« 魂と心 | トップページ | みずから知るの明 »

2013年5月12日 (日)

日本ファシズム考

 辺見 庸氏(以下、敬称は略させて頂く)のインタビュー記事が9日の毎日新聞夕刊第3版に掲載されている。見出しは「今の日本は自己規制、ファシズムの国」。冒頭、これまで著作の中で何度も引用してきたウンベルト・エーコのファシズムの定義を引いている。「如何なる精髄も、単独の本質さえもない」。この定義により辺見は「今の日本はファシズムの国だよ」と述べている。記者は、「ファシズム」とは大衆運動や個人の行動がコラージュのように積み重なったもの。独裁者の言葉に突き動かされるのではなく、そんたくや自己規制、自粛といった日本人の〝得意〟な振る舞いによって静かに広がっていくということだ、と辺見の発言を述べ、ムソリーニやヒトラーの姿ではなく「そういう、銃剣持ってざくざく行進というんじゃない。ファシズムはむしろ普通の職場、ルーティンワーク(日々の作業)の中にある。誰に指示されたわけでもないのに、自分の考えのない人びとが、どこからか文句が来るのが嫌だと、個人の表現や動きをしばりにかかるんです」と辺見は述べる。

 辺見の発言の中で面白いのはNHKで繰り返し流されてる「花は咲く」という歌が先の大戦のさなかに流行した「とんとんとんからりんと隣組」という歌と一緒だよね、という話だ。それは辺見や同世代の感覚なのかもしれない。辺見より後の世代のアカショウビンからすれば、それは興味深い指摘と言える。あれはノーギャラで芸能タレント、テレビキャスター、政治家が出演しているらしい。言われてみればアカショウビンが気持悪さを感じたのは暫く前に流行したスマップというグループが歌った〝世界に一つの花〟という歌詞がある歌だった。それを何年か前の同窓会の席で同窓生が歌った。その頃は多くのカラオケで歌われたことだろう。しかしアカショウビンの好みから言えば気色の悪い歌だった。未だにあのグループはテレビ界の人気者のようだ。それはどうでもよい事だが、辺見の感覚とアカショウビンの感性で響き合うものがあるとすれば、その辺りかもしれない。文芸誌の編集者は「あれはみんながノーギャラでやってて、辺見さんも自作をちゃかされたら嫌でしょ」と話したらしい。

 記者は辺見を「地中海人的だ」と評する。それは新作を呼んでから改めて考察してみるが、辺見の近況が知られてよかった。先日は学生時代以来の友人と最近の政治状況で熱く語った。アカショウビンの基本姿勢はボンボンに政治を任すな、というものである。コイズミ、アソウ、イシハラ、アベのアンポンタン共に振り回されている此の国の現状は中学生か、せいぜい高校生の学級委員会のレベルである。テレビを見れば若い娘達が飛び跳ねて、それを〝草食系〟だか〝動物系〟だか知らないガキ共がそれに群がっている。ガキは餓鬼であり老若男女を問わない。そのような現状に辺見は日本国のファシズムを視る。その視線は熟考しなければならない。

|

« 魂と心 | トップページ | みずから知るの明 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/57365552

この記事へのトラックバック一覧です: 日本ファシズム考:

« 魂と心 | トップページ | みずから知るの明 »