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2013年8月31日 (土)

日本国の将来

 前回に続きたまたま昨夜、深夜の民放のテレビ番組を見た。政治家や学者、評論家と中小企業の経営者や大学生たちが参加して消費税増税問題や日本の企業の現状と将来にたいする議論は失業で求職中のわが身につまされる内容だった。

 消費税増税の賛否の議論はそれなりに日本国の現在と将来に関して興味深く聴いた。アカショウビンの場合、消費税増税は賛成の立場である。しかし日本の企業の現状と将来に対する議論も我が身に即して興味深かった。それは大企業の法人税を安くして日本を支えている中小・零細企業に負担を強いている安倍政権の行政に対する疑問と現状に対する改善の議論が興味深かったのである。

 安倍政権はアベノミクスによって景気を浮揚させる業績を発揮しているが、それが多くの中小企業には未だ反映されていないというのが参加者たちの指摘だ。それはアカショウビンは現実として経験した。経営者から会社業績が悪いから定年を早めて辞めてくれと勧告されたからである。アカショウビンは日本の終身雇用制に賛同しているわけではない。働く場は、雇用者として会社が必要としないのなら、資本主義社会のなかで利益がだせないのであれば業績に貢献できない正当な理由があれば解雇されることは受け入れた。

 それが不当解雇でない説明があればの話だ。アカショウビンが勤めていた会社の場合はアカショウビンの仕事内容が会社に貢献していないという理由で定年前に解雇となったわけだが、経営者は自分達はこのような企業努力をしているのだが売り上げが2割落ちるという予測がたったので辞めてもらうということになったという説明だ。大企業でなく中小企業の経営者としてそれは問題ありである。従業員は中小企業にとって必要人員として採用したわけだからそれを高齢を理由に切り捨てるのは基本的に終身雇用を建前としている経営者は本来なれば無能力者として彼が去るべきだ。しかし番組でもデータとして報告されていたが欧米に比べて日本の労働者は自らの志を実現できる企業として就職している比率が低いというのが現実なのだ。アカショウビンの場合もそれは現実として経験させられたわけである。

 こと志とは違う仕事内容を受け入れながら仕事に従事してきた。しかし、それはそれなりに会社には貢献してきたから会社は再雇用したわけである。それが貢献度が低いとして切り捨てられたのは仕方がないと受け入れるしかない。

 そこで問題となるのは会社がリーマンショック以来の打撃の中でどのような企業努力をしてきたのかという事だ。多くの中小企業の経営者は従業員と共に生産性を上げ利益を追求して会社を維持・発展する事に努力してきたから戦後の経済発展を実現したのだ。しかし、それが高度経済成長からデフレになりリーマンショックで更なる打撃から復興できない現在の中で自分達は高給をとりながら簡単に従業員の解雇で業績を回復させようとする企業もあるという現実である。安倍政権で景気は浮揚したといってもそれは大企業の話である。アカショウビンが勤めていた業界も中小零細企業が多い業界だ。アベノミクス効果は生じていないのが現実であることはこの眼で見てきた。その安倍政権が金融改革には幾らか実績を出し国民の支持を得たことを追い風に憲法改正に向けていることが現実と逆行していることは指弾しなければならぬ。敗戦後の軍国主義から脱却し経済成長を遂げて戦後復興が実現できたわけである。それを戦争が出来る国家にするということは明らかな逆行だ。シリアへの米国の軍事攻撃に加担する安倍政権にアカショウビンは断固反対である。それは失業の身の上からも。雇用が多少良くなっていることは評価する。しかし経済効果と逆行する憲法改悪は止めなければならない。

 高度経済成長期とは異なり経済的な国際競争の中で日本の力が落ちていることは国民の将来に不安を生じさせることである。政府はこれに手を打たなければならない。しかし現政権が矛盾した構想を提示しているのは止めなければならない。国民の一人としての意思表示は次の国政選挙だがそんな暢気な事は言っておられないのが現実ではないか。

 番組の議論の中での重要な指摘は中小企業の活力が他国に追い上げられ中国・韓国に追い抜かれた現実をどのように克服するのかという問題提起だった。これには個々の企業努力と国民としての衆知を結集しなければならない。それには失業から就職し社会貢献することであるが現在の日本の社会構造でそれは覚束ないことも事実なのだ。それを改善するためには欧米並みの水準までの消費税増税は国民の一人としてアカショウビンは受け入れる。

 個々の国民の持つ能力を生かしてくれる仕事に就ける国家を作っていくというのは理想だ。しかし、それに国民が努力していけるような社会にするというのはやりがいのある努力である。それをリードするのが政府とリーダーである。しかし、お下劣な言葉で恐縮であるが現政権はノータリンでアンポンタンのコンコンチキであることは指弾しておかなければならない。

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2013年8月26日 (月)

シャコンヌ

 今朝のテレビでギル・シャハムという演奏家がバッハを演奏している。最後はシャコンヌだ。先日は堀込ゆず子の演奏も聴いた。アカショウビンは若い頃にヨーゼフ・シゲティの演奏を聴いて震えた。大学浪人をしていた頃だ。中野の3畳の下宿だった。受験勉強をしながら夜中に粗末なオーディオ装置で聴いた。晩年の老骨の演奏は後に聴いた高評のシェリングやミルシテインなどの名人の名演と比べると決して洗練されているとはいえない。しかし、その演奏には魂が刻まれていると聴いた。それが将来の自分に不安を抱えていたアカショウビンに何事かの活路というか光を放ち生きる力とでもいうものを照らしてくれたのである。あれから40余年が経過した。定年前に無職になり浪人時代と同じ境遇である。若い演奏家のバッハはシゲティの深さには及ばない。しかしバッハの音楽の深みは、それを超えて何事かを伝える。病にも罹り老いの兆候を実感すれば十分生きたとも諦観する。しかし余生を生きるうえでバッハの作品を聴くことは或る力を与えてくれるように感知する。これは錯覚なのか、あるいは妄想なのか。夏を過ぎ秋の気配も列島を蔽うことだろう。もう少し娑婆を生きる楽しみはそれほど多くはない。しかしバッハを聴くことは、そのひとつであることを若い演奏家の音を聴きながら確信した。

