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2013年7月 8日 (月)

胃カメラ初体験と秀作映画

 最近むかしほどオーディオ装置で「音楽」に集中して聴くことが少なくなった。単なる老化か何か悪い病気の兆候のせいかもしれない。たまたま、というわけでもないが本日は会社の定期健診日。最近、飲みすぎなのか体調がよろしくない。食欲がない、長い睡眠がとれない。それを医者から処方された睡眠導入剤(昔は睡眠薬と称していたのではなかったか)はあまり使いたくないのでアカショウビンはアルコール頼りである。今回の検査は胃の具合が悪いので胃カメラなるものを生まれて初めて試みた。正確には胃の内視鏡検査である。貧困サラリーマンにはオプションで1万円近い出資はきつい。しかし手遅れになり高額医療になるよりマシと腹を括った次第。終了後、一応概要は説明してくれたが正確には血液検査と併せて2週間後という。何やら不安なご託宣ではないか。しかし俎板の上の鯉(古い物言いで恐縮)で、いつでもお迎えケッコウと居直るのが貧困中高年の意地というものである。覚悟というものである。

 話が逸れた。音楽である。実は昨日、衝動的に、それは本当に衝動的というしかない。新聞記事か何かで「25年目の弦楽四重奏」(2012年 ヤーロン・ジルバーマン監督)という映画を観てきた。本当なら仕事の残りを仕上げるため社に出なければならなかった。しかし性というものかフラフラとネットで上映館を探し劇場を訪れた。物語がベートーヴェン後期の弦楽四重奏作品131を扱ったものという宣伝文句に惹かれたせいもある。二日酔いを覚ます狙いもあった。期待はしなかった。久しぶりで作品131を聴くだけでもよいと思ったのだ。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏作品は多くのファンから神格化されていると言ってもよい。演奏家にとっても生半可に演奏できる作品ではないだろう。それも物語の中ではそれなりによく伝えていた。原作があるかどうか知らない。脚本も好く練ってあるのがわかる。少し練りすぎの不満もなくはないがそれはさておく。音楽の使い方も周到で音響効果も上々。アカショウビンには秀作と言える作品に仕上がっている。クリストファー・ウォーケンという俳優は映画ファンなら「ディア・ハンター」(1978年 マイケル・チミノ監督)という作品を想い起こすだろう。その俳優と久しぶりにスクリーンで出会ったことにもよる。人は老いる。同様に俳優も老いる。しかし人には味が出る。あの若き俳優が年老いて渋い好い演技をする。そこにひとつ感銘した。けれども映像と台詞、俳優たち、スタッフたちを動かしているのは作品131である。それがすばらしかった。音楽の力と言えば伝えたいことの本質を摑まえ損なってしまいそうだ。昨夜は仕事を終えて手持ちのCDを聴いた。きょうの検査もある。しかしアルコールなしでは眠られない。明け方まで横になっても熟睡はできなかった。

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