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2013年8月16日 (金)

敗戦の日に

 昨日は新宿まで宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観に出かけた。昼の回を観て新聞やネットで感想を書くつもりだったが、アルコールをチビチビ飲んでいるとグズグズして間に合わず。夕方の回に間に合わせるように出かけた。ところが既に満席。午後6時55分の回しか空いてないという。仕方なく、その回の席を予約した。花園神社や周辺を周遊し時間を潰した。

 毎日新聞の夕刊には「家族の絆 確かめ」の首見出しと「新婚の夫戦死 遺族代表追悼」の白抜きで遠矢みち子さん(92)の記事が掲載されている。一人息子とのお写真からそのお歳とは思えない。みち子さんは東京のお生まれ。職場で机を並べたご主人は鹿児島出身。上司にも堂々と意見をする姿に惹かれ44年2月に結婚。夫にはすぐに応集令状が届き、出征。同年の末に陸軍鹿児島連隊へ配属され公務から東京に戻りしばらく滞在。夫が連隊に戻って、新たな命を授かったと手紙を書いたけれども返事は来ず、45年3月、乗っていた徴用船が米国の攻撃を受け撃沈。最愛の夫を失った経緯が記されていた。

 その場所が奄美大島の久慈湾と書かれていた。奄美出身の私には恥ずかしながら未知の地名で先ほどネットの地図で確認した。そこは作家の島尾敏雄が駐屯していた加計呂麻島と10数キロくらいの場所だ。島尾(以下、敬称は略させて頂く)は震洋という特攻艇の隊長だった。それを考慮すると米軍は沖縄・奄美を経て本土へ攻め込む作戦の渦中にあり、その足場を探索していたのであろう。アカショウビンの母も祖父と徳之島から大島の名瀬に向かう船で米軍機の攻撃を受け九死に一生を得ている。そのような事も思い出され遠矢さんのご主人の死に思いを馳せたのである。

 戦死公報が届いたのは44年の11月。一人息子の出生届けを出した日だったという。人の一生というのは何と数奇なものなのだろう。孝行息子は大学を出て国家公務員に。ところが、働き始めて数ヵ月後、酔って帰り「父の写真をたたいて泣いた。『なんでお袋と俺を残して死んだ。一緒に酒を飲みたかった』。眠り込んだ勝美さんの姿を観て、みち子さんも涙を流した」と記事は伝えている。

 アカショウビンと遺族、作家、画家は故郷の土地を介して僅かの接点を持つ。その事に68年という時を超えて何事かが共振する。その事が此の世を生きる縁のようなものである。昨夜から今朝にかけてはNHKテレビで報道番組、「あまちゃん」のダイジェスト版を観て過ぎた。「風立ちぬ」の感想を書かねばならないが、少し床に就き就活にも取り組まねばならない。

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