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2013年8月22日 (木)

オリバー・ストーン監督の米国批判

 アカショウビンがオリバー・ストーンの作品を観たのは「プラトーン」というベトナム戦争の体験を映像化した映画だ。ベトナム戦争は中学から高校、大学まで反戦運動と関連して関心を持ち続けてきた。その関心の中で観た映画だ。その当時に勤めていた会社の映画好きの新人たちに「あれはマスタベーション映画だ」と悪し様に一蹴した。彼らは良い作品だと思ったのだろう。そのような批判を聞くとは思いもしなかっただろう。しかし、当時の米国や日本の〝知識人〟たちの論説、言説を読み聞きしてきたなかでアカショウビンの感想は今でも撤回する理由はない。あの最初の作品を若い人たちの多くは見ていないだろう。しかし一人の映画作家としてオリバー・ストーンは日本のヒロシマ、ナガサキ、オキナワを訪れ先の大戦は終わっていない、とコメントした。それは人は成熟し新たな視角を獲得する生き物である、ということの一例である。

 10回シリーズの最終回でオリバー・ストーンはオバマまで含めて米国の世界支配を批判している。その言や好し、である。この番組はネット時代に中東や中国、中南米、アフリカ諸国まで伝わるだろう。そこで新たな議論が吹き上がる筈だ。それは日本も同じである。歴史の真実とそれぞれの個人が向き合わなければならない。オリバー・ストーンが米国に戻り、どのような処遇を受けるか凡その見当はつく。しかし〝民主主義〟の国で言論は自由である。その点についてはオリバー監督と同様に9・11の時に米国に報復する資格はないとして自国を徹底批判した言語学者のチョムスキー氏も米国での言論の自由は健全だと語っていた。われわれも今後の世界最大の軍事大国の行く末を注視しよう。娑婆を生きる楽しみは、そこにも見い出せることを言祝ぎたい。

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2013年8月21日 (水)

戦争の記憶

 この夏の収穫は、浜田知明という銅版画家の作品と姿に映像ではあるが出会えた事だった。NHKの「日曜美術館」で紹介された作品には驚愕し震撼した。ネットの遣り取りでこの作家に関心がある方から関連の書籍を紹介して頂いた。「兵士であること」(鹿野政直著 2005年1月25日 朝日新聞社)だ。今年92歳になる銅版画家の作品を著者は丁寧に解説している。作品の写真も掲載されて改めて視て震撼する。昨今の日本国や対韓国、対北朝鮮、対中国、対米の北東アジアの現在と、シリア、エジプトの国際情勢の報道を省み感慨新ただ。先の大戦で日本軍が中国で、どういう戦争を戦ってきたか、浜田の作品は一人の兵士の視線、精神を銅版作品に刻んでいる。それは例えば、北斎の作品とは隔絶するものだが、日本人の美術家として関係がなくもない。水彩や油絵では表現できない対象というものがある。たとえば北斎の版画とはそういうものとして浜田にとっても同様な契機をもつと思われる。それほど、画家にとって対象と、それを描く手法というものは緊密な関係をもつものなのだろう。

 浜田の作品を見たあと、たまたま北斎の「冨岳三十六景」を主とした番組を見た。これまた驚嘆する北斎である。先日は長野の「北斎館」を初めて訪れ、短い時間だったが念願の天井絵も観て晩年の肉筆画にも対面した。それをしても、同時代を生きる作家の作品と作家の言説を聴けた貴重はアカショウビンの中で敢えて同等と言ってもよい。むしろ北斎の天才は浜田という美術家に奇跡的に引き継がれているとも飛躍できよう。浜田の作品に継承されているのは明らかに西洋美術である。代表作とされる「初年兵哀歌」で刻まれた版画は北斎の手法を継承したものだというのは専門家からすれば笑止な指摘だろう。しかし、浜田が選んだ手法は描く対象と深く関わっている。それは作品と対峙しなければわからないものとも言える。作品にした動機は、たとえ複製にしろテレビ映像にしろ伝わると思える。それは解説者によって文字で説明されるものとは別な衝撃である。この衝撃は娑婆を生き延びる力となりえるかもしれない。それはあくまで、こちらの衝迫の持続によるものだが。

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2013年8月16日 (金)

敗戦の日に

 昨日は新宿まで宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観に出かけた。昼の回を観て新聞やネットで感想を書くつもりだったが、アルコールをチビチビ飲んでいるとグズグズして間に合わず。夕方の回に間に合わせるように出かけた。ところが既に満席。午後6時55分の回しか空いてないという。仕方なく、その回の席を予約した。花園神社や周辺を周遊し時間を潰した。

 毎日新聞の夕刊には「家族の絆 確かめ」の首見出しと「新婚の夫戦死 遺族代表追悼」の白抜きで遠矢みち子さん(92)の記事が掲載されている。一人息子とのお写真からそのお歳とは思えない。みち子さんは東京のお生まれ。職場で机を並べたご主人は鹿児島出身。上司にも堂々と意見をする姿に惹かれ44年2月に結婚。夫にはすぐに応集令状が届き、出征。同年の末に陸軍鹿児島連隊へ配属され公務から東京に戻りしばらく滞在。夫が連隊に戻って、新たな命を授かったと手紙を書いたけれども返事は来ず、45年3月、乗っていた徴用船が米国の攻撃を受け撃沈。最愛の夫を失った経緯が記されていた。

