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2013年5月16日 (木)

みずから知るの明

人間というやつは困ったことに「みずから知るの明」がない。魯迅は短編「端午の節季」(岩波文庫 1981年2月16日 竹内 好訳 p160)で書いている。教員を兼任する役人である主人公の方玄綽(フアンシワンチョ)を評して。その前の文は、「かれの癖として、その際よく中国の将来の運命といった問題を引き合いに出し、うっかりすると自分で自分を憂国の志士と思いかねぬところがある。」

アベやハシモト、イシハラ何某たちよ、それに中国の権力の亡者たちよ、たまには外国や自国の古典や名作を昧読するがいい。権力を乱用し妄言と無知が溢れるテレビ映像を見ていると眩暈がする。それはあながちサラリーマンたち従業員を使用人として、己の妄想で精神異常と見る経営者の暴言とも共通する。それはまた別な話だが。

一寸先は闇、と同様に愚かな権力の亡者たちに振り回されれば、国家は暴走し地獄の惨状に国民を追い込む。それはわが国の100年の歴史を振り返っても現在の世界の現状を見ても変わらぬ真実である。

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