« 夏を往く | トップページ | N君へ »

2013年7月25日 (木)

散華の世代から

 吉田満氏は1979年9月17日に亡くなられた。事故で片目を失明されたという話は何かの著作か雑誌の記事で読んだが2度の引っ越しで資料はない。存命であれば90歳であられる。

 先日、業界の先達の葬儀で芝の増上寺へ赴いた。92歳のご長寿であられた。業界の主だった方々が参列された。末席を汚した。儀式的な告別式より通夜に行きたかった。存命のおりは、ご高齢であり親しくお話をする機会はなかった。しかし弔辞で「上海帰りのリル」が好きだったということを知り、一度聴きたかった。アカショウビンのかつてのスナックでの必須レパートリーだったからである。

 上海に行ったのは10数年前だ。仕事で行った。建築ブームで活気があった。現在の〝ゆりかもめ〟から眺めるトウキョウの景色を少し曇らせたような感じだったろうか。そこから郊外の工場へ。途中の食事は簡素なもの。日本でも諸外国でも大都市の周辺はそんなものだろう。

 業界のライバル会社の先輩が定年で長年勤めた会社を辞め、ご自分と御父上の手帳を記録した本を作られた。南京攻略戦の従軍日記だった。全部でなく一部は欠落していた。しかし日本軍がどのようにして行軍し南京に入城したかの貴重な資料だった。国史には記載されない事実がある。その好い例と思えた。先輩氏とはライバル会社を辞めて別のライバル会社に移ったあと我が社で暫く共に仕事をした。しかし、或る日、救急車で入院。事なきを得た。しかし、仕事には影響が出た。経営者とも相談し辞めて頂いた。或る意味で天衣無縫の御性格だったから、特に悪気も持たれず、その後も何度かお会いし近況は聞いている。

 話が逸れた。上海である。いや、「散華の世代から」か。それはともかく、「散華」という言葉は今や死語であろう。先日、高橋たか子さんが亡くなられた。80歳だったろうか。ご亭主の高橋和巳は39歳で亡くなった。京都大学の同窓だった筈だ。大学紛争の渦中から収束に至る頃だった。アカショウビンは高橋和巳の小説で「散華」という言葉を知った。それはさておく。吉田満さんの著作と高橋の「散華」は底で響きあっているだろう。39年の人生と56年の人生の中身は天地の如く違うだろう。しかし心身の底で響き合うものが在り、有る。そこに死者達の魂魄が音叉のように共振する時が有るであろうか。

 特攻の戦艦の中で奮闘し散った兵士が背負ったものが何か。それが戦後を生きた吉田満という男の生涯の十字架だったろう。仏教徒から言わせれば業の如きものである。我が人生の時は既に吉田さんの持ち時間を超えている。生き過ぎたの感がなくもない。そろそろ収束に向けて準備を整えなければならない。

|

« 夏を往く | トップページ | N君へ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/57864058

この記事へのトラックバック一覧です: 散華の世代から:

« 夏を往く | トップページ | N君へ »