 その場所が奄美大島の久慈湾と書かれていた。奄美出身の私には恥ずかしながら未知の地名で先ほどネットの地図で確認した。そこは作家の島尾敏雄が駐屯していた加計呂麻島と10数キロくらいの場所だ。島尾(以下、敬称は略させて頂く)は震洋という特攻艇の隊長だった。それを考慮すると米軍は沖縄・奄美を経て本土へ攻め込む作戦の渦中にあり、その足場を探索していたのであろう。アカショウビンの母も祖父と徳之島から大島の名瀬に向かう船で米軍機の攻撃を受け九死に一生を得ている。そのような事も思い出され遠矢さんのご主人の死に思いを馳せたのである。

 戦死公報が届いたのは44年の11月。一人息子の出生届けを出した日だったという。人の一生というのは何と数奇なものなのだろう。孝行息子は大学を出て国家公務員に。ところが、働き始めて数ヵ月後、酔って帰り「父の写真をたたいて泣いた。『なんでお袋と俺を残して死んだ。一緒に酒を飲みたかった』。眠り込んだ勝美さんの姿を観て、みち子さんも涙を流した」と記事は伝えている。

 アカショウビンと遺族、作家、画家は故郷の土地を介して僅かの接点を持つ。その事に68年という時を超えて何事かが共振する。その事が此の世を生きる縁のようなものである。昨夜から今朝にかけてはNHKテレビで報道番組、「あまちゃん」のダイジェスト版を観て過ぎた。「風立ちぬ」の感想を書かねばならないが、少し床に就き就活にも取り組まねばならない。

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2013年8月15日 (木)

鎮魂の日に

 テレビや新聞をあれこれ観読みながら聴くなかで辿り着いたのがシューベルトの作品78・D894というのはアカショウビンにとって一つの偶然だが必然と言ってもよい。リヒテルの1978年ライブ録音である。繰り返し聴いて人という生き物が発する崇高の一つと確信する。このテンポと音は他の凡百のピアニストには発せられないように聴く。ルプーの録音など児戯に等しいと切り捨てても良い。内田光子や田部京子の演奏が、この作品の持つ深みに僅かに近いとも言えるだろうか。此の国の歴史の中で逝った人々を弔う音としてアカショウビンには幾つかの一つとして納得できる。ベートーヴェンでもモーツァルトでもなくシューベルトという早世した男のレクイエムのように聴こえるのはどうしようもない。一期一会という言葉を使っても良い。1楽章のモルト・モデラート・エ・カンタービレは26分18秒という他のピアニストの録音と比べれば異常に長い遅いテンポである。しかし、その必然をリヒテルは音で表現した。それを久しぶりに聴いて言祝ぐのである。

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2013年8月14日 (水)

低脳児

 麻生のアホ発言や安倍政権の現状を見ていると、囲碁棋士の故・藤沢秀行が後進の打った手を罵倒する時に言ったとされる「低脳児!」という用語がとりあえず釣り合っている。歴史を学ばない政治家には、それでも足りないくらいだ。安倍が靖国参拝を止め玉串料を寄進し「形でなく心の問題だ」とコメントした、とマスコミは伝えている。国家のトップとして、そのようなコメントしか発せられないから「低脳児」と罵倒するのだ。〝心〟なんて、欧米・中国が主導する〝国際社会〟の中で通用すると思っているのか。だから、甘ったれのボンボンなのだ。国際社会の中では〝形〟が優先される。それがわからないのは囲碁の世界で大局が見える天才からは〝低脳児〟と一喝されるのだ。

 先日、「終戦のエンペラー」や「少年H」の只券を頂いた高校以来の友人N君と話した時に先の大戦の極東軍事裁判で唯一人、日本の無罪を主張したインドのパール判事のことを思い出した。アカショウビンはパール判事の論告をすべて支持するわけではない。専門家からしても賛否半ばすることは資料を読めば確認できる。しかし先日、来日した米国のオリバー・ストーン監督がコメントで述べたように米国のヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の正当化は米国の歴史に残すべき恥とも欺瞞とも評すべき汚点である。

 ブッシュや安倍、麻生は歴史に残る「低脳児」であることを、この夏に確認しなければならない。それはアカショウビンからすれば実に簡単なことであるが他者に理解できるように説明することは簡単ではない。映画や書物を介して、それを試みなければならない。

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「明日への遺言」再見

 昨夜、テレビで放映していたのを途中から最後まで観させられた。この作品は公開時に観ている。その時の感想を再録させて頂く。この時期というより日本国の現代史を熟考するうえで一つの契機となる作品だと思うからだ。

 本日、話題の「明日への遺言」(2008年 小泉堯史監督)を観てきた。たまたま午後2時の回の終了後に小泉監督と海老名香葉子さんのトークショーも行われ拝聴した。小泉監督の説明によると昭和20年3月12日は名古屋大空襲の日ということ。10日の東京大空襲は別ブログでも話題になり東京の人はじめ知名度は高いが不覚にもアカショウビンは12日が名古屋大空襲であったことは知らなかった。先の記事で言及した小田 実がこだわった大阪空襲も連想された。(以下の文中、出演者俳優の敬称略)

 ネットの各資料を散見すると、米軍は3月9日までの空襲で空爆を一段落し日本へ降伏を勧告したらしい。しかしそれを無視されて東京大空襲を決行。続いて名古屋、大阪はじめ大都市空襲を大規模に行い日本を焼夷弾で徹底的に焼き尽くす作戦に変更する。作戦は更に大艦隊で沖縄戦に臨み鉄の暴風と畏怖させた砲弾で沖縄を現世の地獄に変え、帝国の切り札、戦艦大和の特攻を轟沈で返り討ちにした。そして終に米軍は本土上陸へ向け降伏を勧告しながらヒロシマ・ナガサキに原爆を落とし大日本帝国の息の根を止める。

