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2013年7月20日 (土)

歌人の鎮魂

 毎日新聞7月18日(木)夕刊3版の特集ワイドは「力の限り鎮魂を詠む」の主見出しで歌人の岡野弘彦さん(89)に記者がインタビューした様子をまとめた聞き書きの文章だ。岡野さん(以下、敬称は略させて頂く)の戦中の体験談が痛烈だ。1945年4月に陸軍の一兵士として体験した4月13日夜の「城北大空襲」の回想である。B29が落とした焼夷弾で約20万戸が焼け2459人が犠牲になった事実は初めて知った。「ブスッ、ブスッと列車の屋根に焼夷弾が刺さり、網棚の毛布に火が付いて瞬く間に広がった」という記憶の風景が生々しい。

 翌朝から6日間、2人1組で遺体を空き地に運んだと当時を回想されている。「焼け落ちた民家、防空壕、列車の中から、人も軍馬も。激しく吐いた。「もう桜を美しいとは思えない。思うまい」と胸に誓ったと書かれている。その時を詠んだ短歌が次の作品である。

 幹焦げし桜木の下 つぎつぎに 友のむくろをならべゆきたり

 それから68年が過ぎ、今年4月、インターネット愛好家を集めたイベントで安倍晋三首相(58)は戦車に乗り、観衆の声援に手を挙げて応えた、と記者は書いている。それにコメントを求めたところ岡野は答えず、全く違う話を始めたそうだ。

 「靖国神社がA級戦犯を合祀した後、昭和天皇も今の天皇陛下も行っておられませんね。あるとき、昭和天皇は後世に禍根を残すと言われた」

 岡野と記者は東京・上野公園の並木道を歩きながら会話したようだ。その後、会話が熱を帯びてきたのだろう。都内のホテルに場所を移し〝インタビュー〟が開始されたようである。記者は昭和天皇がA級戦犯の合祀に強い不快感をもらしたという逸話を引き岡野の回答を求めた。岡野は次のように語った。

 「昭和天皇は英明な方です。政治家は昭和天皇のお言葉を考えてみないと。今日、合祀の禍根がまさしく対外的な形で起こっているわけですから」。御用掛として24年間、天皇陛下を身近に知る岡野さんの言葉は重い、と記者は記す。

 記事の途中を少し割愛させて頂きアカショウビンがこの記事でもっとも関心をそそられた箇所を引く。

 中曽根康弘首相(当時)が1985年に靖国神社を公式参拝し翌年は「近隣諸国の批判」を理由に中止した。当時、岡野は後藤田正晴官房長官(当時)に呼ばれて、A級戦犯合祀について意見を聞かれたそうだ。

 「私が師事した折口信夫の学説『未完成霊』について話しました。日本には不遇の死を遂げた未完成霊(みたま)をまつる伝統があった。靖国神社では官軍だけをまつっているが、敵味方なく広くまつってはどうか、というのが折口の考えでした。しかし聞き終わった後藤田さんは『岡野さん、それを実現するには僕が殺されなければならない』と。あれほど優秀な政治家でも踏み切れなかったのです」

 人ほろび 花ほろびゆく 空襲の阿鼻の地獄を 生き残りたり

 この歌も昨年出版した歌集「美しく愛(かな)しき日本」に収められているという。

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