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2013年7月30日 (火)

或るベートーヴェンの演奏

 朝の音楽番組でベートーヴェンの「ワルトシュタイン」を聴いている。高齢の女性ピアニストである。最初はブゾーニ編曲のバッハの「シャコンヌ」。アカショウビンにとってバッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」は、若いころ受験や進学で懊悩していた時に啓示の如き音楽として心底で響いた。同じくベートーヴェンも中学生のころ西洋音楽への扉として交響曲第5番が水先案内となった。

 女流ピアニストの「ワルトシュタイン」を聴いていると、かつて吉田秀和氏がヨーロッパを周遊されるなかでエリー・ナイを聴いた時の一文を思い出す。その時のリサイタルが、まるで巫女の周囲に集う神事のような演奏会だったという評語だ。アカショウビンは、たまたまエリー・ナイの晩年の録音を聴いて驚愕した。これは幾多のベートーヴェン弾きの中でも傑出したピアニストだと確信したからである。ナイは聞けばヒトラーのナチへの同調者だった。戦後もその節を曲げなかったというから、それが影響して演奏会を制限されたのかもしれない。吉田さんも、そういった情報を聞いて演奏会に接したかもれない。もちろん音楽批評家・吉田秀和が、そのような話に左右されて演奏を聴きとるうえで邪念が入ることはなかったと思うが。

 優れたベートーヴェン弾きと政治的立場は微妙だが割り切って別の次元の事として立て分けてもよいとアカショウビンは思う。音楽家も一人の市民、国民であれば政治的立場は自由だ。それと彼や彼女が奏でる音楽の価値は区別すべきとアカショウビンは考える。

 女流ピアニストの運指は決して軽快で滑らかではない。しかし、ベートーヴェンの思索に共振する如きパッセージは、あまたの演奏家に共通する響きを醸しだす。それはベートーヴェンの音楽の本質に通底していると思われた。

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コメント

晩年の録音によるベートーベンのソナタではアラウの熱情も良かった気が?
もう随分と前にエアチェックして聴いて居りたが、そのテープも何処へ行ったか。
演奏は、悪く言えばボロボロ指は縺れるしミスタッチも有ったが、聴き進むうち、そんな事は どうでも良くなって来るから不思議?(笑)
若い人のバリバリな演奏もいぃけど、老いたる人の演奏は何物にも得がたいですね。背おって居る物が違うと言うか?
そうは言う物の最近はオーディオプレーヤーで聴けて無いなぁ。

投稿: snokey | 2013年7月30日 (火) 午後 10時58分

 snokeyさん コメントありがとうございます。アラウは幾つか聴きましたが好かったですね。

 >悪く言えばボロボロ指は縺れるしミスタッチも有ったが、聴き進むうち、そんな事は どうでも良くなって来るから不思議?

 ★まったく同意です。長寿の音楽家の分け入る境地とは、そういうものと思います。エリー・ナイにしても打鍵の強さと金属的な響きは好みの分かれるところでしょう。しかしベートーヴェンのソナタの構造への明確な理解と感情の吐露は聴く者の精神を激しく挑発します。

 >若い人のバリバリな演奏もいぃけど、老いたる人の演奏は何物にも得がたいですね。背おって居る物が違うと言うか?

 ★本当に。音楽は技術もさることながら一定のレベルまでいけば精神と心の領域に踏み込むことを痛感します。

 >そうは言う物の最近はオーディオプレーヤーで聴けて無いなぁ。

 ★私も最近の日常の消耗戦に倦み疲れて聴けていません。たまにはレコードを聴いてスクラッチ・ノイズとともに昔の名演に集中したいと思うのですが。

投稿: アカショウビン | 2013年7月31日 (水) 午前 05時34分

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