 作品の冒頭はピカソのゲルニカを映したあと約150時間分の当時のドキュメンタリー映像を小泉監督が数分に厳選した映像が映される。そこには東京大空襲の悲惨な映像から連合軍のベルリン・ハンブルク・ドレスデン大空爆の映像、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下、被爆者の惨澹たる映像が映される。

 映画の主人公は監督が15年前から温めていたという「ながい旅」(角川文庫 大岡昇平著)で描かれたB級戦犯で昭和24年に絞首刑にされた第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官親補の岡田 資中将である。作品は岡田中将が横浜裁判で主張した米軍の無差別爆撃の罪を巡る遣り取りを主題化し、米側と争った岡田中将が指示したとされる、撃墜されたものの生き残ったB29の搭乗米兵37人の略式裁判による斬首刑の非道に対する告発をめぐって検察官と弁護士の熾烈な裁判劇が展開される。一部の箇所の演出は時に甘いと感じざるをえなかったが制作上での制約もあったのだろう。しかし作品全体としては基本的な重厚さを持続して観る者に迫る。この裁判シーンは作品としてもっとも力が入っていて見ごたえがある。セットは恐らく当時の状況を綿密にリサーチし拵えたものだろう。日米の俳優たちも主役の藤田まこと、富司純子はじめの熱演・秀演で場の空気がこちらに伝わってくる臨場感を醸し出した。

 それにしても、この映画の緊張とメッセージがあるとするなら戦争の悲惨さを感情的に描くのでなく、無差別爆撃の違法性を問う日米の主張の渡り合いにおいた事であろう。それはベトナム戦争から先のイラク戦争における米軍のアフガニスタン・イラク空爆にまで持続する米国の戦争の違法性と非道である。

 最後のシーンが見事だった。絞首台に向かう岡田中将に付き添う田島教誨師が話しかける。「では、本当にお別れですね」。それに答える岡田中将の言葉と藤田まことの台詞が素晴らしい。それはぜひ劇場で味わっていただくしか伝えられない。「なーに、本当に、ちょっと隣へ行くようなもんですよ」。武人としての責任を取る人間の言葉の重みと悟りのような境地の軽みが見事だ。田島教誨師は真言宗豊山派の僧侶。宗派は異なれど岡田氏の日蓮宗徒として日蓮譲りの胆の据わり方は感嘆するしかない。幽明を分かつ時の会話とは、かくありたいものだとアカショウビンは賛嘆する。岡田中将の法華経信仰への参入は顕本法華宗の僧侶たちとの出会らしい。裁判を「法戦」と見做した岡田中将は、日蓮の幕府への諫言やライバル宗派への激烈な論戦のひそみに習った趣がある。この詳細はネットのhttp://www3.cnet-ta.ne.jp/o/otowatid/p4c3.htmlで知った。

 そこでアカショウビンは、戦争の罪、またいわゆる罪とは何か?と、それは欧米キリスト教文化の圏域の内での問いが我々のような東洋の異教徒には、どのように関わり、共振されるだろうか?という問いを立て考究してみる価値があると思うのである。それは、このブログを始めた頃の2005年6月に読み感想を書いた、ヤスパースが「戦争の罪を問う」(平凡社ライブラリー1998年)で提示した四つの罪に立ち戻って考えてみることでもある。原題は「Die Schuldfrage」。同書の最初の翻訳・出版は「責罪論」(1965年3月 理想社)である。

 ①刑法上の罪②政治上の罪③道徳上の罪④形而上的な罪

 この著作は戦後1945年から1946年の冬学期に行った講義を記録・出版したものだ。最初に「ドイツにおける精神的状況に関する講義の序説」としてヤスパースが戦後の「大学の現状、新たな自由」について話したものである。「(前略)われわれは第二にドイツ人としての問題への道を探求する。われわれはわれわれの現実的な立場をわれわれの精神的な立場の源泉としてはっきり意識にのぼせ、ナチズムの特徴づけを行って、さていかにしてナチズムが可能であったか、いかにして事態がナチズムまで進展したかを問い、最後に罪の問題を論ずる」(同書p39)と講義の論述の骨組みを説明する。そこでヤスパースは「罪の問題」の箇所に注釈を加え、「この最後の、罪の問題に関する節だけを、内容に推敲を加え、講義の形式を取り除いて以下に発表することにした」(p41)と書いた。それがヤスパースの思索・思考・追求する「罪の問題」だ。

 アカショウビンには解題を書かれている福井一光氏のヤスパースとハイデガーの確執の経緯の説明が興味深かったが、それはさておく。

 この書物には戦後ドイツに対する哲学者の真摯な論考が読み取られる。別ブログでは高橋哲哉氏の「靖国問題」やV・E・フランクルの「夜と霧」の書評コミュで若い人たちも参加しアカショウビンも感想を書き込み思索を重ねている。その成果も含めてヤスパースの提示した問いについて更に考察していきたいと思う。

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2013年8月13日 (火)

小林秀雄の語り

  かつて別ブログに書いた記事から小林秀雄の講演集について再録する。「信じることと考えること」と題された昭和49年8月5日の鹿児島県霧島でのものだ。柳田国男の「山の人生」の序文を引用して話す、二人の子供を殺した炭焼きの囚人の話にはあらためて慄然とする。文章でなく小林秀雄のナマの言葉として聞くとさらに。

 柳田は当時の自然主義の作家たちが他愛ない恋愛小説の如きものを書いて得意になっているのをみて彼らに「柳田さんは、何をしているんだ諸君は、と言いたかったんだと思うよ」と小林は言う。これが人生なんだ、自然主義文学なんか単なる言葉じゃないか、と小林は激し吐き棄てる。聴衆の殆どの若者たち(主催は社団法人国民文化研究会、夏季学生合宿教室)に小林秀雄の語気は刺激が強すぎるだろう。しかし小林の率直は恐らく年齢を超えて彼らにその先の人生を通じても伝わるだろうとも思える。

