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2013年5月 6日 (月)

追悼と遺書

 Nが亡くなったのは12月31日であることが昨日の同窓会でM君から報告された。昨年、電話で話した時には結核で入院した、と話していた。退院して養生しているところと話していたから安心していたのだ。アカショウビンも秋から暮れにかけて仕事が忙しく退職も想定しながらの状況で忘年会どころではなかった。K先生のお悔やみとT君の送別会で会った時が今生での最後となってしまったのが悔やまれる。

 Nとのこの10数年の出会いを辿ろうとメモなどを整理しているとNより先に亡くなった共通の友人Sの遺書のコピーが出てきた。Nは遺書らしきものは残したのだろうか。Sは心筋梗塞で急死した。しかし死の予感があったのかもしれない。亡くなる2年前に家族にも知らせず遺書を残していた。Sは真宗の門徒で親鸞や法然に詳しかった。聖書も読んでいて宗教や思想関係の文献を広く読み込んでいた。ご家族から見せて頂いた遺書の一部を引いて、既に逝った友人たちの無念と覚悟を残しておきたい。  

 今、テレビを見ていたら「昔、海の向こうから戦がやってきて、あの日、鉄の雨に打たれ父は死んでいった」と「さとうきび畑」という作品で森山良子が歌っている。さらに「夏の日差しの中で 私の生まれた日に 戦の終わりはきた」と歌詞は続く。それは、時の移り変わりの不可思議さに「私」は「知らない父の手に抱かれた夢を見た」という歌詞は心を打つ。歌詞の中の「私」は父を求めているわけだが、父は、あの激しい戦闘の中で死に、この世には存在していない。「私」の中の彼、彼女の生きている景色と感情の中で、「夏の日差しの中で」それは或る「意味」を持ち「私」は現実には存在しない父を「想い起こす」のだ。

私も、この世を去る時が来る。父の死後も実家で一人生きている母親より先に行くとすれば、それは世間では最たる親不孝だ。しかし仏教ではそうは説かない。母には、この遺書を通して、それを伝えれば、私という「最たる親不幸」の生きた意味を少しは納得してくれるかもしれない。

学生時代に観た「死刑台のメロディ」という映画は、私に「怒り」とは何かを痛烈に訴えた。私は「政治」に関わったという経験は殆どない。学生時代の友人や、かつての職場で、それらしき議論は随分したが、青年期に、この作品ほど「現実」が「政治」に深く関わっていることを私に教えてくれた作品は、それ以後もそれほどあるわけではなかった。

友人達へ

2002年8月18日のきょう、高校の同窓会で寮歌を聴いた。あれは俺達の、あの当時の気分をもっとも力強く表現している象徴的な歌だと思う。私の中にある青春の息吹が甦る気がした。あの頃、俺達の生きる力は頂点にあったといってもよいだろう。今も、あの気分を継続している友人達に心からエールを送る。あの頃からすれば各自の生き方はそれぞれだ。しかし、あの頃に語り合った理想の火は今の私にも引き継がれていることは言い残したい。

諸氏よ。俺は次に生まれてくる時は作曲家になって人間として前世よりは高い境地に至りたいと思う。しかし人間に生まれてくるとは限らない。

Nよ、長生きしろよ、九死に得た一生だ。大切に命の炎を燃やせ。いつか聞いた君の寮歌は、本当に久しぶりに青春が甦った気がしたのを覚えている。ご両親にもよろしく伝えてくれ。お父さんの姿とお母さんの電話の声は、故郷の人達の懐かしい姿と声として私の中に焼き付いている。

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