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2013年6月 3日 (月)

忘却と無関心

 米軍基地の移転やオスプレイ配備で関心が高まっているにも関わらず多くの日本人が沖縄の過去と現在に無関心である以上に奄美が日本国に〝復帰〟して60年が経過したという歴史の区切りも同様であるだろう。

 先日、故郷の高校の関東在住者の集まりが上野であり、幹事を務めている中学以来の友人であるI君のお取り計らいで飛び入りで参加した。小学校や中学の同窓生に合えるかもしれない期待があった。I君と会うのは昨年10月に品川で行われた同会の二次会、三次会以来。ところが他の面子は都内在住の中学時代のマドンナは不参加。小学校の同窓生のHさんとは、やはり品川以来。この時期に開催するのは復帰60年という節目に合わせてのことだろう。懇親会では卒業生たちが様々な余興で舞台を賑わした。アカショウビンも〝日本復帰の歌〟をI君たちと歌った。

 奄美が日本国の敗戦による信託統治下にあり、それから日本国に復帰したのが昭和28年であった歴史を多くの日本国民は知らないだろう。同会に参加した同郷の若い諸君も恐らく初めて知る人が多いと思われる。しかし敗戦後、8年の間、奄美は米軍の支配下にあった。それが昭和28年12月25日に〝クリスマス・プレゼント〟として日本国に返還されたのだ。その復帰運動に関わった高齢者の何人かが総会に参加されていた。アカショウビンの父親も生きていればその人々と同じ年齢になる。

 復帰までの奄美の状況を父から少し聞いたことがある。信託統治下で内地に渡ることは密航である。満州帰りの20代の父はバイクでパルプ運びやいろいろな仕事で糊口を凌いだ。母と結婚したのは印刷業に従事していた母の祖父との縁であるらしい。伯父と共に印刷業に従事した父はやがて独立する。当時は活版印刷の時代。活字や機械を設備するために内地に渡った話を聞いたことがある。父はその後、伯父とは別に会社を興し家族を作り一家を成し復帰後を生きた。その生き様は日本国の〝歴史〟には記載されない。 

 先日の同郷の人々との出会いは、復帰後を生きた高齢者や当時の状況を知らないアカショウビンや若い同郷者たちに改めて過去を振り返る機縁の如きものを看取させた。奄美はともかく、その後に〝復帰〟した沖縄は未だ米軍が支配する基地の島として米国の支配下にある。敗戦という歴史事実は沖縄で苛酷な現実として払拭されていない。それが尖閣問題を契機として大国の政争の具とされる。歴史の彼方と現在は通底している。歴史の彼方は歴史の今であることに愚考を重ねることは現在を生きるうえで幾らかの果実をもたらすかもしれない。それには61年前の歴史事実に想像力を励起することだ。

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