 この悲惨な事件を小林は違ったところから見れば「こんな健全な話はない」と語るのだ。子供たちは、おとっつぁんが可哀そうでしかたがなかったんですよ、と。炭を焼きそれを麓の村で売っても米一合にしかならない極貧のなかで、こんなにひもじい思いを自分達がしていても死ねば、おとっつぁんは助かるだろう、と子は父親の持つ(本質的な)不憫さを見抜いているのだ、と。「そういう精神の力でだね、(子供たちは)鉈を研いだんでしょ」。

 この話の底に小林は、言葉にとらわれない心理学なんぞにとらわれない本当の人間の魂に感動すると強く語る。その子供達の魂がどこかにいる、僕がそういう話に感動すれば、それはどこかにいるな、とも。

 インテリゲンチャたちの言葉が多すぎる。柳田のそういう話のところまで降りていかないと日本の精神の荒廃は治まらない、とも。それは34年が過ぎた現在なおさらそのように見える。

 宣長が異常なくらいに物知りと言われた人々を嫌悪した話を語りながら小林はインテリゲンチャという連中のいかがわしさを吐き棄てる。ジャーナリズムの言葉というのはインテリの言葉しか載っていない、とも。あんなものは観念に過ぎず、日本を愛する会などと徒党を組んで日本を愛せるわけがない。日本は伝統の中で国民の心の中にちゃんとある、と。ペンクラブも一蹴だ。わたしは一人で書いて生きてきた。左翼も右翼もイデオロギーでありそれを小林は厳しく拒絶する。それは実に清々しい言葉だ。

 多くの若い聴衆からすると彼らの先輩格にも思える男が「人間は考える葦だ」という言葉があるけれども、どうもそうではないように思うが、と小林に質問する。それに小林は宣長を通して答える。

 宣長は「かんがえる」という言葉を分析し、か、は意味がなく、「んがえる」を「むかえる」と分解した。「む」は身であり、がえるは「交う」であり、自分が身をもって相手と交わる、それが宣長が説いた考えることの意味だ、と小林は説明する。これは何と面白い分析と説明だろう。だから宣長によると考えるという意味は「付き合う」ということになるのですよ、と小林秀雄は話すのである。それは対象から距離を置いて観察するという意味では決してない。そこから「信ずることと考えること」という講演のテーマへと話をゆっくり巧まず接近させる。

  最近は読書の意欲にも欠けるアカショウビンの日常だが、小林の言葉を聴いていると人間が読み、考えるという行為のシガラミと自由も想起させられる。繰り返し玩味し、怠惰な日常に活を入れていきたい。

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2013年8月11日 (日)

浜田知明という版画家

 何とも凄い作品だ。NHKの日曜美術館で浜田知明氏の作品を紹介している。これは素人が言うのはおこがましいが、欧米を含めた世界な水準と確信する。浜田氏が熊本出身というのも熊本という土地の磁場を感じる。「初年兵哀歌」というタイトルとは異次元の作品が記録されている。そこで初年兵は〝芋虫〟である。自殺することばかり考えていたと言う言葉は重い。自殺した兵士の死に対する言葉も作品に定着されている。それはムンクの作品より強烈だ。それは恐らくムンクを超えている。中国戦線での経験を基に表された作品も現在の凡百の芸術家の作品と隔絶している。熊本の美術館では345点の作品を年に4回展示を変えて公開しているという。氏が若い頃にブラックやモジリアーニやゴヤの版画に影響されているという話も頷ける。ゴヤの晩年の版画に拮抗する深みと高みに到達していると確信する。銅版画にこだわる理由も納得する。30余年前の番組も振り返られる。それは画家という存在の貴重を伝えて余りある。現代美術と一括される以上の美術の到達といってもよい。兵士として経験した苛酷な体験が後にこのような作品を生み出す。人間の〝矛盾〟という言葉では表しきれない創造に立ち止まり愚想を重ねる力を得た。

 水俣に棲み続けている石牟礼道子さんや渡辺京二氏の作品を介すると熊本という風土の独特の磁場があるのではないだろうか。西南戦争の田原坂の戦いなど明治維新以来の熊本の磁場があるように思えるのだ。

 浜田(以下、敬称は略させて頂く)の核戦争に対する風刺作品も傑出している。永遠の人間性を描かねばならないという信念も非人間的な軍隊での経験による洞察によるものだろう。後に初めて試みた彫刻作品も見事というしかない。それは人間と生き物が、どのような境地に到達できるものなのかという作品群だ。何とも凄い美術家を知り得た幸いを言祝ぎたい。「晩年」という老婆の彫刻も是非とも実物に対面したい。2012年の作品も、ただただ驚愕するばかりだ。このような作品が戦後に残されていることは世界に伝えなければならないだろう。

 先日は久しぶりに「朝まで討論」という番組を見た。それなりに面白かったが口汚く言えば、荒れた中学か高校の学級委員会レベルである。国民の民度というものがある。テレビ番組で見える世界は或る現実の本質を伝える。果たして日本という国のレベルがどれほどのものかは政治家を見ればわかる。政治は昔風に言えば2~3等国である。文化は芸術作品に現れる。浜田の作品を見れば世界に誇れるトップレベルと確信する。95歳で矍鑠としておられる。是非とも新藤兼人監督の100歳を越えて作品を残して頂きたい存在だ。アカショウビンがあの世に行く前に一度、熊本まで赴き作品に正面し冥土の土産にしたい、と切に思う。

