田という美術家に奇跡的に引き継がれているとも飛躍できよう。浜田の作品に継承されているのは明らかに西洋美術である。代表作とされる「初年兵哀歌」で刻まれた版画は北斎の手法を継承したものだというのは専門家からすれば笑止な指摘だろう。しかし、浜田が選んだ手法は描く対象と深く関わっている。それは作品と対峙しなければわからないものとも言える。作品にした動機は、たとえ複製にしろテレビ映像にしろ伝わると思える。それは解説者によって文字で説明されるものとは別な衝撃である。この衝撃は娑婆を生き延びる力となりえるかもしれない。それはあくまで、こちらの衝迫の持続によるものだが。

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