 番組はその後、オランダ・ハーグ派の作品を紹介した。それも見事。此の世を生きる楽しみは確実にある。退社で、へたってはいられない。

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2013年8月 9日 (金)

懐かしい旋律

 NHKテレビで2006年に放映した加古隆(以下、敬称は略させて頂く)の特集番組を再放送している。今や世界的な作曲家・演奏家である。映画好きなアカショウビンは映画の最後のクレジットで目にすることも多く、加古隆の名はいつの間にか脳裏に刻み込まれていた。東京芸大を卒業しフランスに留学。1960年代後半のパリの学生運動を身をもって経験している。当時は、フリ・ージャズのピアニストとして高く評価された、という話も箔とか勲章のようなものだろうが、箔は箔、勲章は勲章。それが何だ、と言っても、世間でそれはそれなりの価値を持つ。

 学生たちの間でフリー・ジャズがもて囃されたのは日本も同じだった。というよりフランスやアメリカの音楽事情が日本にもいち早く届き影響されたということだろう。「阿弥陀堂だより」(2002年)、「博士の愛した数式」(2006年)の小泉堯史監督作品の音楽も加古ということで、この佳作の制作に加古が貢献していることを再認した。小泉監督のコメントも、監督の音楽に対する繊細な感受性と、加古がそれに応えた成果であることを承知する。

 加古は海辺で父親への思いを語る。父へのオマージュの作品が流れる。何とも情緒纏綿とした甘い旋律である。還暦を前にし、多くの西洋かぶれが辿った日本回帰、と揶揄もされるだろう。紀伊の熊野古道にインスパイアされた作品の創作過程が加古によって語られる。その作品も演奏された。それはクレーの作品に刺激されて作った作品とはまるで異なる。それを陳腐な「日本回帰」と一蹴することも可能だ。しかし、それで済まないものがある。それこそが論じるに足るものと思う。それを愚想すれば、精神の基底とか魂とか心とかの文字で表出できるだろう。それでも掬い取れない。しかし、それを云い当てねば、私たちが此の世に棲む意味は納得できない。もちろん、そんなことが出来る筈などない、という諦めと達観の声も聞こえなくはない。しかし、それを試みるのが娑婆の楽しみでもある。

 ピアノの音は木の響き、と加古は話す。その言や好し。彼が弾くピアノがスタインウェイ&サンズでなくベーゼンドルファーであることも何事かを伝えている。

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2013年8月 6日 (火)

鬱々たる日常と書評の拾い読み

 先日、都内の混雑する地下鉄の駅で改札を通る時に後ろから「邪魔くさいんだよ」と言う声に振り向いて「それはオレの事か。なめるんじゃないぞ、この野郎」と毒づいてやった。相手は若い小太りの女だった。こちらの剣幕に怯み何事か呟いたが、混雑もあり、それで終わった。相手も相手だが、こちらもこちら。女性に、この野郎はない。しかし、たとえば昔の言い方なら「この、すべた」とかなるのだろうが、今や死語であろう。と思いつつ辞書を引くと、「(前略)醜い女性の蔑称。特に娼婦の称」(新明解国語辞典 第4版 三省堂 1989年)とある。もし、そのように罵って、相手が意味を理解していたら逆上されるだろうが、「キモい」などという、すべたとよい勝負と思われる言葉が少女達の間で横行するのを聞くとわが身を振り返り、生き生きとした日本語を読みたくなるのである。

 話が横道に逸れるが、元の会社に復職して8月末で3年になる。最初の1年は生活も多少は楽になり業界の人たちとも旧交を温め営業活動も順調で比較的充実していた。それが2年目は前年対比で少しずつ苦戦する。しかし経営者の人事にも不満があった。新人を採用し試用期間の3ヶ月目に不採用という酷なやり方に。昨年9月ころに社長から理不尽な物言いをされて、辞意を仄めかした。以来、同じ様な採用人事が繰り返された。そこで結局、この8月で退社することになった。良い節目、区切りである。此の会社は殆ど何も社員教育をしてこなかった会社である。言ってみれば、その間は消耗戦であったとも総括できる。

 そのせいでもないが昨年からここまで土日は殆どアルコール浸りで夕方に一食食べればよいほうで二日間何も食べないことも多い。時には月曜日に、そのせいで仕事を休んだこともある。同僚の上司(というのも変だが)会社人事でそういうことになった。その上司は前の会社でもそうだったと思われるが経営者には陰では不満も洩らすが電話では平身低頭である。我々の世代のサラリーマン根性が身に染み付いた男である。それは恐らく平均的な給料生活者とも言える。アカショウビンの勤務状況を小まめに社長に報告する。それを聞いて社長は「精神状態がおかしいのじゃない?」とまで口走った。そんな事も重なり、今年12月の定年を待たずに退職時期を早めるように督促され、それは、ちょうど節目時だと合点し、8月一杯で辞める事にした。会社都合でかまわないと言うので一応クビである。有給休暇を取り8日いっぱいで退社。以後は、ハローワーク通いだ。若い人ならネットだろうが、定年寸前のアカショウビンはネットには出てこない企業もあるというハローワークと人脈というほどではないが飲み友達のような知人のツテを辿る古典的な手法で50の手習いならぬ還暦前の就活に臨む。とりあえず友人達にもメールを送ったが返事は無しの礫。皆さん、ご自分の生活で汲々されているのであろう。しかし電話くらいかけてきてもよいではないか、と愚痴りたくもなる。

 それはともかく、日本語である。毎日新聞の書評欄は時に精読すると生き生きとした日本語に出会える。4日の記事に幾つか見事な書評があった。村田喜代子さんの『「ゆうじょこう』を持田叙子(のぶこ)さんが評しておられる。「村田喜代子は、昔ばなしや神話、伝説のこころの影を今の私たちのこころの中に溶かし入れ、生き死にの歓び(よろこび)や恐れをあざやかに見きわめるすぐれた物語作者である」という書き出しの日本語に一挙に惹き入れられる。本日は相変わらずの土日の不摂生がたたり体調が悪く夕食を少し贅沢しながら書評欄に集中した。評者は作家が雑誌に連載しはじめた作品を引き、その第1話が圧倒的な「火の小説」と述べ、「原爆が投下され、炎の燃える広島をからくも逃れ、不義の男女が火と製鉄の町、北九州八幡で戦後を生き直す」内容であることを伝える。「善悪を超えた偶然に左右され蟻(あり)のように地を這(は)い回る私たちの生の不条理が雄渾(ゆうこん)に描かれる」と書く。雄渾という形容が何とも作品の文章を評して生き生きとしているではないか。続けて「人間の運命をわしづかみにする炎の巨神兵のような原爆にはどこか、人の手に負えない巨大な原子炉のイメージも重なる」と。『ゆうじょこう』は以前の作品が火の小説とするなら、「本作は新たにいのちの源の海深くに潜ろうとする野心的な水の小説」と評する。アカショウビンも楽しんでいるNHKテレビの「あまちゃん」では描かれない悲惨な歴史ももつ海女の世界を「一人の少女の心象を通し、南国の光まばゆい神話的な海を幻視する」作品は読まなければ話にならないが、この書評だけでも作品の本質が抉られているようで感嘆する。

 また『民族衣装を着なかったアイヌ』(瀧口夕美著)を書評する池澤夏樹氏の紹介も見事だ。冒頭の「我々が日本語にできなかった西欧語の一つに『アイデンティティー』がある。(改行)自分は何者であるかということを社会的なフレームの中で規定する。他者に対する名乗りだが、勤務先や肩書きでなくもっと個的なもの。」という文章で読むものを、持田さんの書評と同様に読む者を、ぐっと惹き込む。続けて「これに対応する概念が日本の文化の中になかった。(改行)そんなことを考える必要がなかったのだ。我々はみな均質の日本社会に埋め込まれていたから上下左右の位置関係を記した名刺一枚で済んできた。それ以上のことは考えなかった」という評言は短い言葉の中に凝縮された日本人論が読み取れる。「1971年生まれのアイヌの女性が惑いながら自分の立ち位置を確定する」物語である同書の中からの引用が彼女の思いを抉っている。「問題は、観光=興味の対象が、見られるほうの許容限度を超すことにもなることだ」。子供の時の体験を踏まえて言う彼女の言葉に評者は「博物館の展示品と違って人は生きて生活しているのだから」と書く。そのような言葉では表しきれない生活体験があるだろうことは読む者の想像力に訴えかける事である。評者は「アイデンティティーの曖昧さは過去を参照することで解決できる。過去は揺ぎないから、起こってしまったことだから信頼できる」と述べ、「アイヌ民族というものと、現代のアイヌである自分自身の距離がずっとつかめずにいた」という著者は間違いなくそれをつかんだ、と書評を締め括る。しかしアカショウビンは「過去は揺るぎない~」には納得しない。「起こってしまったこと」に対する理解と解釈の違いが、先の大戦で大論争となった「南京大虐殺」や沖縄戦の見方の違いが裁判にまでなった大江健三郎氏の『沖縄ノート』の事実があり、それは「過去を参照することで解決のできない問題もあることを示唆している。裁判で法的に決着はついても負けた側は決して納得はしまい。日常の事実はもちろん歴史事実は多面的でもあるのだ。

 この日の書評で最初に読み刺激されたのが『狂言兄弟―千作・千之丞の八十七年』(茂山千作・千之丞著、宮辻政夫編・毎日新聞社)だ。茂山千作さんは5月に亡くなられた。現在まで、それまで能に比べて低い評価しかされなかった世界を能と同等の或いはそれ以上の評価にまで高めた二人の名人の生涯と時代背景まで加えた貴重な書物になっている事が狂言に詳しいようである評者の渡辺保氏によって簡潔に生き生きと紹介されている。

 「舞台へ出ただけで周囲におかしさ、ゆたかさが漂う狂言師は、私が見た限り先に善作弥五郎、あとに茂山千作だけであった。独特な角張った大きな顔、それでいて柔軟な恰幅。この人が出てくると舞台の空気が一変するから不思議であった」という評言にアカショウビンも同意する。茂山千作という狂言師は正にそのような名人だったと思う。そうか、この本が出版された直後に亡くなられたのだ。狂言が以前のように能の付け足しくらいの位置付けから現在のように狂言だけの催しもあるというところまで普及したのは「西に茂山兄弟の努力があり、東に野村万蔵一家の働きがあったからである。狂言独立。これは狂言何百年の歴史のなかでも画期的な出来事である」。その通りであろう。私たちは、そのような同時代を生きているのでもある。評者は千作の芸談を少し紹介している。「狂言は型をきっちりせんと、役の人物にはなれませんな。基本の型をしっかり身に付けたうえで、ここには型を大きくしようとか、台詞(せりふ)回しとか工夫する」。たまたまテレビで阿波踊りの模様を作品に組み込んだ「眉山」という映画をやっている。これはかつて見た。「あまちゃん」で好演している宮本信子という女優の価値がここでも改めて確認できる。しかし物語以上に見事なのが徳島の阿波踊りが型を身に付けた踊り手たちの何とも見事な祭りであることを納得する。高級な日本舞踊でなくとも民衆の踊りもやはり型なのだ。時に型を大きくするとかアドリブに玄妙で含蓄ある変化が付けられる。それが民衆の夏祭りとして洗練され引き継がれている。何と先日『終戦のエンペラー』で見事な演技を残し逝った夏八木勲も出演しているではないか。この作品を生かしているのは徳島の阿波踊りを克明に描いているところにもある。

 書評には『少年口伝隊一九四五』という井上ひさしの作品も紹介されている。「1945年の8月6日の原爆炸裂から9月17日の枕崎台風の襲来まで、ヒロシマを正面から描いた朗読である」。(漢数字は洋数字に換えた)。「一つの街の惨状を、たじろがず、正確無比といわざるを得ない言葉で描破するなかから、登場人物が現れる。その通り。『父と暮せば』と対をなす、必読の書である」と評する。それは読まねばなるまい。幸い失業で暫く時間はある。

 この日の「時代の風」というコラムでは筆者(あえて名前は書かない。「誰が」より「何が」書かれていることのほうが大事だという場合がある事をお察し頂きたい)は『南州翁遺訓』から引用する。「命も入らず、名も入らず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして、国家の大業は成しえられぬなり・・・」。それは先の参議院選挙の大勝で笑いが止まらない安倍や山口の面を見ると奴らにこそ聞かせてやりたい日本語である。そう、そう。此の日の書評欄には齋藤孝氏推薦の声に出して読みたい日本語として露伴の『五重塔』が引かれている。江戸言葉は地方出身者には幾らかの違和感があるが齋藤氏は東京人なのであろう、露伴の文章に格別の刺激があるものと思われる。登場人物の親方源太を描いた箇所である。「腹に十分(じゅうぶ)の強みを抱(いだ)きて、背をも屈(ま)げねば肩をも歪めず、すっきり端然(しゃん)と構へたる風姿(ようかい)と云(い)ひ、面貌(きりょう)といひ水際立つたる男振り」。また福田恆存訳の『マクベス』からマクベス夫人のお言葉。「やりそこなう?勇気をしぼりだすのです。やりそこなうものですか」。王を暗殺したマクベスは「ああ、おれの心のなかを、さそりが一杯はいずりまわる!」と引用し「人の生涯は動き回る影にすぎぬ」という呟きも。日常の倦怠は、このような日本語を読んで活力を取り戻せればよいと思うが余りに疲弊した心身には、それでも足りない何かが必要だ。それはハイデガーの言葉を借りれば「存在へと身を開き、そこへ出で立つありかたにおいて耐え抜く」ことだが、それを我が身に於いて実践する事は禅者の悟りよりも難しいことを肝に命じなければならぬ。

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2013年8月 3日 (土)

在日コリアンの戦後

 深夜にNHKで在日コリアンの戦後の生き様を放送している。それは異国での差別と同化の苛烈な戦いの日々である。アカショウビンは母の介護と見とりで約1年半大阪に棲んだ。東淀川区のマンションだ。それまで母と弟が住んでいたアパートから引っ越させ移り住んだ。就活はままならず移り住んで4ヶ月後に得た職場は工事現場の警備だった。それは或る底辺労働だった。それはそれで仕事があり日当は安くても就職できたということだった。しかし雨が降れば仕事がない。それでは生活できる筈もない。埼玉からの引っ越しと母の介護で貯金はすべて使い果たした。あとは友人からの借金で凌いだ。職場はその後、葬儀場の夜勤、大手百貨店のレストラン街の警備、地下駐車場の管理人と変わった。その間に大阪在住の高校の同窓生や東京や沖縄から来た友人たちとも久しぶりで会った。その詳細はさておく。しかし例えば警備会社の本社があった堺市の社会の背景にあるものの一端は聴き取った。そこは被差別部落の人々が住むマンションがあり、そこは格安で入居できる話などだ。

 NHKの番組では猪飼野に集まった在日コリアンの人々の体験が語られている。「猪飼野」という土地の特殊性は大阪に棲んでいた頃も何となく感じていた。番組では証言として語りの中で伝わる。日本名と母国名の違いに彼らは敏感で繊細な感情に領される。アカショウビンの高校にも在日コリアンがいた。彼は在学当時は日本名を名乗っていた。卒業後にアカショウビンが通った大学の図書館で偶然彼に会った。その時に彼は実は在日コリアンで今は母国名を名のっていると話した事に驚き感銘した。

 アカショウビンが戦後在日コリアンの現実を切り取った映画を見たのは「キューポラのある街」だった。主演の吉永小百合の友達の在日コリアンの姿を通して、この作品の中には戦後の社会が鋭く描き込まれている。あの作品が繰り返し観るに耐えるのは少女の成長物語と共に戦後社会の矛盾をしっかり提示しているところにある。

 アカショウビンは短い大阪在住期に在日コリアンの人々と交流することはまるでなかった。しかし、在日コリアンの戦後は現在の対韓国、対中国の問題と深く関わる。

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2013年8月 2日 (金)

麻生のナチス発言への考察のための幾つかの注釈

 麻生のアホ発言の背景を理解するうえで戦前の学究たちの中で頭角を現わし始めた若き丸山眞男の論文の注釈を引いて当時のドイツの状況について当時の日本の状況とも反照しながら考察していきたい。また戦後ヨーロッパを訪れ思想・哲学状況について考察した加藤周一の論考も再読しながら。加藤はハイデッガーの戦後の論考も読み解きヒットラニズムとナチズムの違いにも目配りしているからだ。

 >授権法とはナチス政権獲得後最初のライヒ議会を通過した、国民革命の中核をなす法律で、これによって政府は固有の――議会の同意を要せざる――立法権を得た。しかもこの立法手続きによって通常の法律のみでなく、憲法をも改変しうるのであるから、いわゆるナチス独裁は是によって、法律的形式を身につけたわけである。この授権法がワィマール憲法の定める憲法改正手続きに従って成立したことが、ナチス革命の合法性に関する大きな問題を提供している。授権法とは通称で正確には「国民及ビ国家ノ艱難排除ノタメノ法律」といふ。

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